2012年5月22日 (火)

今年もまた 伊那高原にカッコウの声

426pxreed_warbler_cuckoo 金環日食のあった21日(月)の朝、南側の窓を開けるとカッコーの声が響いて来た。近くの西箕輪小学校を囲む森の方角から聞こえた。今年もまた伊那高原にカッコー鳥の声が響き、私の大好きな夏がくるんだなあと、なんとなくうきうきと楽しい気分になった。私はこのカッコウの声が好きである。

しかし、カッコウの親は、他の小鳥たちの巣に卵を産み落とすだけ(托卵)で、他の小鳥たちに育ててもらうという実にずうずうしい鳥なのだ。こうした様子を図鑑などで見るたびに、私は大笑いしてしまうのだ。

しかしまあ、カッコウの親鳥は鶏ほどの大きさがあり、目立つし、響き渡る鳴き声も大きい。だから子育て中に親子ともども敵に襲われやすいことなどが、理由でこうした托卵(たくらん)をする鳥になったんだろうなあ。

このカッコーの声は、ロッキーとの三峰川での散歩を終えて帰宅した昼過ぎにも、畳の上に寝転んで一休みした私の耳に響いて来た。今度は我が家の東側の福祉施設近くの林から聞こえた。

三峰川散歩では、土手にあったアカシヤの花が開花し始めていた。近づくと甘い匂いがした。その新鮮なアカシヤの花を少し採り、この日の夕食に天ぷらにして食べた。香りもいいし、花の蜜がほんのりと甘く美味しかった。

この散歩の帰りには、農道沿いにある「何でも屋」に寄り、新鮮な行者ニンニクを二束購入した。私はこの行者ニンニクと豚の挽き肉を炒めたのが好きで、よく食べる。様々な栄養素があり、なんとなくスタミナがつくように感じている。ニンニクも好きだが、この行者ニンニクは臭みも味もニンニクほど強くなく、味もいい。

今日の伊那高原は昨日同様に快晴である。

P1050756h_2 さーて、これから安曇野にある教会&幼稚園へ向かう。今週は晴天の夏日には、幼稚園のみんなと、やっぱり中房川へ出かけて、私とロッキーは清流で泳ぐことになりそうだ。子どもたちは川岸で水遊びして、その後はみんなで、夏草が成長し始めた土手沿いの道を、風に吹かれて散歩だな。そして、犀川の散歩ではアカシヤの花が咲いていたら天ぷら給食だな。

中房川の中州の林や、土手沿いの森からも、カッコーの声が響いてくるかもしれない。そうそう、水泳具一式を忘れないようにしよう。

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2012年5月21日 (月)

この宇宙は「人間原理」で成り立っている?

412bk2brl8c7l__sl500_aa300_我が家のある標高八百メートルを超す今日の伊那高原は快晴。我が家は金環日食観測用メガネを用意していなかったので、私が菓子箱のふたの中央に小さな穴を開け、白い紙にピントを合わせて観測した。

出勤前の三女、今日は休みの次女、それに妻と私の四人が朝陽の溢れるベランダに出て、なんだなんだと驚くロッキーに邪魔されながらも、三日月形から見事な金環日食の瞬間までの太陽と月の宇宙ショーを観賞することが出来ました。白い紙上には小さな目の玉模様が出来て感動。

金環食の瞬間は、私の二つある濃いサングラスで、目を細めて、直接観測することも出来ました。やー、やっぱり感動しました。腕時計を見ると七時三十五分でした。

しかし、前日までに、なんで観測用グラスを我が家は購入しておかなかったのかなあ。その時になってみんな騒ぐんだもんなあ。

それまでは、「単なる太陽と月と地球の位置関係がなす現象だよ」と私も平静をよそおっていたが、いざ朝陽がやや暗くなり、なんとなく気温までひんやりして来ると、とたんにドタバタしちゃったなあ。

でも、家族みんなで観測できて、いい思い出になるかもしれない。おっと、俺まだパジャマ姿で、顔も洗ってなかったなあ。まあ、今日は仕事は休みだからなあ。

昨夜は村山斉著「宇宙はなぜこんなにうまくできているのか」(集英社)を読んだ。宇宙の研究が進めば進むほど、この宇宙は人間が存在できるようにつくられていることに科学者たちは驚きはじめているらしい。

この宇宙には人間が生まれるための条件が揃いすぎているからだ。単純な話、重力の力、素粒子の質量、電磁気力、暗黒物質の量、そうした数々の物理法則の定数が、ちょっと異なっただけで、生命の誕生するような宇宙にはならなかったからだ。

どの法則をとっても、星や人間が生まれるのに「ちょうどよく」できているこの宇宙であり、素粒子の世界なのだと科学者たちは驚いているらしい。

そのため、物理学者の中には、自分たちが研究している基本法則や物理定数などが、すべて「人間が存在できるようにつくられている」という人も出てきて、これを「人間原理」というらしい。とても物理学の専門用語とは思えない雰囲気を持つ言葉だが、哲学や宗教で使うのではなく、物理学の専門用語となっていると、村上斉さんは記している。

そして、この「人間原理」が正しいとしたら、「ではなぜ人間が存在するようにこの宇宙はつくられたのか」との疑問が出てくるのは当然である。

そして、これに答えをだすとしたら、「神さま」を持ち出すのが、自然であり当然だと言える。人間をこしらえるためにちょうどよく宇宙の法則を、神さまが定めたと考えれば、私は納得である。

しかし、これでは科学者たちは自分の出番がなくなってしまう。そこで、この「人間原理」に対抗して、今考えられている理論が、今の宇宙は唯一のものでなく、この宇宙の他に別物の、ものすごい数のそれぞれ異なる法則を持った宇宙が存在するという、「マルチバース」の理論を言い出す科学者がいるらしい。いやあ、おもしろくなってきたなあ。興奮するなあ。感動するなあ。この本は身近な疑問から出発して、中学生ぐらいから読めるようにやさしく書かれた宇宙の本です。まだ読んでない人にはお薦めの一冊です。

