2012年1月31日 (火)

ホモ・サビエンスが、飛び道具を持った

P1080418ah NHKスペシャル「ヒューマン なぜ人間になれたのか」の一集と二集を録画で観た。第一集では南アフリカで、研究者によって発見された人類最古の首飾りが、単なる自分の身を飾る装身具ではなく、仲間たちの中で生きている証として意味があったとする、過酷な自然の中で生き抜くために、協力して生きるヒューマンの姿から、番組はスタートしていた。こうした「人間らしさ」の起源を20万年という人類史の中に探る番組だった。

P1080414ah 7万4千年前に起きた火山の大爆発など、大震災などで激減した食料。こうして、人類は何度も絶滅の危機にさらされる。そうした時に、最近の調査で、小さな集団で生きていた先祖が、未曾有の危機を前に、赤の他人である人々のグループとも協力し合う「人間らしさ」を発揮することで生き延びた。このようにアフリカに生き延びたホモ・サピエンスの数は3,000人ほどだったという。

P1080415ah 第二集では、その人類が、約6万年前にアフリカを離れ世界中に広がり始める。これをグレードジャーニーと呼ぶらしい。そして現在のヨーロッパを中心に進化していたネアンデルタール人との戦い(1万年にも及ぶ)にも勝利し、ヨーロッパはもちろん全世界へと、ホモ・サピエンスは広がって今日に至っている。

おもしろいのは、ネアンデルタール人もホモ・サピエンスも同じ脳の容積を持ち、初期の道具にはほとんど違いは見られない。しかし、体格や力ではネアンデルタール人が、ホモサピエンスより遥かに勝っていたようだ。ネアンデルタール人は今で言うプロレスラーのように筋骨逞しい体格で、三メートルもある長く太い槍を振り回し、大型の野獣を倒していたという。こうした連中だったらしい。五歳で、すでに体力があり狩りに参加していたという証拠もあるらしい。

P1080419ah しかし、私たちの祖先ホモ・サピエンスは、そんな野獣的強さはなく、弱かったので、様々な道具を発明して行く。その中で注目されるのは「投擲具」(とうてきぐ)という人類最古の飛び道具だ。弓矢のように離れた位置から獲物を倒す技術が狩猟方法を革新し、ネアンデルタール人を駆逐していったのだ。

おもしろいのは、この武器が、今まで、最大でも150人ほどの集団で保っていた治安が、もっと多くの三千人ほどの交流の広場(物々交換など)において威力を持った。見張り役(警備)に装備させて、広大な円形会場となった草原の周りで監視させたらしい。こうした広場が、古墳としてアメリカ大陸などで発見されている。集団生活のルールを破った者への体罰について、規律心の進化と攻撃性の制御として、番組は脳科学の面からも言及していた。

これが本当なら、今で言う「核の抑止力」に繋がる発想のように思うが。この説は、核を持っているヨーロッパやアメリカあたりの学者が言い出したことかもしれない。しかし、事実、世界中でこの「投擲具」(とうてきぐ)が発見されている。

P1080420ahこの投擲具の発見分布図が、現代の核保有国の図にも見えてくるから不思議だ。ホモサピエンスではない、すなわち私たちが核戦争で滅んだ後に進化した新人類が、遠い将来に、核の爆発想定図として、こんなのを描くかもしれないなあ。

古代の壁画には、弓矢を引き、二手に分かれて殺しあう戦争の絵も発見されている。

私たちは、スマートホンのような道具の発展はいいが、最初の飛び道具が、今では核ミサイルになってしまった。「剣を取る者は、剣で亡びる」の聖書の言葉があるが、何千年か、何万年か、何百万年か先で、我々人類は滅びなければいいが…。私は番組を観ながら、こんなことをしきりに思っていた。

後二回、このシリーズがあるようだが、その第三集と四集も今から、予約録画のセットをしておくことにしたい。

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2012年1月29日 (日)

天然コケッコー 輝く青春

Jhy 教会&幼稚園の日曜礼拝から帰宅して、近くの温泉施設へ行きサウナ風呂に入って腰を下ろした直後に揺れを感じた。私の下の段に座っていたおやじさん二人が顔を見合わせ、一人が手のひらを揺らしていた。

私は声に出して、「揺れたねえ!」と言った。前のおやじさん二人が振り返り、「頭がのぼせて回ったかと思ったよ」と言って笑った。

帰宅して調べたら、「1月29日午後4時46分ごろ、山梨県東部の富士五湖(北緯35.5度、東経139.0度)を震源とする地震が発生し、 山梨県富士五湖や大月市で震度4を観測した」とのWEB記事があった。

Liu 伊那高原は震度2程度だったようだ。しかし、でかいのが来て、サウナ風呂の中で、裸のおとつあんたち二十人ほどと一緒に死ぬのだけは、俺はいやだなあと、私が言ったら、台所で夕食のトロロを作っていた妻が「おかしいこといわないでよ」と笑った。

夕食後に、この前BSで放映された「天然コケッコー」のHDD録画を観た。やあ、なかなかよかったなあ。若い感覚で作られた爽やかな作品である。全校生徒六人なんて、私たちの小さな幼稚園と同じで、よいではないか。量より質の時代だよ、これからは。

Jjk中学二年というと、そうだなあ、この私にも淡い恋心や、転校生との別れなど、しみじみとした懐かしい思い出があるなあ。この作品は2007年の夏に公開された作品のようだが、若い世代の若い感覚のよい作品である。

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2012年1月28日 (土)

ミカンを食べて、その皮で楽しもう

51ykbkqkvql__sl500_aa300_冷え込みの厳しい日は、やはり温泉に行きたくなる。我が家からとても近い処に、「みはらしの湯」と「大芝の湯」という二箇所の大きな温泉施設がある。

少し離れたところにもう一箇所白い濁りで、湯質のいい「ながた湯」もある。私はサウナ風呂で汗を流し、冷たい水風呂へザブーンと飛び込むのが好きなので、サウナ風呂と水風呂が一番大きい「大芝の湯」を利用することが多い。

昨夕も、サウナに三回入り、一キロほどの汗をかいて、水風呂にも三回大の字で浮かんで、サッパリ顔で帰宅すると妻が、ミカンの皮がどうのこうのと突然言うので、またミカンの皮を何かに利用する話かと思っていたら、どこかの教会の牧師さんが、八十万部もの売り上げを記録しているミカンの皮の絵本の話だった。

