2009年12月29日 (火)

山頭火を思い出した 年の瀬散歩

P1040478ah伊那高原の昨日の天候は変化が激しかった。朝は小雨、そして晴れ間、やがて激しい霰(あられ)が激しく舞い、夕方にはまた明るい夕陽が降り注いで一日が終った。

よく天気予報で、「今日の長野県南部は晴れ、しかし山沿いでは雪となるところもあるでしょう」と言ったりする。その西山沿いに我が家は位置している。そこからさらに西山に近づいた標高千メートルほどの牧草地を、昨日はロッキーと散歩した。

P1040474ah ゆるい坂の上に青空があり、白い雲がやや低く広がっていた。ところが目を西山に移すとそこは吹雪いていた。やがて、私のジャンバーの表面をパラパラと音をたてて激しく霰が叩き始めた。風も強まり、枯れススキの群生が、突然狂ったように大きく揺れ動いた。

こんな時、ロッキーは立ち止まって、必ず風上に鼻を向ける。犬はその吹いてくる風の中にきっと多くの情報を嗅ぎ取っているのだろう。それからチラリと私の方を見て、ボスの動きを読みとりまた走り出す。

この一年も、こいつとよくあちこちと歩き回ったなー。山頭火のいくつかの俳句をこの日は思い出していた。そして、口に出していた。その私の声にロッキーが風下で気づいたらしく、ちらりと振り返った。そして、また向こうへ走り去った。

分け入っても 分け入っても 青い山

雨ふる ふるさとは はだしで歩く

すすきのひかり さえぎるものなし

岩かげ まさしく水が沸いている

ここで泊まろう つくつくぼうし

まつすぐな道でさみしい

独りで歩いた山頭火と違い、この私にはいつも犬が一緒だからいいが、独りではやはりさびしいだろうなー。今年もあと三日だなー。今日も少し早目に散歩に出るとしよう。そして、五木寛之著「親鸞」の続きを読むとしよう。昨夜に上巻を三分の一ほど読んだが、なかなかドラマチックでおもしろい。

51eudqiefel__sl500_aa240_妻の生まれ育った京都の家のすぐ近くに鴨川が流れていて、今は自然公園として整備されている。その川沿いの道を犬たちとよく散歩したが、親鸞の生きた時代、その鴨の河原は死体が累々としていたのだ。そして、白河法皇、下人、非人などと、人々に差別階層が色濃く存在した時代のようだ。

この本の前半で五木寛之氏が言いたいのは、流行り歌を紹介している個所だろうなー。私たちクリスチャンは祈りの最後に「…主(イエス・キリスト)の御名(みな)によって祈ります」と言う。仏教では、「阿弥陀様」の御名をとなえて救いを求めたのだ。この流行り歌の歌詞は私にもよく理解できる。最後まで読まないとなんとも言えないが、これがこの上下巻の「親鸞」の本のテーマなのだろうと思う。京都の義母の仏壇は、この浄土真宗であり、「南無阿弥陀仏」と唱えて信心する者に阿弥陀様は「まかせなさい。必ず救うぞ」と応えて下さるのだ。これはキリスト教と全く同じである。イエス・キリストと阿弥陀様の名前の違いだけである。私はそう思う。

以前に、京都の家で義母と一緒に浄土真宗のお坊さんの説教を聞いたことがあった。その時、「この阿弥陀さんというのは、聖書ではキリストのことやな」と直感したのを今でも鮮明に覚えている。

みだのちかいぞたのもしき

じゅあくごぎゃくのひとなれど

ひとたびみなをとなうれば

らいごういんじょうたがわず

さーて、ロッキー!、散歩に出るぞー。


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2009年12月28日 (月)

2009 心に残る絵本 ベスト3

51fcqfm7gyl__sl500_aa240_ 今年、豊科シオン幼稚園の園児たちが喜んだ絵本のベストスリーを紹介すると、一番は「ともだちくるかな」(偕成社)である。オオカミは自分の誕生日を一日早くに間違えていて、ともだちのキツネがプレゼントを持ってお祝いに来るのを朝早くから夕焼けの夕方までそわそわと待っていたが、とうとう来なかった。そして夜が来た。

元気をなくしたオオカミはいろいろやってみたが、やっぱり涙がポロリとこぼれた。そして、こんな悲しい思いになるのは自分に「心」があるからだと気づき、こんな「心」なんかいらないと捨てることにして、「心なんかいらないぞー!」と大声を出して、翌日の野原に捨ててしまう。