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空ばかり見てる人にはなりたくない

今日はほぼ全国で金環日食が観測できるとかで、日本中が大騒ぎをしています。しかし、感動する出来事は何も上空だけに起こるのではない。中島みゆきの「地上の星」に、人は空ばかり見てるが、地上にも星々が輝いていると語りかけた個所があった。私たちは、空ばかりではなく足元にも目を向けるとが大切だと思う。この水の惑星、この地球上にも、まだまだみんなが気づかないような凄い感動のドラマがいっぱいあるのだ。

例えば、土曜日にBSで放映された「ALWAYS 三丁目の夕日」には感動して、私は何回も涙を流してしまった。また、日曜夜の「ダーウィンが来た」のマネシヤドクガエルの子育てにも感動してしまった。

人間の指先ほどの小さな蛙、マネシヤドクカエル夫婦の子育てに、カメラが迫ったドキュメンタリーだったが、いやあ、人間は、こうした小さな動物たちの子育てからも、多くを学ぶ必要がありそうだ。本当に感動したなあ。これも忘れないように、以下に番組紹介のページの一文を以下に記しておきたい。オスがメスを呼んで産卵するための巣へ誘う時の鳴き声にも感動したなあ。

Photo南米ペルーの北部に広がる熱帯雨林に、親指の爪ほどしかない極小のカエルがすんでいます。名前はマネシヤドクガエル。黄色や緑、オレンジ色など極彩色の派手な姿をしています。これは、中南米に250種類以上いるヤドクガエルの仲間に見られる特徴。あえて目立つことで、天敵の鳥などに「自分が毒を持っている」ことを警告しているのです。

マネシヤドクガエルがとりわけユニークなのは、子育てを夫婦で協力して行う点。世界に4千種以上いるカエルの中で、夫婦で子どもを育てるのはわずか数種だけ。しかもマネシヤドクガエルの場合、その方法も驚きです。

母親が卵を産むのは植物の上など、水が全くない場所。オタマジャクシがふ化すると、父親は背中に乗せて移動します。行き先は植物の葉の付け根などに雨水がたまった小さな水場。子どもを放したあとも、父親は様子を見守り続けます。一方、母親はなぜか食事をしてばかり。

ある日、父親が水たまりに来ると、子どもが父親の足をつついて空腹を訴えました。すると父親は鳴き声で母親に合図。その声を聞いてやってきた母親は、驚くべきことに、水たまりに卵を産み落としました。母親は無精卵を産むことで、食べるものもない小さな水たまりにすむ子どもに食べ物を与えていたのです!母親が食事に専念していたのは、このためでした。見た目もやることも全てが奇想天外。極小ガエルが編み出した子育て術の初公開。

やあ、考えてみると、私はこうして、ほぼ毎日、何かに感動しているなあ。やっぱり、俺は幸せな男なんだなあ。三丁目の夕日は、私の少年時代と重なる時代が舞台であり、いろいろと懐かしく思い出してしまったなあ。私は本当によき時代に青春をおくっていたんだなあ…。

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2012年5月20日 (日)

米東海岸に「忠犬ハチ公」の銅像

K10052497211_1205201613_1205201616_ 「競馬 第73回オークス」中継終了後の午後4時のBSニュースに、アメリカ東部ローランド州、ウーンソンケット市にある旧駅舎の前に、東京渋谷駅前にある「忠犬ハチ公」と同じ、銅像が設置されたとのニュースが流れた。

その「忠犬ハチ公」の横にアメリカの少年が立ち、家族が写真を撮っている映像も流れた。いやー、いいニュースではないか。これで、渋谷の「忠犬ハチ公」像は、ついにアメリカにもデビューしたのだ。

犬の持つ素晴らしさは、日本と同じに、いろいろと問題を抱えている混乱のアメリカにも、感動を与え、ついに銅像が設置されたわけだ。やあ、いいことだ。地球上全ての人間は、犬の持つ素晴らしさに気づかないといけないもんなあ。以下に、NHKNEWSWEBの記事を転載しておきたい。

亡くなった飼い主の帰りを駅の前でいつまでも待ち続けたといわれる「忠犬ハチ公」をテーマに、アメリカで製作された映画のロケ地に、ハチ公の銅像が設置され19日、除幕式が行われました。

ハチ公の銅像は、アメリカ東部ロードアイランド州、ウーンソケット市にある鉄道の旧駅舎の前に設置され、19日、地元の人たちや関係者が出席して除幕式が行われました。
ここは日本映画、「ハチ公物語」のリメイク版で3年前に公開されたハリウッド映画、「HACHI(ハチ)約束の犬」の中で、俳優リチャード・ギアさん扮する主人の帰りを、愛犬ハチが待ち続けるシーンが撮影された場所です。

銅像は、映画を見て感動したという地元の高校生たちの発案で学校から市に寄贈されたもので、高さがおよそ1メートル。

東京の渋谷駅前にあるハチ公より少し小柄ですが、りりしい雰囲気はよく似ています。
銅像は、地元の市民が一緒に記念写真を撮るなど早くも人気を集めていて、中には「よく知ってる。駅前でじっと飼い主を待っていた犬だ」と話す8歳の男の子や、「ハチ」と名付けた愛犬を連れ、「日本に行かなくてもハチに会えた。涙が出そうだ」と話す男性もいました。

除幕式には東京・渋谷区の「忠犬ハチ公銅像維持会」の副会長、星野浩一さんも参加し、「アメリカでハチ公を見るとは思わなかったので大変感激しています。頑張れと言ってやりたい」と話していました。(5月20日 15時30分)

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2012年5月19日 (土)

ダルビッシュが六勝目をあげた日

05203 MLBでダルビッシュが投げる試合は、やはり気になって事務室で観ることが多い。すると子どもたちが入ってきて、「あー、やきゅうみてるー」と言う。そのダルビッシュが、この日の試合では、解説者がさかんに言っていたが、今までとは全く違う、力を抜いた変化投法を見せていた。毎試合同じパターンで投げていたら敵バッターに研究されてしまうからだ。この日は結果的には初回の一失点だけで、ダルビッシュは六勝目をあげた。私はこの試合は途中までしか観られなかった。

その日は安曇野市にある高齢者福祉施設を訪問する日だったからだ。園児たちみんなと出かけた。いつものようにロッキーと、他にも二頭の犬にも参加してもらい、アニマルセラピーをしてもらった。