食卓に座り、牛乳をゴクゴク飲んでから、妻の話をよく聞いてみたら、この夕方の民放テレビニュースで、その牧師がある日、自分の食べたミカンの皮を見たら、サソリの形にそっくりだったのが発端となり、ミカンの皮造形の絵本まで出し、それがジワジワと売り上げを伸ばし、八十万部に迫っているのだそうな。

さっそく、インターネットで調べてみたら、その方は札幌在住の牧師で、以下のようなプロフィールが目に入った。

岡田 好弘(おかだ・よしひろ)1965年大阪府生まれ。札幌市在住。大阪芸術大学芸術学部美術学科卒。メキシコEstandarte para Ias naciones聖書学校卒。札幌クリスチャングループ牧師。
折り紙が四角い紙をただ折るだけで作品を作り出すことができるように、ひとつのみかんの皮をただ切ってむくだけという造形にこだわり秀逸なみかんの皮アートを次々に生み出している。第1回オリジナル地図コンクール特別賞受賞。牧師としての専門分野は「夫婦関係と子育て」のコーチング。

そのミカンの皮の作品をユーチューブなどで見た。正月などに家族で炬燵を囲み、ミカンの皮をむきながら、子どもたちと楽しめる。やあ、なかなかいいではないか。ただポイポイ捨てていた皮に、こんな楽しみがあり、家族の交わりが生まれるのだなあ。

さっそく私たちの幼稚園でもやってみようかなあ。難しいのはやめて、腕時計なんか直ぐ出来そうである。そして私オリジナルで、犬の形にもチャレンジしてみようかなあ。しかし、彼は私と同じ牧師らしいが、大阪芸術大学も卒業しているぐらいだから、やっばし、ミカンの皮の形に鋭く反応したんだろうなあ。

今日のロッキーとの散歩の帰りに、ミカンを少し買って来て、腕時計を作って、その文字盤にみたてたミカンをムシャムシャ食べてみようかなあ。それとロッキーくんの形にもチャレンジして、うまくいったら、明日の幼稚園の日曜礼拝で、みんなにみせてやろうかなあ。

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2012年1月27日 (金)

久々に心打たれた純文学書「草の花」

518tuhxwj0l__sl500_aa300_寒中の名にふさわしい日々が続いている。雪原に出てのロッキーとの散歩は、表面が凍りついているためバリバリと音がしてスノーシューズが沈む。その表面の下はザラメ雪である。だから、足の筋肉が疲れるが、よい運動にはなる。

昨日は太陽が顔を出したが、今日は一日曇り空で、時折り雪が混じる冷たい風が吹いていた。その今日は、三峰川(みぶかわ)沿いのコースへ散歩に出た。田圃の一画に作った小さな畑で、一人のおじさんが、私と同じような防寒着で、頭もカバーのついた帽子を深々と被り、寒風の中で、何かの農作業をしていた。他には誰の姿もなかった。

ロッキーは、知っている道でもあり、私より先に走り、時々何処にいるかさえ分からなくなるが、やはりロッキーも私の姿が見えなくなると不安らしく、私が枯れ草の繁茂した中へ身を隠したりすると慌てて戻って来る。帰りのコースでは、いつものようにロッキーは流れに飛び込み寒中水泳をしていた。

帰りにTUTAYA書店により、堤未果著「ルポ・貧困大国アメリカを少し立ち読みして、購入した。アメリカで起こることは、少し遅れて日本でも必ず起こる。前作の「貧困大国アメリカ」を昨年に読んだが、なかなか綿密なレポートだった。

今回のⅡの目次には、1章…公教育が借金地獄に変わる、2章…崩壊する社会保障が高齢者と若者を襲う、3章…医療改革VS医療複合体、4章…刑務所という名の巨大労働事情、とある。これに、プロローグとエピローグ、あとがきがある岩波新書である。今夜から読むとしよう。

昨夜遅くに、富永武彦著「草の花」を読み終えたが、久々に文学書を読んだとの実感があった。キリスト教信仰の記述もあり、調べたらこの福永武彦(1918年- 1979年)の母親はキリスト教伝道師であり、彼自身も洗礼を受けていることが分かった。まだ読んでいない人にぜひお薦めしたい作品である。

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2012年1月25日 (水)

犬たちに最大限の自由を

P1080409ah この冬一番の寒気が来るとの予報通り、今日の伊那高原は猛烈な寒さである。しかし、冬山登山などに比べれば、標高830メートルの伊那高原の雪原を、ロッキーと散歩で歩くぐらい、ちょっとした防寒着で身をかためれば、なんということはない。

昨夜は熊の冬ごもりのような格好で、私は背中からすっぽりと布団をかぶり、炬燵に入り福永武彦著「草の花」を読み始めた。何かの文学賞を三島由紀夫の「潮騒」と競い合ったという作品だけに、ぐいぐいと引き込まれた。

この「草の花」を読んでみようと思ったのは、石原慎太郎著「新・堕落論」我欲と天罰の本文の中で、この作品に触れていたからだった。その新・堕落論の方は、アメリカの星条旗の一つの星をよく見ると、そこに日の丸があるといった、あるアメリカ雑誌の表紙に象徴されたように、敗戦後の日本はアメリカの一つの州になったかのごとく、自国の尊厳を忘れ、アメリカの核の傘の下で、堕落してしまったと語り、唯一の被爆国である日本国こそ、核を持ち、アメリカ支配から自立したドイツのような国家になれと説いている。

それはそうだ。アメリカに憲法から教育基本法まで作ってもらって、あらゆる分野でアメリカの言いなりの自堕落な日本の現状は確かになさけないと私も思う。

Luftbild_3さて、そのドイツだが、あのユダヤ人虐殺の歴史を超えて、今では「子どもと犬の育て方はドイツに学べ」と言われるまでになっているらしい。昨夜に放映されたNHKBSアーカイブス、旅のチカラ「犬の幸せって何だろう… 浅田美代子 ドイツ・ベルリン」を、今朝録画で観たが、年間7万頭もの犬たちを殺処分している日本に比べ、ドイツでの殺処分はゼロだという。