そして、「あー、さっぱりした」と野原に寝転んでふわ~んとおならまでしているところへ、大きな誕生ケーキとオオカミさんの大好きな車のおもちゃを持ったキツネが現れる。さー、どうなる!。「えー!、オオカミさん、心を捨ててしまったの?!。じゃあ、これからクリスマスが来ても、お正月が来ても、ぼくが遊びに来ても、ちっともうれしくないんだね?!」と驚くキツネ。さあどうなる!。

Photoh_2 第二位は、「おちゃのじかんにきたとら」(童話館出版)である。ソフィーの家に突然毛むくじゃらのしまもようの大きなトラがやって来る。そして、「ごめんください、ぼくとってもおなかがすいているんです。おちゃのじかんに、ごいっしょさせていたたけませんか?」と言うではないか。さー、どうなる?。もちろんやさしいソフイーとお母さんは「もちろん、いいですよ!」と家に招き入れます。さー、どうなる?!。たった一回のトラのこの訪問の物語に、私は「一期一会」(いちごいちえ)の言葉を思い起こした。それと、靴屋のマルチンの物語をも…。

以上二冊は、私たちの幼稚園にはオオカミのようなハスキー犬のジョンがいたことや、現在はライオンやトラのようなゴールデンのロッキーがいることも関係して、園児たちの心をとらえ、感動したのかもしれない。

51ffqgj5k2l__sl500_aa240_ 第三位は「どんなにきみがすきだかあててごらん」(評論社)である。自然の中で自由に暮らす小さなノウサギと大きなノウサギが、お互いに大好きであることを、どうやって表現しようかと競い合う。例えば背伸びをしたり、遠くに続く道の長さで示したり…。やがて日が暮れて空に三日月が出る。このラストシーンはしみじみといい。

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2009年12月27日 (日)

2009年 最後の日曜礼拝です

12055 今朝も明るい太陽光が伊那高原の我が家の東に面した窓を照らしている。今日はこれから安曇野にある教会&幼稚園へ向かう。二泊三日で遊びに来ていた孫たちも一緒である。共働きの長男夫婦も礼拝へ出席する。

長男は福祉施設で働いているので必ずしも日曜日が休みとならないが、勤務ローテーションが日曜休みの日は出席している。

この日曜日には長女夫婦も孫も出席する。こちらも夫は日曜日が勤務となる週もあるが、それ以外の日曜日は家族で礼拝に出席している。

こうして、日曜ごとに我がファミリーが教会で顔を合わせて共に礼拝できることは幸せなことである。巡り来る新しい年も、いろいろあるだろうが、この日曜日の礼拝を大切にして、歩んで行けたらと思う。

先週共にクリスマスの礼拝と祝会をした豊科シオン幼稚園のみんなにもこの日曜礼拝で会える。みんな風邪などひかないで今日も元気な顔を見せてくれるに違いない。さー、ロッキーも一緒に出かけるよー!。

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2009年12月26日 (土)

強欲な資本主義社会の崩壊

資本主義社会は対立する二つの階級から成り立っている。有産階級と無産階級、すなわちブルジョアジーとプロレタリアートである。プロレタリアートは自分の肉体以外に生産手段を持っていないのが階級としての特徴である。

この資本主義はイギリスで生まれた。その土台となったのは産業革命による富の蓄積である。富がだぶつくことなしに資本主義は生まれないし、発展もしない。

しかし、このイギリスで生まれた最初の資本主義は人間を大事にする理念を持っていた。労働者の「幸せ」という問題を考えていたということである。つまり労働時間の短縮とか福祉の充実ということが資本家の課題でもあった。「揺りかごから墓場まで」という言葉がイギリスの社会福祉の目標として掲げられた。

こうしたイギリスの資本主義から生まれたのが社会主義である。イギリスに亡命していたカール・マルクスは、プロレタリアートの幸せを確立するためには資本主義から社会主義への移行が必要だと主張した。

いずれにしてもイギリスで始まった資本主義は労働者の幸せという命題を抱えたものだったのだ。

一方、遅れてきたアメリカの資本主義は、資本家と労働者の階級対立を激化させないためにアメリカがとった手段は労働者をなくすということでした。これは、意識としての労働者の消滅をはかった。労働者に消費者意識を徹底的に植えつける。全員を消費者にしてしまおうとの戦略でした。

こうして消費者にお金を持たせれば待たせるほど購買意欲が高まり、さらなる消費に向かう社会にしたのです。これに1960年代から追従したのが日本の資本主義です。強欲な利潤追求、大量生産、大量消費、ゴミの山、環境破壊など等…。もはやこうしたアメリカ型資本主義は崩壊に至ること必至であるといえる。