この「光の子讃美グループ」活動は幼稚園児たちを中心に、毎月第二と第三木曜日の十時半から十一時半に、二箇所の福祉施設で行っている。もう二十年近くになるだろうか。

若者のダルビッシュが、巨額の報酬を得てアメリカで頑張っている時、私たちはボランティアで、讃美の歌声を響かせていたのだ。心が通い合う、しみじみとした楽しい充実したひと時である。こんな時、人間は金だけが全てではないんだよなあと、ふっと考えたりしている自分がいる。

そりゃあ、金はないよりあった方がいいと思う。しかし、ダルビッシュだって、イチローだって、金だけのために、野球をやっているわけではなく、結果として巨額の報酬を得ているだけのことであろう。かみさまは不思議な方である、どこかで、それぞれの一人ひとりの人生を、私たち人間とは異なる尺度で、人生の宝のつじつまを合わせておられるような気がする。

四月の施設訪問の時にいた春子おばあちゃんは、今月の訪問の時には姿が無く、職員の一人が、「先月に亡くなりました」と帰りの時に教えてくれた。九十歳の人生だった。元気な頃は私たちの幼稚園の近くで、小さな飲み屋を開いていて、ラーメンも出す店を一人でやっていた。

店を閉じた後には、飼っていた犬を深夜に散歩させたりしていた。その犬が亡くなってから、一気に体が弱り、目が徐々に見えなくなり、やがて完全に失明して、施設に入所した。昔はご夫婦で、漫才をするこの地方のお笑い芸人であったらしい。とても明るく快活な人だった。クリスマスの礼拝に何回か出席したこともあった。

Ujoshabon_small1 この日の施設訪問では、みんなで「シャボン玉」も歌った。この歌の作詞者野口雨情は、生まれてまもない我が子を亡くした時に、この詩を作ったといわれている。

幼くしていのちを失う悲しさもあれば、福祉施設に入所して、長寿を保っていても味わう悲しみもあろう。それぞれの人生は、その人の数だけ、喜びや悲しみがあるのだと思う。

この日は、帰りに近くの田園へ出て、みんなで散歩をした。安曇野地方の田圃には稲の苗が植えられ、その稲田の上を吹き渡る風は爽やかだった。近くに見上げる西山は、新緑がまぶしいくらいに、実に美しかった。この季節は、モコモコと入道雲のように広がる椎の樹の薄緑色が、あちこちの山の斜面で輝いていた。今年は、山の動物たちのためにドングリが豊作になるといいなあ。

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2012年5月15日 (火)

他力は 自力の母である

41j6ds0pvwl__sl500_aa300_ 昨夜は、録画で「21 五木寛之 仏教への旅」の最終回、アメリカ編を観た。二時間近いNHKBS番組で、これで三回観たことになる。

仏教の説く「他力」が中心テーマとなっていた。「他力は自力の母である」の言葉は、キリスト教にも通じるものである。

私が今の安曇野にある教会&幼稚園に赴任したのは、1981年の春であった。この同じ年の、やはり春に五木さんは、それまでの作家活動その他に一応の終止符をうって、京都の龍谷大学へ聴講生として入学している。

彼の著書「他力」には、過酷な戦争という時代の中で、少年として体験した悲しみや、挫折、不条理なものへの心の葛藤などが、包み隠さずに書かれている。

そんな、デラシネ(根なし草)の我が身を引き受けて、風に吹かれてなるようになれとの、一種いなおりの気持ちで、立ち上がるしかなかったと語っている。朝鮮半島で母を失い、帰国後に父も失った彼は、大変だったろうなあと思う。この時代の人々は、みんなこうした過酷な環境の中にいたではあろうが、まさにデラシネの状態だったに違いない。

この「他力」は翻訳されてアメリカでも発刊され、その年のスビリチャル部門の賞を受賞している。

さーて、今日は雨の一日になりそうである。こうした天候もまた、「他力」のなせるわざに違いない。しかし小雨になったら、みんなで安曇野の自然の中へ飛び出し野外教室である。

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2012年5月14日 (月)

ダニエル書 壁に書かれた文字

Belshazzar1a思いのままに裁き、殺し、やりたい放題の独裁を続けていた国王は、ある夜の大酒宴の会場で、目の前の白のしっくいで塗られた壁の上に、文字を書く指の幻を見た。(ここに載せたのは、レンブラントが、その場面を描いた絵である)。

その指は、壁に文字らしきものを書いた。しかし、その場にいた者たちの誰もが、その文字を読めなかった。国王は不吉な予感にかられ、恐怖のあまり顔は蒼白となった。ただちに、あらゆる学者が集められた。そして、その文字の謎を解かせようとしたが、読める者、意味を解ける者は、誰もいなかった。

しかし、ここにダニエルがいた。ユダヤ人であり、神を畏れる信仰深い若者であった。そして、その壁に書かれた文字は、「メネ、メネ、テケル、ウ・パルシン」であることを王に教えた。そして、その意味も。

Logo_meneメネとは、「数える」の意であり、テケルとは「量る」であり、パルシンとは「分配する」の意味を持つ言葉であることを、ダニエルは王に語った。

すなわち、永遠に続くように思える国であっても、国王であっても、その悪政の年月は、神によって数えられている。そして、そのごう慢な心は量られていた。そして、ついには、その全ての力は、王から取り上げられ、他の国の者に分け与えられてしまう意味を持つ文字だったのだ。そして、この壁に書かれた神の言葉は、やがて出来事となり、王は殺され滅びた。

以上は旧約聖書のダニエル書に書かれている要約である。聖書の語る神の言葉は、人間の語る虚しい言葉のように、右から左へ流れて消えて行くようなものでなく、必ず歴史の中で出来事となる力を持っているのだ。

私たちの全ては数えられ、心は量られ、そして必要とする力は、神から貸し与えられているものなのだ。これは、私たちが何かで頑張ったり、悲しんだりすることも数えられていることであり、必要とする力を分け与えてもらえることも意味する、勇気と希望に繋がる言葉でもあるのだ。