P1080410ah犬を大切な人間のパートナーと、法律で位置づけ、年間何億円かの費用は寄付などでまかない、ドイツ全土に500個所ほどのティアハイム(Tierheim…動物保護収容施設)で、警察や獣医師から告発を受けて、適切な飼い方をしていない飼い主から強制的に引き取られた犬たちが、幸せになるための保護や教育を受けていた。犬たちに最大限の自由を与えようとするドイツという国は、その教育(躾)にも力を入れているんだなあ。

その中の一頭に、私がかって12年間生活を共にしたジョンとそっくりのハスキー犬がいて、思わずドイツまで引き取りに行こうかなあと思ってしまった。ぜひ幸せになってほしいなあ。番組ではホームレスの人も、手続きを踏んで犬を飼い、ドラッグなどに溺れていた人も犬によって立ち直っている様子も紹介されていた。

さーて、ロッキー、そろそろ散歩に出ようか。今日は寒いから川で泳いだりするなよ。

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2012年1月23日 (月)

尿酸値異常なし さあ寒中休み 

20120123_1132h 今朝は三ヶ月に一度の血液検査で、伊那中央病院へ出かけた。通風発症予防の尿酸値検査が主たる目的の血液検査である。

今日は雪の気候のためか、血液検査室前の長椅子はがらがらに空いていた。めずらしいことである。一時間もしないうちに名前を呼ばれ、診察室に入った。結果は、尿酸値は5,1で、今回も異常なし。

帰宅して、私を待っていたロッキーくんと雪原へ散歩に出た。今日の伊那高原はやや冷え込み、雲の多い天候である。

幼稚園は明日から金曜日まで寒中休みに入るが、どうやら、寒気がやって来ているようだ。小学校などではインフルエンザによる学級閉鎖が出始めているようだ。

幼稚園の子どもたちも、人の混雑する中への外出を控え、家族と空気の新鮮な田園へ散歩に出たり、アウトドアスポーツをしたりして過ごしてほしい。

51ldu25vd8l__sl500_aa300_この前書店で立ち読みした絵本で、なかなかいいなあと感じた「こぐまとめがね」と、絵本ではない「草の花」の二冊が手元に届いた。

この寒中は、ロッキーとの散歩の後は、炬燵に入って読書である。そして夕方からは近くの温泉施設で身体を温め、汗を流すことになりそうだ。

今日病院の廊下で読み終えた「生物学的文明論」は、とてもおもしろかった。何回か読み返したい本である。特にナマコの皮の不思議には驚いたなあ。

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2012年1月20日 (金)

安曇野に雪 今年も犬橇体験

P1080363ah 安曇野に十数センチの積雪。まだ降り続く園庭で、今年もまた園児たちは、ロッキーくんが曳く犬橇にチャレンジ。かなりのスピードが出る犬橇体験です。

まず三歳のロッキーくんに、「いいかい、今日は橇を曳いてもらうから、よろしくたのむよ」と私が語りかけ、ロッキーも分かったような、わからないような顔。園児たちもなんとなく不安そう。

P1080376agh 最初は、私が走るもんだから、ロッキーも走る。そして橇が園児を乗せたままひっくり返る。そこで今度は、私がリードをつけて横を歩く。これなら怖がっていた女の子でも大丈夫。

ロッキーに活躍してもらった後は、みんなで近くの雪原に散歩に出かけました。今度は一面の雪景色の中を、身軽になったロッキーが自由に疾走してうれしそう。「…犬はよろこび、にわかけまわる…」の歌詞の通りになりました。そして子どもたちも大喜びで駆け回っていました。

P1080391h 雪の田園には、そんな私たちだけ。雪の降る日の散歩は、気持ちのよいものです。積雪量も、二十センチほどで、これなら、園児たちでも歩いたり、走ったり、鬼ごっこをしたり、あの「ぼくのゆきだるまくん」の絵本にあったように、雪の上に寝転んで、天使の形の穴を作ったりと、とても楽しい雪中散歩になりました。

さーて、今度の日曜幼稚園を終えたら、24日~27日は、寒中休みとなります。その寒中休み前に、幼稚園の子どもたちへの神さまからのうれしい雪のプレゼントでした。

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2012年1月18日 (水)

白銀に輝く北アルプスを見上げての散歩

P1080344h園児たちとロッキーくんと、安曇野に広がる田園へ散歩に出る日々が続いています。田圃の中での鬼ごっこを終える頃には、みんな身体がポッカポカ。

昼近くの散歩なので、太陽光がけっこう暖かい。ジャンバーを脱ぎ、帽子も脱いで、今度は道路を走ります。南からの太陽光が、北に向かう川岸の道の上に長い影をつくる。その影を踏む遊びに夢中になる。

風が無い日でも、走れば園児たちの周りに小さな風が巻き起こり、夏の小型扇風機のように涼しくなります。

まさに、子どもは風の子です。昨年秋に三歳になったロッキーくんも、元気です。元気というより元気すぎて、広い田圃の中を疾走する姿は、まさに草原のライオンのようです。カメラを向けると、もうそこに姿はありません。

P1080339h今朝の安曇野の気温は、氷点下十度近くまで下がったようだが、太陽が昇り、昼近くになれば気温が上がり、小川にはった氷が解け始めます。そんな氷の上を半分靴を濡らしながら列をつくって歩いて遊んでいた。

だから先頭を早足で歩く私より、みんなはだいぶ遅れて、振り返ると何処にいるのか見えなくなることもあります。長い枯れ草の向こうに隠れて見えなくなるのです。見えなくなると言えば、ロッキーくんは、私より何百メートルも先に進んでしまい、こいつも時々姿が全く見えなくなります。

しかし、こうした自由な散歩が出来る、ここ安曇野は、やっぱり素晴らしい。この子どもたちが大人になっても、老齢になっても、見上げるアルプスの峰々は、冬には同じように、白い輝きを見せているに違いない。広がる田園風景もこのままであってほしいなあ。

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2012年1月16日 (月)