以上は、ひろちさや著「仏教が教えるこころが穏やかになる話」(青春出版)の中に記された資本主義の概要である。なるほどなーと思う。人間の限りない欲望は決して人間を幸せにはしない。このことに仏教徒でなくても、みんなが気づき始めているのではないだろうか。原始時代に戻れとまでは言わないが、エコ生活に徹して、一人ひとりが真に自由な時間を獲得する豊かさに向かう時代へ人生の舵をとる時に来ているかもなー。

P1010560kh それと、今の不況の時代に一番安定しているのは、国家公務員だもんなー。公務員は代表的な社会主義の立場だもんなー。今のアメリカ型や日本型の大量生産大量消費、ゴミの山の強欲な資本主義は間違いなく破綻だな。犬とゆったりと散歩する時間を持ち、最低限の物に囲まれて、欲はなく、爽やかな自然の中でのんびり暮らせる社会。一週間に三日ほど働き、一日の労働時間もせいぜい五時間内でも、けっこう社会は維持できる、そんな社会も実現可能だと思うがなー。なー、ロッキー!。

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2009年12月25日 (金)

孫たちと歩く伊那高原の空の下

P1040440ah 孫たちと伊那高原の自然の中を一時間ほど歩き回った。風はなく寒波も去っていたので比較的暖かな日であり、ハイキング気分で楽しく歩くことが出来た。孫たちは市街地に住んでいるので、こうした開けた自然の中を歩く機会は少ない。

P1040447h祖父母とまだ幼い孫たちが一緒に歩くのはとても自然なペースで歩ける気がする。こちらは歳の坂を登るにつれ、脚力は徐々に落ちて行く。しかし、孫たちは逆に脚力を増して行くことになる。しかし、この孫たちが通う保育園は庭が狭いようで、安曇野にある私の幼稚園の幼子たちに比べてやや走りに勢いがないなー。

P1040448h犬のロッキーは、人間で言えば二十歳前後の元気盛り、それはもう凄い脚力である。今日は妻も一緒だったが、長い距離のコースを選んだので、妻と小さい方の孫は後半になってやや疲れてしまったようだ。そんな時は草原に寝転んで少し休む。

P1040451ah しかし、青空の下をいろいろ話しながら歩くこうした時間と言うのはいいものである。ただロッキーだけは、私たちを中心に、半径五十メートルほどの範囲を走り回って、人間はどうしてこうも移動が遅いのかなーと思っていたかもしれない。

P1040455h すっかり淋しい冬景色となったりんご園近くの丈の高い枯れ草の一群に多数の雀たちが群れをなして昼近くの陽光を浴びて休んでいた。こうした雀たちの夜のねぐらが、こうした枯れススキなどのやぶの中であることを知ったのは、安曇野の中房川の土手沿いの道を夕暮れに犬たちと散歩し始めた頃だった。もうずいぶん昔のことである。

P1040466h中房川上流の西山上空の夕焼けが色あせて、あたりが薄暗くなった時、ハスキー犬のジョンが何かの気配を感じて飛び込んだのが雀たちが寝ようとしていたススキの群生のやぶの中だった。雀たちの一群が鋭い声と羽音を響かせて、まるで地面から湧き上がるように次々と飛び立っていったのだった。

P1040467hこれからの北風の寒い夜など、こうした雀たちも安全で暖かなねぐらを必要としているのだ。さーて、私と孫たちは私と妻の和室いっぱいに布団を敷いて、夜はオイルヒーターも入れて眠ることになる。寝る前に布団の中で読む絵本は「ちびくろ・さんぼ」である。この本を二人の孫はとても好きで、我が家に来るたびに読んで欲しいと言う。

P1040464ah 何だか今日の散歩は、この絵本の舞台のジャングルにも似ていたなー。ロッキーなんか虎にそっくりだもんなー。今日は散歩途中の林の中にある丸太ブランコの漕ぎ方を教えたが、すぐにコツを掴んで力を入れるタイミングを覚えたようだった。今年の夏に琵琶湖へ連れて行きクルーザーで沖へ出てライフジャケットを着けて泳いだときの話しをして、来年も行きたいなーと言っていた。

P1040449h まあ、来年は私の小型ヨットで遊んでみるか。2009年もあとわずかだなー。今度の27日が今年最後の日曜礼拝となる。幼稚園のみんなも、20日のクリスマス礼拝とキャンドルサービスでのあの希望と勇気の光を忘れず、冬休み中も出来るだけ日曜礼拝に出席しようなー。