71kz2bpqeknl__sl500_やあ、旧約聖書の物語はダイナミックで、どんな物語よりもおもしろく、そして、ためになるよなあ。今日ようやく手元に、原色 聖書物語(創元社)Ⅰ~Ⅲ巻が届いた。朝の会で、幼稚園のみんなで、この本のカラーの絵を見ながら、聖書物語に親しみたいと思う。そして、暑い日には、中房川へ出かけて、そろそろ泳ぎたいなあ。今週の天候はどうなるかなあ。

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2012年5月13日 (日)

風邪対策は正ちゃん帽 今日は母の日

Lacoste96_e1 だいぶ前のことだが、人間の体は八度以上の気温差で、風邪をひきやすくなると何かの本に書いてあったと記憶している。

五月の連休頃から上空にマイナス24℃ほどの寒気が流れ込み、地上では二十度ほどに気温があり、その温度差は何と四十℃もある。

この上空と地上の高い数値の温度差が、地上で暮す私たちに少なからず影響しているに違いない。稲妻が走り、雹が降り、竜巻が起こったりして、大きな被害も出ている。そしてこうした急激な温度変化は人間の健康にもダメージを与えて、風邪をひく人たちが増えているようだ。

私は、この冬も一度として風邪をひかなかったし、病気なんかになって寝込んだなんてことは、この歳までほとんどない幸せな男なのだ。

しかし、もう若くはないから、冷えてきたなと思うと、ジャンバーを着込んだり、靴下をはいたりと気をつかうことは忘れない。それでも鼻水が出てしまうようなことはある。そんな時は熱めの風呂に入り、頭を冷やさないように、ナイトキャップを必ず被って寝ると翌朝には治っている。

風邪薬のコマーシャルに、「あなたの風邪は、頭から、鼻から、喉から?」というのがあり、三種類の風邪薬を紹介していたが、まあ、このコマーシャルの問いかけに私が答えるとしたら、「ぼくのは、鼻水そして頭から」ということになる。

だから、鼻水が出たりして、頭が寒いなと感じたらすかさず、「正ちゃん帽」をかぶる。これで大丈夫なのだ。ところが、この「正ちゃん帽」をよくあちこちに脱いだままで、見つからないことが多い。そこでついつい買い足して、けっこうな数になっている。しかしまあ、そう高価なものではないし、風邪で通院することを思えば安いものである。

小さな頃、そう保育園時代だった、わたしはおたふく風邪にかかり、冬だったので炬燵の横に布団を敷いて、母に看病してもらった時のことを今でも覚えている。今日は母の日です。日曜礼拝の中で、園児たちが母親たちに、ささやかながら、プレゼントを渡すことになっています。

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2012年5月12日 (土)

ツバメの子育てを応援しよう日本

20120511_09h1 五月の連休明けの一週間、幼稚園児たちは、安曇野の自然の中へ連日、ロッキーも一緒に散歩に出た。この季節としては異例のマイナス20℃以上の寒気が上空に進入しているとかで、確かにやや冷たい空気を感じる一週間だった。

しかし、犀川の流れで泳ぐロッキーを眺めたり、田植えの始まった広々とした田圃の中に続く田舎道を歩いたり走ったりする気持ちのよい一週間でした。

昨日は、幼稚園を現場の教諭にまかせて、私は安曇野赤十字病院へ、朝八時半から九時半、十時半から十一時の二回に分けて出かけて、血液検査と診察を受けた。「痛風」予防の尿酸値をはかるのを主目的とした定期の検査である。病院が近くなので朝一番の予約をいれておき、血液検査の結果が出るまでの一時間は、幼稚園に戻り、朝の会をすることも出来た。病院が近いと便利である。検査結果は今回も尿酸値は5.0で異常なし。

20120511_09hh ツバメの日本への飛来が激減しているらしい。そういえば昔のこの季節は電線に多くのツバメたちがビッシリと列を作って、あの黒の燕尾服姿を並べていたのに、いつの頃からか見かけなくなったなあ。

いよいよこの日本は、ツバメたちにとっても子育てしにくい環境になったのかなあ。人間社会も子育てがしにくい時代となり、子どもの数が激減し、それと同じにツバメたちすら、この日本にやって来なくなったのかなあ。なんだか、とてもさびしい気持ちになる。

昨年見た、豊科警察著前のコンビニの非常ベルの上のツバメの巣のことを、私は思い出して、病院の帰りに寄ってみた。やあ、ありました。昨年と同じ場所に親ツバメが入って卵を温めている姿が。そして、私か見続けていると、もう一羽が飛んできて、のぼり幡の上に乗って少し警戒されてしまった。頑張れつばめたち!。

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2012年5月 8日 (火)

驚きと輝きに満ちた自然の中へ

417e87tzh8l__sl500_aa300_ 生命科学者、遺伝子学者の村上和雄さんは、その著書「生命のバカ力」(講談社新書)の中で、ヒトのDNA(遺伝子)情報を読んでいて、不思議な気持ちにさせられることが少なくないと語り、以下のように記している。

これだけ精巧な生命の設計図を、いったい誰がどのようにして書いたのでしょうか。なんの目的もなく自然にできあがったとしたら、これだけ意味のある情報にはなりえないと思います。

万巻の書物に匹敵する膨大な遺伝情報を、極微な空間に書き込み、しかも、それを正確に一刻の休みもなく作動させている遺伝子は、人間の理性や知性をはるかに超えたもののはたらきによって誕生した、まさに奇跡としか表現のしようのないものです。

神でも仏でもなんでもいいのですが、そういう存在を私は、「偉大な何者か」という意味で「サムシング・グレート」と呼んできました」。

こうした驚きの発見は、遺伝子という超ミクロの世界の研究科学者たちばかりでなく、今度はマクロの宇宙にも目を向ける科学者たちも同じなのだ。宇宙科学者の村山 斉著「宇宙は何でできているのか」の中で、地球の自転の速度が、時速1,666キロのスピードで回転しつつ、今度は太陽の周りを時速10万8,000キロのスピードで周回し、なおかつ今度は天の川銀河全体の重力にひっぱられて、私たちの太陽系全体が、時速80万キロメートルという猛スピードで宇宙空間を移動しているというのだ。これにはもう、絶句してしまう驚きである。

私の専門分野は、まあ一応「聖書」だが、まさに、村上和雄さんが言っている「サムシング・グレート」は、聖書の語るこの宇宙の、そしてその中にある全ての物質や物理法則や、生物など、あらゆるものの創造主なる「神」なのだと、私は、科学者たちの発見を聞けばきくほど、強く感じるなあ。