コヨーテとアナグマくん

Photo昨夜の「ダーウィンが来た」を観た。北米大陸全域で勢力を増しているというコヨーテたちの子育てや狩りの様子を見事に撮影した番組でした。

このコヨーテはオオカミに比べて一回りは体が小さく、体長1メートル-ほどだが、その大きな耳でかすかな獲物の音を聞き、素早い動作で捕獲する。

おもしろかったのは、ジリスの複雑に入り組んだ地中の巣穴から、アナグマがジリスを外に追い出すために、あっちの穴を塞ぎ、こっちの穴を掘り進み、と長時間奮闘するその横で、コヨーテが伏せの姿勢で見学していて、アナグマが追い出すジリスを横取りする様子だった。

Photo_2さらに二匹目は何とかアナグマが捕らえたのに、今度はコヨーテが、そのアナグマに体当たりして、手にしていたジリスさえも横取りしていた。「まいったな~」と呆然としているアナグマの表情は実にユーモラスであった。

自然界で生きる動物たちの世界は、厳しい。鹿の親子がコヨーテに襲われる。狙われていたのは、まだ本当に小さな子鹿だった。母親が三頭のコヨーテを相手に反撃に出たが、一頭のコヨーテをやや深追いしたすきに、他の二頭のコヨーテに連れ去られてしまった。その時の母鹿の悲しげな姿には、胸が痛んだ。人間はこうした自然界から、何を学ぶかが問題なんだろうなあ。

この広大な北米大陸の原生林の自然は減少し続けているという。この限りある地球上に人間だけが増え続け、今は70億人だからなあ。かっての恐竜たちは1億6000万年ほどこの地球の生態系の頂点に君臨していたが、今から6500万年ほど前に、絶滅したという。

今の人類は、誕生してからまだ数百万年にもならないが、後1000万年もしないで、絶滅してしまうかもしれないなあ。今の人間たちを見ていると私にはそう思える。

この「ダーウィンが来た」と、今夜もある「ワイルドライフ」は、私のお気に入りの動物番組である。さーて、今日の伊那高原は曇り空で、山は吹雪いているようだ。早めにロッキーと散歩に出て、夕方にはまた近くの温泉施設へ行って温まるとしようかなあ。

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2012年1月14日 (土)

安曇野に飛来している白鳥の数 743羽

P1030422年が明けてから初めて、犀川へ園児たちと散歩に出た。昨日の安曇野地方の気温は、太陽が昇るにつれて高くなり、園児の中にはジャンバーを脱いで教諭に渡している子もいた。

犀川土手を南へ進み、途中から川の岸へ下りて、ロッキーくんが泳ぐのをみんなで見てから、今度は河川敷の中に続く道をさらに南へ進んで、広場では鬼ごっこをした。

帰りはまた土手の上に出て、今度は冬景色となった田圃の中に続く一本道を歩いた。土手の上に出てすぐのところに集落があり、そこの立派な石塀の上から、可愛い顔だけをのぞかせて、この日も若い柴犬が、ロッキーや子どもたちが、田圃の中などを元気に走り回っているのをうらやましそうに、私たちの姿が遠くなるまで見つめていた。

高い土手の枯れた芝草の斜面を、ゴロゴロと転げ落ちる遊びにも夢中になり、衣類の中に芝草などが入り込み、痛いとか痒いとか、言う子もいたが、まあ何事も経験である。

犀川の白鳥湖へ行った。この日(2012年1月13日)の安曇野への白鳥の飛来数が、掲示板に出ていた。安曇野全体で743羽、犀川白鳥湖には352羽との数字が出ていた。アルプス白鳥の会のみなさんが、毎日カウントしている数値である。

これから北や日本海側で、さらに積雪が増せば、積雪の少ない安曇野へもっと白鳥たちが飛来して来るに違いない。この日は青空の中、陽光に白い羽を輝かせて、三羽とか四羽などで、私たちの頭上を飛翔してゆく白鳥の姿が何回も見られた。

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2012年1月11日 (水)

時間給620円の アメリカの現実

Maru私は年末から年始にかけて、温泉施設の風呂を利用することが多かった。職場のある安曇野では西山奥の「ほりで~ゆ」と「ビレッジ安曇野」の二箇所。そして自宅のある伊那高原では「大芝の湯」と「みはらしの湯」の二箇所であった。

この四箇所には90℃~100℃のサウナ風呂があり、ここで最初に15分、二回目が12分、最後の三回目が13分と、合計で40分ほどたっぷり汗を流す。一回ごとに冷水風呂にザブーンと入る時の気持ちよさはなんともいえない快感である。

最後に体を洗ってかかり湯をして出る。だから、湯船に浸かってくつろぐということは、私の場合ほとんどない。入浴前と入浴後に体重を量っているが、だいたい800グラム~1000グラムの汗を流していたことになる。

まあ、風呂上りに飲み物を多量に飲むことになり、その体重減分は、直ぐに元に戻ることにはなる。このサウナ風呂で、汗を流しながら、気のいいおやじさんたちと文字どうり裸の話をしたり、聞いたりとなる。やっぱり景気のわるい話が多かった。みんな明るく語ってはいたが、内容は深刻で、今の世の中、やっぱりおかしい。

きつい肉体労働でも、時間給800円で、せめて1000円は欲しいというおとっつあん。そして、仕事があればいい方で、仕事からあぶれて、夕方の今まで家で寝てたとか、朝来て、夕方まで温泉施設内の畳の大広間で一日時間をつぶしたとか、春までになんとかしなくては、と語るおっさんたちの声は、じょうだんには聞こえなかった。

今日の夕方のNHKニュースでは、東日本震災で農地や農機具の全てを流されてしまった農家のおやじさんたちが、一人では何も出来ないと、10人で組合を作り、出資し合い、補助金も受けて、農地を借りて野菜作りに一日10時間汗を流しても、一人ずつに支払える時間給は500円がやっとであり、借金返済の二重ローンなど考えると、先の見通しはとても厳しいと深刻に語っていた。

若者たちもそうだ。専門学校や大学や大学院を出ても、働く職場の無い若者たちも急増している。こうした不景気は日本だけでない。

アメリカでも同様らしい。これも昨夕のNHKクローズアップ現代でも報じていたが、アメリカの労働人口の7人に一人は、年収170万円以下だという。アメリカの失業率は日本同様に高く、どんな仕事でもあればやりたいと語り、日本でいうハローワークの長蛇の列に並びながら、深刻な顔で、ごく普通のアメリカの働き盛りのおじさんたちが語っていた。