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孫たちと正月気分に

P1040435ah孫二人が泊まりこみで遊びに来た。庭に出てログハウスから電動鋸で棒だらを細かく切る前に写真を撮った。この棒だらの煮付けは私の大好物なのだ。今年のは身の厚みが薄い感じもするが、一週間ほど水に浸けて毎日水を新しくすると膨らんで増えてやわらかくなる。尻尾の部分をロッキーにやると、庭に座り込んでうれしそうに噛んでいた。

P1040436ahロッキーとの散歩の前に、カルタをしたいと言うので、さっそく「日本昔ばなし」カルタを出して妻が読み上げている。これにはすごろくも付録でついていているので、それもしてからの犬との散歩になりそうである。孫たちにが来て、クリスマスから一気に我が家は正月気分だなー。

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2009年12月24日 (木)

クリスマスとは何か? そのⅡ

P1040430h神の独り子がこの世に生まれたとする聖書に記されたクリスマスの出来事は何を意味しているのだろうか?。その一つの解答としてヨハネ福音書の箇所を紹介しておきたい。この私は、聖書の言葉に救いを見いだし、希望や勇気をもらって歩んでいる者である。

P1040433hだからと言ってみなさんと違って立派な生き方をしているなどとは決して思っていない。いいかげんな人間である。しかし、我が人生は闇の中を歩くのではなく、光の中を爽やかに歩きたいと思っている。まあ、青空に例えれば、いいかげんな青い空のような自分である。

P1040429h まあ、四季折々の安曇野や伊那高原の上空に広がる空もいつも、そんなにキッチリとクリアーではなく、けっこういいかげんな青空のことも多い。そうした様々な青空の下に立って、「まあ、いろいろあるけど、頑張ろう!」と顔を上げて歩ける人生でありたいと思っている。こんな俺でも宇宙を創り、地球を創り、この私にもいのちを与えて生かしていて下さる神さまに愛されているんだなーとの思いを、これからも忘れないようにしたい。なー、ロッキー、おまえも愛されているんだぞー!。

【新共同訳】ヨハ
3:16 神は、その独り子をお与えになったほどに、世を愛された。独り子を信じる者が一人も滅びないで、永遠の命を得るためである。
3:17 神が御子を世に遣わされたのは、世を裁くためではなく、御子によって世が救われるためである。
3:18 御子を信じる者は裁かれない。信じない者は既に裁かれている。神の独り子の名を信じていないからである。
3:19 光が世に来たのに、人々はその行いが悪いので、光よりも闇の方を好んだ。それが、もう裁きになっている。
3:20 悪を行う者は皆、光を憎み、その行いが明るみに出されるのを恐れて、光の方に来ないからである。
3:21 しかし、真理を行う者は光の方に来る。その行いが神に導かれてなされたということが、明らかになるために。」

【NIV】Joh
3:16 "For God so loved the world that he gave his one and only Son, {[16] Or <his only begotten Son>} that whoever believes in him shall not perish but have eternal life.
3:17 For God did not send his Son into the world to condemn the world, but to save the world through him.
3:18 Whoever believes in him is not condemned, but whoever does not believe stands condemned already because he has not believed in the name of God's one and only Son. {[18] Or <God's only begotten Son>}
3:19 This is the verdict: Light has come into the world, but men loved darkness instead of light because their deeds were evil.
3:20 Everyone who does evil hates the light, and will not come into the light for fear that his deeds will be exposed.
3:21 But whoever lives by the truth comes into the light, so that it may be seen plainly that what he has done has been done through God." {[21] Some interpreters end the quotation after verse 15.}

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クリスマスとは何か?

12055聖書は最初のクリスマスについて、今から2000年を越える昔の、その歴史的背景と共に具体的に記している。イエス誕生の場所は、すなわち最初のクリスマスは、家畜小屋であった。一家には泊まる場所が、そこしかなかったのである。クリスマスとは、イエス・キリストの誕生日であり、それを祝うことなのだ。以下にルカ福音書の個所を紹介しておきます。

サンタクロースの起源は、このクリスマスの夜に東ローマ帝国(4世紀頃)の小アジアの司教(主教)聖ニコラオス(ニコラウス)が恵まれない子どもたちにプレゼントを配ったことに由来しているらしい。