だから、私は聖書はもちろんだが、最新の宇宙科学関連の本や、生命科学の本は、数多く読んでいる。最初は難解で゜理解できなくても、何回も繰り返し読んだり、何冊もたくさんの本を読んでいるうちに、自分なりに理解できる。そして、その驚異の世界には本当に興奮してしまうのだ。

さあ、今朝の安曇野は快晴である。やわらかな感性を持った幼子たちと一緒に、驚きの自然の中へロッキーも一緒に飛び出そう。

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2012年5月 7日 (月)

ボクも、WALL-E と握手したいなあ

Wallebt1 連休が明けると例年のように、砂場の上の藤棚が新緑で茂り、紫の房状の花が咲いた。そして黒くてユーモラスな丸型の熊ん蜂が羽音を響かせてゆったりと姿を見せてくれた。園庭の周囲も雑草などで緑となり、葉桜となった木の下は、森の中の小さな広場の景観である。

伊那高原の我が家の庭にも、色とりどりの花が咲き、太い欅の樹は新緑の葉を茂らせ始めて、爽やかな風に、うれしそうに、そのしなやかな枝を揺らしている。

今日、私は子どもの日にNHKが放映した『ウォーリー』(原題: WALL-E ) を、録画で観た。いやあ、あっというまの一時間半だったなあ。説明やせりふを必要としない動く絵本といった心温まる映画だった。

12749619204bfe6000acae7_import_2 宇宙のかなたの巨大な宇宙船内で暮す人間たちも、重力や運動不足の関係で、骨は小さくなり風船のような赤ちゃん体型で、みんな可愛い顔をして無邪気である。身の回りのことから健康管理いっさいを、これもまた可愛いロボットたちがやってくれるんだからなあ。

そうしたロボットの中で、故障して修理室に収容されていたロボットたちの一団の動きがユーモラスである。コンピューターの大ボスが、プログラムされた通りに、正確に冷酷に任務を行うのに対して、故障した一団は、その故障がゆえに、失敗があり、そこに私たち人間は、共感する。

しかし、宇宙船内で忠実に掃除だけを任務とする、消しゴムのような小型ロボットの動きというか、働きぶりは実におもしろかったなあ。汚れまくった地球に一台だけ残ったごみ処理ロボットのウオーリーが、汚染物質持ち込み厳禁の宇宙船内に侵入し、磨きぬかれた床を動き回る、その汚れの跡を、「オー!」と驚きの声をあげて、素早く次々と掃除して行く様に、私は大笑いを繰り返していた。

緑の自然、青い空や青い海、この美しい惑星に生きる私たちは、この地球をゴミで満ちた茶色と灰色の惑星にしてはいけない。そう、子どもたちや大人たちの心に訴えている、素晴らしい映画である。まだ観ていないみんなに、お薦めしたい作品である。

P1050756h さあ、連休も終わって、新緑の目に眩しい安曇野の自然の中へ、今週はロッキーと一緒に、幼稚園のみんなで飛び出すとしよう。暑い日は、中房川でもう泳げるかもしれないなあ。

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2012年5月 4日 (金)

感動と涙

20120503_1138h_2 私の日課となっているロッキーとの散歩。その伊那高原での散歩コースは幾つもあるが、昨日、我が家から南へ車で十分ほど走った谷川南の高台に、とてもいい散歩コースを発見した。そのコースを今日も歩いた。深い谷沿いに西山へと続く道は、途中から山中に入り、しばらく行くと、その山林は陽の当たる道へ出る。まだまだ、こうした私にとって未知の道の発見がある。これが、伊那高原の自然の奥の深さなんだなあ。その高台から見る北側の風景は素晴らしいものだった。

20120503_1139h この連休のもう一つの感動は、借りて来たDVD「THE BUCKET LIST」であった。字幕では「棺桶のリスト」と翻訳されていたが、ガンの末期を迎えた六十代の男二人が病室で偶然に出会う。そして二人は、棺桶に入る前に、これだけはやっておきたい事を、一枚の紙に書き出した。そして、一つ一つをやり終えて、死を迎える物語であった。やあ、久しぶりに胸が熱くなり、涙が溢れたなあ。

20120504_1033h 感動と涙は、人間らしい心の情動から起こる素晴らしいものだと私は思う。感動には長寿を呼び、若さを保つ効果があると、遺伝子学者の村上和雄著「生命のバカ力」に書いてあったが、私もそんな気がする。そして、この本にもう一つおもしろいことが書いてあった。

51o9avxak9l_2 それは、「涙」についてだった。人間は毎日体内からさまざまなものを排泄して生きている。うんこ、しょんべん、鼻水、ヨダレ、血液も体外に出たとたんに、私たちは汚物と感じてしまう。しかし、この「涙」だけは違う。涙を流す人を見て、汚いと感じたりはしない。

しかし、最近というか、現代人は涙を流す機会が減ってしまっていないだろうか。怒ったり、泣いたり、笑ったり、恐がったり、開放感に浸ったり、素晴らしい驚きに、身震いするほど感動したり、そんな感情の高まりを、日常生活の現実の中で体験出来ることは、きわめて人間的で、素晴らしいことだと思う。これこそが生きている実感なのだ。

61njqczlwtl__sl500_aa300_ 今日の散歩コースで、私はゴツゴツした大きな樹に、どうやら熊が背中をゴリゴリ押し付けたらしいゴワゴワの毛を見つけた。その毛が付着した高さからして、私よりやや背の低い熊らしかった。その樹の下には、熊が両足で立ち上がり、ふんばったらしい足跡らしきものもあった。

ロッキーが、さかんに鼻をヒクヒクさせて、あちこちと身を低くして走り回っていた。様々な鳥たちの鳴き声が響いていた。私にわかるのは、ウグイスの声だけだったが、他にもきれいな澄んだ小鳥の声が響いていた。決して「沈黙の春」ではない、伊那高原の山林だった。谷底から吹き上がる、涼しく爽やかな風が、汗ばんだ私の身体に心地よかった。山間部の水田からは、昼間なのに蛙の合唱が響いていた。