アメリカの大型スーパーで、時間給で働いている人の時間給は620円ということで、これは日本よりやや低いのではないか。かってのアメリカのイメージとはほど遠い、格差社会の国アメリカの苦悩も深いようだ。ヨーロッパも大変なようである。中国もどうなるか…。えらそうな態度の政治家や経済学者たちは、なにをやってるのかなあ。

しかし、明るいニュースもあったなあ。石垣島で、満月の夜に小雨があり、わずかな時間帯だったらしいが、「月の虹」が見られ、その撮影に成功したというものだった。「まるまるもりもり」の明るい歌のように、夢を持てる未来になるといいよな。さあ、あしたも園児たちとロッキーくんと、明るく頑張ろう!。

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2012年1月10日 (火)

二冊の絵本に出会った 幸せな日

97840727961158日()の日曜幼稚園が、三学期の始業式でしたが、実質的には今日から、幼稚園の三学期がスタートです。一学期、二学期、三学期とある中で、この三学期は油断していると、あっ!という間に過ぎ去ってしまうから、注意して、一日、一日を大切に生活したいなあ。

そして、三月中旬には、卒園して行く子もいて、ちょっぴりさびしい区切りを迎える学期でもある。

明るい晴天の昨日は、ロッキーとの散歩を終えてから、その帰りにTUTAYA書店に寄りました。伊那店の方ではなく、この日は散歩コースの関係で、箕輪店の方へ行きました。

絵本コーナーで、二冊のよい本に出会いました。最初に立ち読みしたのは「ぼけちゃん」という絵本でした。このぬいぐるみは何だか、へんな顔をしていて、「ぼけ」という名前をつけられてしまうのですが、ぬいぐるみに言わせると、くまさんなんだそうです。

このぬいぐるみが、女の子と家族に受け入れられ、この家の猫にも受け入れられ、楽しくほほえましい生活が描かれています。心があたたかくなる絵本です。

もう一冊は、メインの絵本コーナーから少し離れている別のコーナーで見つけたのですが、「ぼくのゆきだるまくん」という、外国(アメリカ)生まれの素晴らしい内容を持った絵本です。「たいせつにしたものは、なくならないんだって。ちゃんと どこかに いるんだって。ほんとかな。」この少年のつぶやきが、私の心に深く響いてきて、ついつい、購入してしまいました。

横帯に、「愛するものを失ったことのあるすべての人へ」とありました。やっぱり、こうした内容を持った絵本は、外国の作品に多いなあ。前面に聖書とか、キリスト教を出さないが、やっぱり作者の背後には、聖書があるんだと思う。やあ、いい絵本に出会えて、昨日は幸せな日になったなあ。

そして、今日からまた幼稚園の元気なみんなに会えて、2012年の幸せな日々のスタートである。なあ、ロッキーもうれしいよな。

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2012年1月 9日 (月)

「犬はえらい」、気づいた名取裕子もえらい

01061 私は今まで、ほとんど何もしらなかった女優の名取裕子が、ラジオ深夜便で、犬について語っているのを聞いて、「ふ~ん」と思って、初めて親近感を持った。

彼女は私の飼うような大型犬ではなく、小型犬を何頭か飼っているらしいが、偉いなあと思ったのは、犬が年老いたり病気になっても、その死の瞬間まで、最善を尽くして介護する姿勢だった。

老いて、少しぼけの来た犬が、トイレに行こうとしているらしく部屋から出て、トコトコとぎこちなく廊下へ出てしばらく歩き、ふっと立ち止まり、「さ~て、自分は何をしに、ここへ出てきたのかなあ」といった様子で、少し考え込み、また引き返す途中でオシッコやウンチをもらしたりするんですよと、優しさに満ちた語り口でさらりと話していた。

また、歯もなくなり弱り、食べ物を受け付けなくなると、どうしたら食べ物を与え、受け付けてもらえるかを、一つずつ考え、できることを工夫して世話しているという姿勢にも感動した。

彼女は、ごく普通のサラリーマンとして生きた父親の介護や、その父の死で落ち込み、精神的に非常に不安定になった時期に、彼女を支えて、立ち直らせたのは、こうした身近にいた犬たちだったと語り、「犬はえらい」と一言いった、この言葉を、私は聞き逃さなかった。

そうなのだ、犬のえらさを感じ取れて、犬との生活を大切に出来る人というのは、その人がどんな職業に付き、どんな生活をしていようが、そんなこととは関係なく、「よい人」なのだ。私はそう思う。

今も渋谷駅の前に銅像となっている忠犬ハチ公も、自分を可愛がってくれたのが、駒場にある大学の偉い先生だったから慕ったのではない。犬の心に寄り添い、大切に接してくれた人だったからである。飼われる犬にとって、それが全てなのである。

さて、ごく普通のサラリーマンだった父親が、定年退職間際の頃、彼女が有名ウイスキーか何かのコマーシャルに出たりして、そのギャラを得た時、彼女の父親は自分の退職金さえ上回るその額の多さに驚き、会社を一日休んでしまったとの話もおもしろかったなあ。

さーて、今日も伊那高原は良い天気である。ロッキーと散歩に出るとしようかなあ。

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2012年1月 7日 (土)

妻と毎朝喧嘩する 進化した洗濯機

Do 今朝も妻が、風呂場前で、誰かと言い争っている声が聞こえた。そして、「ブーン」という不気味な唸り声が聞こえ、やがて静けさが戻り、今度は「シャー、シャー」という、野獣の威嚇するような音がして、「もう、やめてよね!、何回洗ったら気がすむの!?」という妻の甲高い声がした。しかし、妻の争い相手はそれには答えず、今度は「シャカシャカシャカ」と軽快な音を発している。

そう、妻が言い争っていたのは、全自動洗濯機なのだ。我が家のみんなの下着やら、毛布やら、もう10年間も、妻の指示に忠実に従って洗濯してきたのだが、去年の夏頃から、妻の指示を無視して、今までのデータを分析して、洗濯機が自分で判断して、場合によっては丁寧に三度洗いしたり、その日の気分で、すすぎ洗いを省略して、すぐに脱水に移ったりと、人工頭脳を持った、凄い洗濯機に進化してしまったようなのだ。