陽の当たる帰り道の高い土手一面に、「こごみ」が群生していた。両手いっぱいに摘んで持ち帰った。車を駐車しておいた場所まで戻り、帰りに、何でも屋へ寄り、行者ニンニクと冷凍塩イカが二十匹以上入っている一袋を購入して、帰宅した。さーて、今日の午後も、また読書だな。

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2012年5月 3日 (木)

暗い本と 明るいニュース

昨夜、枕元の灯りを消して寝る前に、スマートフォンでニュース画面を出して眺めていたら、読売新聞20時52分配信で、何とも明るく楽しい記事があって、大笑いしてしまった。おかげで、やや暗いいやな気分が完全に吹っ飛び、やすらかな眠りにつくことが出来た。そのなんとも楽しいニュースを以下に記しておきたい。

迷子インコ、警察で住所を話す…自宅に帰る

201205025364701n相模原市で拾得物として保護され、警察署に届けられたセキセイインコが、飼い主の住所を正確に「自己申告」した結果、2日、無事飼い主の元に戻ることができた。

 このインコは、同市緑区橋本の主婦高橋文江さん(64)が飼っている「ピーコ」(オス、2歳)で、2年前の母の日に長男からプレゼントされ、かわいがっていたという。

 高橋さんは4月29日午前7時頃、鳥かごの入り口をうっかり開けたままベランダにつるしてしまい、約1時間後、いなくなっていることに気付いたという。同7時半頃、約50メートル離れたJR橋本駅近くのビジネスホテル前で、宿泊客の肩に止まり、相模原北署に届けられた。

 同署で世話をしていたが、1日朝になって突然、「ピーチャン」と話し、同日午後には「サガミハラシ ハシモト」と住所も話し始めた。職員数人が注意深く見守っていたところ、同8時頃には、高橋さんの住所を末番まで一度だけ話したという。

 同署員は翌2日朝、ピーコが話した住所を訪ね、高橋さんが飼い主と確認した。

 高橋さんは、「前も飼っていたインコを逃がしてしまったことがあったので、住所を覚えさせていた。帰ってきてくれて本当に良かった」と喜んでいた。
2012年5月2日20時52分  読売新聞

この夜、私が読んでいて、気分的にやや暗くなっていたのは、ドイツミュンヘン生まれの弁護士が書いた「犯罪」(東京創元社)だった。

犯罪現場に見る現代社会の人間の闇の深さは、どうしようもなく、救いようの無いところまで来ているようで、読むだけでも何とも暗い気分になるが、そんな面ばかり見ていたら、こちらの心まで崩壊しそうになる。しかし、迷子インコが、警察で住所を話し、飼い主の待つ自宅へ戻れたなんて、やあ、いいニュースだなあ。今朝もまだ私の心は気分晴々である。

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2012年5月 2日 (水)

The Sense of Wonder ラッパ水仙

P1080628hh 今日は時間と共に降水確率が高くな.るらしいので、早くにロッキーとの散歩に出た。降ったとしても車にはいつも雨具を置いているので特に困ることはない。

昨日は夏用の軽いシャツを着ていても胸元を開き、袖も上げて歩く暑さだったが、今日はジャンバーを着込んで襟をたてて歩いた。曇り空で、北風が強かった。

天気が崩れる時は、南風が強くなるが、北風だったので、雨が降るのは夕方以降になるかもしれないなと思った。

散歩を終えて帰りにTUTAYA書店に行った。駐車場には車が無く、休みかと思ったが、私が早すぎたのだ。時計を見ると開店の十時までまだ十分ほどあった。

入り口に待機していた店員に「いらっしゃいませー」と頭を下げられて入店した。こうされると、立ち読みだけで帰るわけにもいかないなあと思った。しかし、実は昨日迷った本を、この日は買うつもりでいたので、それを購入し、週刊誌のコーナーで週刊誌を立ち読みした。

民主党の小沢に隠し子がいるが、田中角栄は自分の隠し子に愛情注いだが、小沢は愛人の妊娠を知ると中絶を迫り、生まれた男の子の認知もしなかった冷たい男であり、田中とは人物の大きさも政治家としての手腕も小さく小者だといったような記事を読んだ。

絵本コナーへ回り、「おかあちゃんがつくったる」の絵本を読んだ。ミシンで着る物を何でも作り、小学生のボクとお姉ちゃんを育てる肝っ玉かあちゃんが明るくていい。しかし、父親参観の日が来た。病気で死んでしまったので、おとうちゃんのいないボクだが、さーて、ボクのおかあちゃんはどう出る…。

次は文庫本コーナーへ行って、五木寛之著「新・幸福論…青い鳥の去ったあと…」を斜め読みして、「あとがき」だけをじっくり読ませてもらった。幸せは永遠には続かず、かならず消えて去ってしまうものだ。だからこそ、人はそんな、永遠には続かないで消え去る運命にある「幸せ」を求めるのだろうと記し、浄土とか天国が永遠に続く幸せのある場所だとしたら、きっとみんな飽きてしまうかもしれないといったようなことを書いていた。

P1080629h 帰宅して、庭に出ると、ラッパ水仙が強まってきた風に揺れていた。スノードロップもそうだが、「不思議だなあ」、「すごいなあ」とつくづく思う。冬には地面の下で、これらの生命は息をひそめて沈黙し、忍耐し、じぶんたちの春が来ると、DNAの各スイッチがONとなり、こんなに立派な花を咲かせて、この庭の主を楽しませ、希望や勇気を与えてくれる。自然は偉い、そして、私といつも一緒に喜んで散歩してくれるロッキーもえらい!。

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2012年5月 1日 (火)

不思議だなあと思える感性

P1080627h 自然の持つ生命の輝きに、感動する季節である。数年前にロッキーとの散歩途中で、この季節に目にした何とも清純で美しい小さな花と、その純白の花びらに描かれた緑の模様に接した時の感動は今も忘れない。
それがスノードロップという名の花であると知ったのは後のことだが、こうした理性で知る知識以前の感動こそが大切なのだと思う。
こうした驚きや喜びや感動は生きるための力となる。こうした感性こそが、科学することの喜びや探究心へと繋がってゆくのだと思う。そこに本当の知識が育まれて行くのだ。
ノーベル受賞者でもある物理学者の朝永 振一郎は、「ふしぎだと思うこと これが科学の芽です よく観察してたしかめ そして考えること これが科学の茎です そうして最後になぞがとける これが科学の花です」と語っている。
不思議だなあとの、この感性こそが、全てのスタートなのだ。だが、このノーベル受賞者の語る科学の花とは、どのようにという科学的プロセスの解明がなされた結果であり、全ての不思議が解明されるわけではない。これから先は哲学や宗教の分野になるかもしれない。
幼子と一緒に「きれいだねー!、ふしぎだねー!」と、いくつになっても、共に感動ばかりしている私である。だから、生物や生命科学や宇宙関連のこれはと思う新刊本は必ず読み、インターネットで最新の研究レポートにも関心を持って、いつも目を通している。
Rachel L. Carson著「センス・オブ・ワンダー」も、この本の題名が示しているように、知識とか、研究以前に、この「不思議だなあ」と感じる、五感を通して感じる感動や感性こそが、知育よりも何倍も大切だと語りかけている。

子どもたちへの一番大切な贈りもの。それは、美しいもの、未知なもの、神秘的なものに目を見はる感性「センス・オブ・ワンダー」を育むために、子どもたちと一緒に自然の中へ足を踏み入れて、探検することだと、この本の著者は語りかける。この五月の連休、幼稚園のみんなは、どのように家族と一緒に過ごしているだろうか?。
自然探検と言うと、小さな庭や、都会の公園などの環境の中にいる子どもたちには無縁のことのように感じるかもしれない。しかし、庭や道端にある小さな草花であっても、そこには必ず、ふしぎが隠されている。そして公園などで、もう見飽きたと思っている木であっても、四季を通してよく観察していると、驚くような変化があることに気づくはずです。
そして、子どもの時のこの「不思議だなあと思う感性」こそが、ある究極の存在へと導いて行く力となるような気がする。この究極の存在を神とか仏と呼ぶ宗教者もいるし、サムシンググレートと呼ぶ科学者もいるけど、この宇宙が、自然界が、一人ひとりに、いろんなことを語りかけていることだけは、誰もが否定できない真実だと思う。

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2012年4月30日 (月)

ツバメたちの季節

05202 ロッキーがソファーの上に顎を伸ばして伏せの姿勢で寝そべって、開け放ったガラス戸の外を薄目で眺めている。その目は眠たそうに閉じたり開いたりしている。

そのロッキーの目線の先、二メートルもない距離のベランダで、今朝もヒヨドリが残りのドックフードを啄ばんでいる。ヒヨドリの嘴に入れるには、ロッキーの食べるドックフードはやや大き過ぎるので、ステンレス製の餌鉢のふちで「カン、カン」と音をたてて砕き、ヒヨドリは飲み込んでいる。

最初の頃はロッキーが、のっそり出て行って、そんなヒヨドリを追い払ったが、最近は、また来たか、といった表情で、そのままウトウトしている。ヒヨドリも近くにロッキーがいることも、さらに私の姿も見えているに違いないのだが、特に警戒しすぎることなく、馴れ馴れしい態度になっている。

雪の降る厳しい冬は、庭に餌場を作り、パンやりんごを提供していることもあり、ヒヨドリは特に警戒することなくやって来るのだろう。妻が庭で洗濯物を干したりする様子を近くの欅の木の枝で眺めたりもしている。

しかし、このヒヨドリがいることで、時たま見かける、姿かたちの美しい小鳥たちや、小さくて可愛い雀たちが、あまり姿を見せなくなるのが残念である。ヒヨドリは、我が家の庭を自分の縄張りとしているらしく、他の鳥たちが来ると鋭い鳴き声を発して追い払うのだ。困ったやつである。

近くの電線に目をやると、ツバメたちの姿が多く見られるようになった。一ヶ月ほど前の四月の上旬に、三峰川への散歩の時に、この春初めてのツバメの姿を見たが、今では伊那高原のあちこちで普通にツバメの姿を見られるようになった。

日本の春は、多くの虫たちが爆発的な数で発生するらしい。だから、年間を通じて特に餌には困らないフィリピンなどの国にいるようなツバメも、わざわざ日本にまでやって来て、子育てをするらしい。

我が家の庭の草花などを見ていて、そろそろ雨を必要としているなと感じると、よくしたもので、今朝のように曇り空になり西から雨が降り出すことになる。さーて、雨が降り出す前に、ロッキーと今日は三峰川へ散歩に出るとしよう。それから、帰りに少し書店により、帰宅したら読書の続きだな。

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2012年4月28日 (土)

伊那高原 初夏の陽気

P1080622h_2朝から気温が上がり、一気に初夏のような陽気で、私はジャンバーを脱ぎTシャツ一枚でロッキーとの散歩に出ました。標高900メートルほどの伊那高原の牧草地です。

帰宅したロッキーは外水道へ行って、新鮮な水をガブガブと飲んだ。私も水道でザブザブ顔を洗い、冷蔵庫へ直行して、スポーツドリンクをがぶ飲みした。

私が座る食卓から眺める我が家の庭もすっかり春。まだ欅の木は芽吹いていないが、この連休中にはハッキリと芽吹いてくるに違いない。いやあ、本当にいい季節になったなあ。

さーて、爽やかな風の吹き込む窓辺に寝転んで、読書でもするとしよう。村上和雄著「生命のバカ力」(講談社新書)である。確かに冬を越した自然が、爆発的に息吹き、緑を増すこの季節は、自然の生命の持つバカ力を感じる。

しかし、この本は、人間にも、自然に負けないようなバカ力が、みんなのDNAの中に、30億年の進化の過程で蓄積された32億文字のバカ力の発揮の仕方が記されていると書いてある。

まあ、そんなにバカ力を出す必要もないと思うが、これからの季節に向かって、目的や目標を持って、俺なりにチャレンジだな…。

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2012年4月27日 (金)

2012花吹雪のお花見会

04126 今日の幼稚園の野外教室は安曇野の西山沿いに広がる里山へ出かけました。桜や花桃のピンクや紅色が鮮やかで、それを見る私たちの心の中にもそんな鮮やかさが反映され、華やいだ気分になってしまった。