その洗濯の最後が凄い。脱水の最後が近づくと、ガクン、ガクンという大きな音をたてながら、床を揺らし、「ガッタン」と、これもとてつもなく大きな音をたてて、「ほーらよ、洗濯いっちょうあがりー!」とばかりに、終了するのだ。その時、妻がその場を離れていたりすると、突然また、あの「シャー、シャー」の水を呼び込む野獣の威嚇音が発せられ、「もう一回いきましょうかー!」と、勝手にまた洗濯を開始するらしいのだ。

こうしたロボット化した洗濯機現象は、今後急速に、私たちの社会に様々な変化をもたらすに違いない。私は昨年、事務所のパソコン(光ケーブル)を解約して、何処でも持ち歩けるスマートフォンに切り替えた。

私はこれまで携帯は、琵琶湖周航のヨット旅に出た時や、海へ出る時などに、家族が連絡が取れないと不安だというので、夏休みの期間限定で持ったことはあるが、それ以外持ったことはなかったし、持ちたいとも思わなかった。

しかし、パソコン機能を持ったi ホーンが出た昨年秋についに購入したのだ(私のはドコモのGADAXY S 2)。それ以来いつも紐で首から提げて持ち歩くようになった。便利な機能の一つとして、ナビがある。目的地を入力すると音声でも案内してくれる。

幼稚園で、野外散歩などの時に使うと、子どもたちが喜ぶ。そして、目的地に無事到着すると、「おつかれさまでした」などと、喋る。

先ほどの我が家の進化した洗濯機の話との関連で言えば、このスマートフォンが進化して、私の個人的な情報を今後10年ほど蓄積し、分析し、そう10年後というと私は八十歳近くなっているから、ややボケの出てくる私を、スマートフォンがロボット化して、いろいろと世話をやくようになるのでは、との不安というか、期待というのがある。

実は、昨年亡くなった、i ホーン開発者のスティーブ・ジョブズが夢みていたのが、まさしく、人間と会話し、未来についても語れるような人工頭脳を持ったロボットだったらしい。このことを、ソフトバンクの社長がテレビで語っていたなあ。

さーて、どうやら、妻の洗濯機との今朝の争いは何とか終結して、全ての洗濯物が今、明るい太陽光が降り注ぐベランダに干され始めている。もう九時か。じゃあ今日も、少し早めにロッキーくんとの散歩に出るとしよう。

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2012年1月 6日 (金)

「一杯で しじみ70個分のちから」

P1080328ah_2 朝から太陽光いっぱいのベランダに、寝具一式全てを出して、今日は布団干しである。こんな真冬でも太陽光は暖かい。ありがたいことである。この日本語の「ありがたい」の言葉は、英語のサンキューなどのような軽い言葉とは全然違う。もっと奥の深い意味が込められているような気がする。

私は四年前の三月に突然の通風が右足親指の付け根に発症してから、三ヶ月に一度伊那中央病院で血液検査を定期的に受けている。通風は小さな錠剤を毎日朝食後に飲んだり飲まなかったりだが、尿酸値は、発症時の7,6だったかな?、それよりだいぶ下がって、最近では4,2ほどで、毎回問題ない数値が続き、発症も無い。

だが、二十種類ほどの血液検査の中に、肝機能項目の数値があるらしく、よくわからないが毎回、「肝機能の数値がちょっと高い以外は全く問題ないですね」と、パソコンを覗いている医師からよく言われる。そして、「まあ、この程度ならまず問題ないでしょう」とも言う。

問題なかったら言わなければいいのになあと思う。私は特に酒飲みではない。年に数回の飲み会や中学や高校の同級会で飲む程度である。ビールや酒以外では、あちこちのラーメン屋でけっこうラーメンを食べ、汁も残さずみんな飲んでしまう。何にでも醤油をかける。等など、何かの食に関係しているのかもしれない。

この前、椎名誠の「人はなぜ恋に破れて北へいくのか」の明るい本をトイレで読んでいたら、肝臓にはシジミがよいと書いてあった。そのことを妻に言ったら、昨日近くのドラッグストアーで、シジミのインスタントみそ汁を二袋(一袋に三杯分)買って来てくれた。

一袋98円だったと言うから、一杯33円ほどの健康食品である。メーカーも永谷園ならまあ信用できるかなと思って、昨夕から、毎食一杯ずつ飲んでみることにした。袋をよく見たら、「酒好きなお父さんに、おもいやりのみそ汁」と書いてある。「一杯でしじみ70個分のちから」と大きな字でも、とっても力強く書いてある。

今月の23日(月)の定期検査でどうでるか?。効果があるようなら、ドーンと箱ごと購入しようかなあ。最近、健康食品に関心が向いて、昨夕も近くの温泉施設゛見晴らしの湯」でサウナ風呂で汗を流し、とっても素晴らしい南アルプス連邦が夕陽に染まる景色を眺めながら露天風呂にも浸かり、風呂から出た。そして、休息所前にガラス容器で循環している九州産だという「黒酢」が目にとまり、ついつい百円玉を入れて、コップ一杯分を飲んで、なんとなく血流にいいような気分がして帰って来たなあ。その前日にも「大芝の湯」で、同じのを初めて飲んだところだった。

さーて、雲ひとつ見えない青空一杯で、ベランダの布団たちもうれしそうにしているから、今日は早めにロッキーとの散歩に出て、その帰りに破れかけている私の掛け布団カバーやくたびれて来ている敷布団のシーツの新しいのを購入しよう。妻も一緒に行ってくれるようだ。まあ、睡眠も健康にはとっても大切だからなあ。最近、なんでも健康と結びつけて考えるようになったなあ。まいった、まいった。

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2012年1月 5日 (木)

雪の日のサウナ風呂

01242 ロッキーとの散歩を終えると、私はまたパジャママンになって炬燵に入り、横に敷いてある寝床の掛け布団を毛布ごとすっぽり背中に引っ張り上げて頭からかぶり、本を読む。

部屋の空気は冷たい方がいい。部屋全体が暖かいとすぐ眠くなるからだ。そして、昨夕は四時半近くになって、そのパジャマ姿の上にEDWINのダウンコートを羽織って、素足にサンダルを突っかけて、頭には正ちゃん帽子で近くの温泉施設「大芝の湯」へ出かけた。