少し山奥へ続く道を入ると小柄な猿たちが山中の草原のあちこちにいた。この猿君たちは、厳しい冬を、何処でどうやって過ごしていたのだろうか。まあ、これからの季節は少しのんびりと過ごせるかもしれないな。

ウグイスの声も聞こえた。私が「ほー、ホケキョ」とウグイスの鳴き声を真似すると、谷川の流れの奥の山中から、本物の鳴き声が返ってきた。こんなことを何回か繰り返すと、ウグイスの鳴き声がだんだんとうまくなっていた。それで、私も園児たちも嬉しくなって、ニコニコ笑顔で耳を澄ませたのだった。

帰りに、木彫りを六十年も続けてきたという今年八十歳になるという方の作品を見せてもらうことが出来た。谷川の流れの近くの林の中に、その工房というか仕事場があり、「自由に見ていって下さい」の看板が出ていたので、中に入った。

ロッキーも一緒だったが、「ほー、立派な犬だねー」とほめてくれ、犬まで歓迎してくれた。数え切れないほどの自然木を材料とした作品が大小様々に並んでいた。犬も子どもも大好きだと言って、子どもたちにもロッキーにも、親切でやさしいおじいさんは飴を配ってくれた。

その山小屋風の工房の表には、とっても太くて大きな様々な形をした自然木が無造作に置いてあり、日本昔話に出てくる「こぶとりじいさん」が、鬼たちの踊りを見る時に隠れたような樹洞を持った太い木があった。子どもたちは、その樹洞に代わる代わる入ってワクワク気分になっていた。

P1080620hそうそう、今週の水曜日には、みんなで、教会&幼稚園の庭の満開の桜の下で、お花見会をしました。焼肉とお団子の上に、すごい花吹雪が舞い、焼き肉やお団子にその桜の花びらがくっ付き、いちだんと美味しい味がしました。さあ、幼稚園は明日から大型連休に入ります。本当にいい季節になったなあ。

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2012年4月24日 (火)

昭和の国鉄 「カレチ」に感動

51v1q9a1jjl__sl500_aa300_ 現在のJRが、「国鉄」と呼ばれていた昭和40年代の国鉄を舞台にした漫画「カレチ」の1巻~3巻を感動を持って読んだ。「カレチ」とは、「客扱専務車掌」の職場内呼称であるらしい。

昭和40年代はラーメンが35円ほどの時代である。この本の主人公も目玉焼き定食(目玉焼き二個に生野菜とみそ汁付きで40円)を社員食堂で食べている。まだコンビニも携帯もない時代だった。しかし、そんな物はなくても日本全国に活気が溢れ、人間の心が、その大切な人情味がまだまだ列島全体にあった、よき時代だった。

その当時の国鉄に就職して一生を鉄道で勤め上げた中高時代の私の友人は多い。その国鉄時代の若い車掌が主人公の漫画であり、現在三巻まで発刊されている。

鉄道ファンでなくても、鉄道全般の仕事内容と全国各地の旅情も含む人間模様が描かれたこの作品には、きっと心打たれるに違いない。一話ずつの完結で興味深い内容であり、心温まるストーリーで満ちている。

Popo5 繰り返しになるが、我が青春を振り返ってみると、昭和は本当によき時代だったなあと、つくづく思う。働く気さえあればいくらでもいろんな仕事がいっぱいあった時代である。あの「ぽっぽ屋(鉄道員)」の映画とも重なる漫画作品である。

私がマンガ本を手にするのは久しぶりのことだが、この本はNHKラジオ深夜便で、一般書と一緒に紹介していたのを聞いて、購入した。まだの人や、漫画なんてと思っている人にも、お薦めの本である。

さーて、今日は朝から青空が広がっている。どうやら快晴になりそうだ。日中の気温は夏日になりそうだと天気予報も伝えている。

昭和の過去だけでなく、今の私には、まだまだ安曇野にある教会&幼稚園の職務の続きがある。これからも自分らしく、昭和の主人公「カレチ」に負けないように、温かい心を忘れず頑張るとしよう。

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2012年4月22日 (日)

満開の桜の下で 16歳のラブに再会

P1080608h今日の日曜礼拝を終えて、テレホンメッセージの録音も終えて、教会員たちも園児とその家族たちも帰ってロッキーだけがポツンと残る庭へ、私は出ようとしていた。

曇り空の下、満開の三本の桜をもう一度ゆっくり眺めようと思っていた。私が安曇野で迎えた31回目の満開の桜である。

20120422_11h ちょうど事務室を出ようとした時、駐車場に一台のトラックが入って来た。その荷台に一頭の黒のラブラドール犬が乗っていた。16年前に、私が飼っていたクロスの産んだ8頭の子犬のうちの一頭だった。私はすでに亡くなっているのではと、思っていただけに驚き、そして嬉しかった。

それにしても、こうした大型犬が16歳まで元気に長生きしているのはめずらしい。私の愛犬たちは12歳前後でその生涯を終えている。ハスキー犬のジョンも、ラブラドール犬のクロスもそのクロスの子だったリーも…。

P1080617ah 当時私たちの幼稚園の年中組にいた女の子の家に、このラブと名付けられた牡はひきとられて行った。その時の女の子は今は大学三年生になったという。

今日初対面のロッキーとラブは、最初は両方とも緊張していたが、満開の桜の下で、しばらくすると落ち着いた関係になっていた。ロッキーは三歳、ラブは16歳。16歳という犬の年齢は、人間で言えば100歳を超える高齢なのだ。そうかあ…、リーのきょうだ犬だったんだなあ。

P1080619h 私の処へもっと早くに連れて来たかったらしいが、私との再会を最後に、一気に弱って死期を迎えるようなことがあったら悲しい…、との思いもあって満開の桜のこの春になったらしい。

確かに愛犬との死別は悲しい。しかし、悲しみを遥かに超えた数々の想い出を確実に残してくれるのが犬である。犬と出会ったことで、どんなに豊かな人生が送れることだろうか。

しばらくして去って行く、荷台の上のラブに、「げんきでな!」と手を振りながら、私は母犬であったクロスのことを想い出し、クロスに対する深い感謝の思いが熱く湧き上がるのだった。犬はえらい!。

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