風呂に入る前に体重計に乗った。よーし、年末年始休みに入る前と同じである。減りもせず増えもしていない。この年末年始は毎日散歩に出たり、体は出来るだけ動かしていたからなあ。食べる方も必要以上は食べないで過ごしたからなあ。

90℃のサウナ風呂は、15分、12分、12分と、三回に分けて入り、たっぷり汗を流した。水風呂ににザブーンと浸かる時の気分は最高である。そして雪の降る露天風呂のある外のベンチでも体を冷やした。

ここのサウナ風呂は二十人は入れる大きな部屋だが、入れ替わりはあるが常時おやじたちで満杯状態の混みようだった。しかし、ここのサウナ風呂には外に向かった巨大な一枚ガラスの窓があり、雪の降る露天風呂広場や松林が見えるので、醜い裸ばかりの視界から解放されるのが救いだ。

駐車場へ出ると私の車も雪におおわれていた。タオルで車の周囲のガラス窓の雪を払い、エンジンをかけてフロントガラスの凍てついた雪を溶かし、視界を確保するまでに数分かかった。しかし、体はポカポカなので寒さは全く気にならなかった。一キロ近い汗を流した後は、いつも気分爽快である。

今朝の伊那高原は、うっすらと雪景色である。しかし太陽光が明るく照り、青空が広がり始めている。さーて、これからまたロッキーと雪景色の中へ散歩に出るとしよう。

今ちょうど、南米のアンデスの自然を取材した番組がNHKで放映されている。そして、現地の人々の自然を大切にする言葉が耳に飛び込んできた。

川は自分たちの兄弟姉妹だから、川に舟で入る時には礼を尽くして入り、感謝の心を忘れない。そして、あっちの山はお父さん、こっちの山並みはお母さんと言っている。自然の恵みによって生かされて来た現地の人々の真実の言葉だと思う。私も今日から、アンデスの人々のような心で、自然の中をロッキーと散歩するとしよう。

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2012年1月 4日 (水)

環境によりON、OFする 生体遺伝子スイッチの不思議

51rzj9bfhl__sl500_aa300_ 昨夜の午後十一時台のラジオ深夜便で、「新春インタビュー、宇宙航空研究開発機構特任参与(宇宙飛行士) 向井千秋」を五分ほどきいた。

眠りに落ちる寸前だったせいか、よく覚えている。内容にオッと思う点があったからでもある。それは、地球上と全く違う環境の宇宙で人間が生活するようになると、体重60キロの人で、約60兆ある各細胞は、情報の源である遺伝子を載せた染色体を持っているが、その遺伝子が状況に応じて、スイッチをONにしたり、OFにして生体を最適な状態にしようとする。

たとえば、宇宙に持って行ったキュウリの細胞は、地球では、根っこと茎の間に一つしか現れなかった新芽が、無重力の宇宙では三個も現れるという現象が起こったという。このことはキュウリは本来的には三個の能力を持っていたが、地球上では二個はスイッチを切って眠らせていたことになる。

これは、キュウリのような植物でも、その細胞の中には未知の遺伝子が眠っていて、それが環境によって目覚めて、スイッチがOFからONになったからだと、向井さんは説明していた。このことは、例えばマラソン選手が標高の高い酸素の薄い高地でトレーニングを積むことで、酸素供給を高める遺伝子をONすることであるとも説明していた。

このことは、人間も地球とは全く異なる宇宙や、未知の惑星などで生活するようになると、向井さんの言葉を借りるならば、地球では出来なかったことが、まるでスーパーマンのような体になって、驚くような能力を発揮する人間に変化というか、進化する可能性があるのだ。

この話を聞いたあたりで、私の脳回路スイッチは、OFになってしまった。だから、十二時のニュースを挟んだ後半の話は聞けなかった。話題は予防医学の方へ進むようだった。

私たちの持つ生命体遺伝子は、その環境によって、スイッチをONにしたりOFにして健康体を維持するためにコントロールしているという話は、「人は何のために祈るのか」~生命の遺伝子はその声を聴いている~(筑波大名誉教授村上和雄、京都府立医科大学教授棚次正和共著、その他の本(いずれも村上和雄著)でも知っていたが、今回も、生命体というのは凄い潜在能力を持っているんだなあと、向井さんの話に驚嘆した。

野菜であるキュウリ、その辺の土の中にいるミミズさん、そして私たち。みんな、みんな生きているんだ、凄いんだなあ。やっぱりこの宇宙は偶然に偶然が重なって、偶然に出来たというよことではなく、村上和雄さんの言葉をかりれば、やっぱり、この宇宙には、サムシンググレートなるものが確かに存在すのだ。人はそれを神とか仏とか呼ぶのだ。

さーて、今日の伊那高原は寒波到来で、朝から寒風に雪が混じって荒れた天候である。これから、この中へ防寒着で身を固めてロッキーとの散歩に出る。夕方には、久しぶりに近くの温泉施設へ入浴に行こうかなあ。サウナ風呂でたっぷり汗を流し、露天風呂では雪空でも眺めてみようかなあ。

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2012年1月 3日 (火)

生(なま)の音は生まれ そして消えて行く

4108080932 管弦楽団(orchestra)の演奏を、何処かの会場へいって聞くなどということは一度もない私だし、そんなもの、かしこまって、今後も聞きたいとも思わない。遠い昔にヨーロッパのかっこつけの貴族たちが、楽しんだというそんなものは、私には全く無縁の世界の一つである。

だから、昨夜のラジオ深夜便で、「新春インタビュー(3)後半 夢をかたちに未来へはばたく指揮者 佐渡 裕」をたまたま聞いた時も、すぐにスイッチを切って眠りに入ろうとしたが、「指揮者と楽団員との間になにがあろうと、問題は音なんですよ。その音は楽譜にも書いてある。だから、その音を出すために指揮をとる。そして最高の音が生まれて、その音は消えて行く…」。

その語り口に、私はおや!?と思って聞き続けることにした。ある大柄な男のイメージが浮かんだからだった。以前に、盲目のピアニスト辻井伸行さんの番組で、風呂の中で辻井ピアニストの弾く曲を聴きながら涙を流したという大柄でかっこつけない、好感の持てる指揮者の顔だった。

今朝、インターネットで調べてみたら、やっぱりそうだった。佐渡裕だった。やっぱり人間味のあるいいやつなんだと思った。187センチ、靴のサイズ30センチの大柄な体格で指揮台の上で、彼が飛び跳ねたりするもんだから、汗は飛び散らすし、上着のボタンが何処かへ飛んで無くなったり、最初の振り始めで指揮棒を折ってしまったりと、おもしろい、あいすべき男である。

もっとも今は、そのへんの楽器屋で売っている1500円ぐらいの絶対折れないグラスファイバーものを使用しているらしい。

彼の座右の銘は『自分はジャガイモ』。その意味は、今は泥がいっぱい付いているが、その泥を綺麗に取ったら世界中の人が毎日、食べたくなるもの、だから、まだまだ泥は付いてると思うけど、多くの人に食べて欲しいと思っているからだという。なかなかいい言葉ではないか。

そんな彼が世界的指揮者として活躍しているとなると、オーケストラの演奏の世界が、私にもグッと近づいて感じられるようになるから、不思議だなあ。彼が指揮したオーケストラの演奏CDを一枚購入して聴いてみようかなあ。しかし、本当は、録音ではなく、生まれ出て、すぐにまた消えて行く、生きたオーケストラの音を聴いてみたい気もするなあ。

考えてみれば、音楽に限らず、私たちの何気ない日々、この一瞬一瞬が、生まれては消えて行く命の輝きの舞台なんだなあ。さーて、もう今日は新年の三日目か!。夢を持って、あきらめないで、この俺も一歩ずつ、まだまだ頑張らなくてはなあ。ロッキー、散歩に行くぞー!。

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2012年1月 2日 (月)

五人の孫に お年玉

P1080325ah 朝七時半、カーテンをいっぱいに開けると、今朝も明るいオレンジ色の太陽光が、リビングの一番奥のピアノの所まで届いている。今日は長男、そして長女たち家族が我が家にやって来る。

静岡で派遣社員で働いている次男以外全員が顔を揃えることになる。その次男からは電話があり、送った北海道のイクラや緑のたぬきなどが届いたと元気な声が聞けて、妻もホッとした顔になっていた。

我が子たち五人と同じに、今は孫たちが五人に増えて、その孫たちへのお年玉の袋を、引き出しの奥から探し出して昨夜に用意した。

五人の我が子たちはそれぞれに社会人となり、上二人は結婚してそれぞれに家庭を持ち親となっている。今年は三女も結婚することになりそうである。

さて、その今日は十時頃に、我が家に集結して、それからみんなで、すぐ近くの「みはらしファーム」のイチゴ園へ苺狩りに行くことになっている。鶏の卵大の甘い苺を食べ放題である。ハウスの中なので、雪が降る日でも春のようなあたたかさである。

その苺狩りをしたくなければ、これも近くの温泉施設へ行けばいい。私はどちらも行かないで、とりあえずロッキーと昼頃までいつものように散歩に出ることになりそうだ。

昼過ぎには、妻が作る京都風お雑煮をみんなで食べて、飲み会やカルタ会になりそうだなあ。まあ、我がファミリー、みんな元気で新年を迎えられたこと感謝である。

昨夜はパウロの乗った舟が、凄い暴風によりマルタ島で難破する使徒行伝の個所を読んだが、聖書というのは何回読んでも、奥が深い書物である。ワクワクして、そして、とても大切なことをいつも教えられる。我が子たちや孫たちに、私が継承したいのは、この聖書の信仰である。まあ、我が子五人は、自然にみんな洗礼も受け、祈りつつ人生を生きるようにはなっている。感謝である。

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2012年1月 1日 (日)

スティーブ・ジョブズが求めたもの

Sti大晦日の午後五時からのNHKスペシャル「世界を変えた男 スティーブ・ジョブズ(Steven Paul Jobs、1955年2月24日- 2011年10月5日) を、たまたま観た。

ジョブズが、25年前に現在のiホーンを予言し、そのスケッチまで残していたことには驚かされる。そして、そのiホーンが現実のものとして発売となった年にこの世を去ったことに、私は彼の運命的なものを感じる。

彼の生い立ちは悲劇的である。彼は生まれてまもなく親から捨てられた。その理由を知りたくて必死で調べようとした時期もあった。彼が実の母と再会を果たすのは30歳を過ぎてからである。

それが、彼の心の根底にあり、一時期とても不安定な精神状態になった。これは、彼の世間への、未来を変えようとする強い意志のバネにもなったかもしれない。

そして、激しい気性の彼が、何回かの挫折後に落ち着くのは結婚し、愛する子どもたちにも恵まれて、幸せな家庭を築いてからである。若き日に認知していなかった娘も引き取り、心からの笑顔がこぼれるようになった彼の写真も紹介されていた。

国や大企業が独占していたコンピューターを、一般の人々に開放して、人間の創造性を助けるワクワクするような道具に変えた男である。五十代半ばて癌で死去した彼であるが、世界を変革すること以上に、人間の幸せの原点は、家庭であり家族であることに気付いた人生であったことは間違いない。私はそう思う。

昨年暮れに読んだ「海鳴り」の藤沢周平の一文を思い出した。いろいろあった家庭だったが、その家も家族も捨てて、もう二度と帰ることの出来ない逃亡の旅立ちの前夜の主人公の心境である。「家庭とは、幸せの入れ物、器なのだ」との一文である。

スティーブ・ジョブズは、片手で持てるiホーンという器に、人々を幸せにするための思いを詰め込んだ。しかし、それはしょせん機械である。本当の幸せを詰め込むことは出来ない。幸せとは一人一人の心であり、幸せを詰め込む家庭という器にとって代わることは出来ないのではなかろうか。私はそう思う。そして、ジョブズもそのことに気付いていたように私には感じられる…。

もう一つ、家族というテーマから、やはり大晦日に「ゲゲゲの女房」の総集編の後半を、これもたまたま観て、おー!と思ったシーンがあった。それは夫が、漫画家として成功して、あまりにも無理をして頑張りすぎて行くうちに、夫から笑顔が消え、家族の中からも笑いが消えてしまったことに、女房が気づき、夫に語りかける場面だった。

「貧しかったけど、あの頃には、笑いがあった。あなたにも笑顔があった。なのに、今は…」と女房が語っていた。なんだか目頭が熱くなるシーンだったなあ。

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