またクリスマスツリーは、ドイツがその発祥の地であり、冬にも緑を保つモミの木に様々な飾り付けをしてクリスマスを祝ったことが発端と言われている。

私も幼い頃に信じていた煙突からサンタさんが入る話の起源は、「ある日ニコラウスは、貧しさのあまり、三人の娘を嫁がせることの出来ない家の存在を知った。ニコラウスは真夜中にその家を訪れ、屋根の上にある煙突から金貨を投げ入れる。このとき暖炉には靴下が下げられていたため、金貨は靴下の中に入っていたという。この金貨のおかげで娘の身売りを避けられた」という逸話から来ているらしい。靴下の中にプレゼントを入れる風習も、ここから来ているようだ。

【新共同訳】ルカ
◆イエスの誕生
2:1 そのころ、皇帝アウグストゥスから全領土の住民に、登録をせよとの勅令が出た。
2:2 これは、キリニウスがシリア州の総督であったときに行われた最初の住民登録である。
2:3 人々は皆、登録するためにおのおの自分の町へ旅立った。
2:4 ヨセフもダビデの家に属し、その血筋であったので、ガリラヤの町ナザレから、ユダヤのベツレヘムというダビデの町へ上って行った。
2:5 身ごもっていた、いいなずけのマリアと一緒に登録するためである。
2:6 ところが、彼らがベツレヘムにいるうちに、マリアは月が満ちて、
2:7 初めての子を産み、布にくるんで飼い葉桶に寝かせた。宿屋には彼らの泊まる場所がなかったからである。

【NIV】Luk
2:1 In those days Caesar Augustus issued a decree that a census should be taken of the entire Roman world.
2:2 (This was the first census that took place while Quirinius was governor of Syria.)
2:3 And everyone went to his own town to register.
2:4 So Joseph also went up from the town of Nazareth in Galilee to Judea, to Bethlehem the town of David, because he belonged to the house and line of David.
2:5 He went there to register with Mary, who was pledged to be married to him and was expecting a child.
2:6 While they were there, the time came for the baby to be born,
2:7 and she gave birth to her firstborn, a son. She wrapped him in cloths and placed him in a manger, because there was no room for them in the inn.

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2009年12月23日 (水)

年末年始に読む本

41re4mbbrel__sl500_aa240_ ロッキーとの散歩の帰りに伊那市図書館に寄った。一時間半ほどあちこちと歩き回り、数ページを立ち読みして、これなら読めると感じたものを七冊と、以前にも聞いた講演テープなどを借りた。この年末年始は、日曜日の礼拝とロッキーとの散歩以外、何処へも出かける予定はないので、活字の世界を飛びまわってみよう。昨夜は創価学会内の暗部告発の「黒い手帳」を読んだ。今日は小田実の本を読んでみよう。以下に借りた本を記すが、ほとんど仏教関連の本である。「親鸞」(講談社、五木寛之著)が出たら読みたいと思っているが、いつ発刊になるのか。

4131l2b8azhl__sl500_aa240_ 小田実著「終らない旅」(新潮社)、水上勉自選文学全集2「一休のすべて」(河出書房新社)、山折哲雄著「悩め、人間よ…親鸞、空海、日蓮、隠された人間像」(ネスコ/文藝春秋)、立松和平著「仏弟子ものがたり」(岩波書店)、矢野絢也著「黒い手帳」(講談社)、北川紘洋著小田晋監修「禅に触れる暮らし」(はまの出版)、ひろさちや著「仏教が教えるこころが穏やかになる話」(青春出版社)の七冊と、開高健「経験・言葉・虚構」、「地球を歩く」(新潮カセット)二本組と、古今亭志ん生「安中草三牢破り」(新潮カセット)を借りてきた。

もちろん私の場合、これらの読書以外に日々聖書を開くことは言うまでもない。人々は今、クリスマスと言って、忙しげにお祭り気分でいます。しかし、誕生日で祝われる主人公・キリストはそっちのけです。私たちは、心の奥底にキリストの光を迎え入れるクリスマスでありたい。ぜひみなさんも聖書の言葉に親しんでほしいと思う。

今朝も明るい朝日が仙丈ケ岳の上に昇り、我が家の東に面した窓を照らしている。さーて、今日もまずロッキーと自然の中へ飛び出すことにしよう。

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2009年12月22日 (火)

雪原を疾走するロッキー

P1040404ah 標高八百メートルを越す伊那高原の冬の風は体感温度にすごく影響する。昨日の田園を吹き抜ける風は一定ではなく、初めは強く、そして散歩の後半はピタリと止んでいた。この日は妻も一緒に出かけた。ロッキーが一緒の散歩は楽しい。歩くことは健康にもつながる。

P1040410h 2009年の師走の風を受けて、すっかり冬の顔になっている西山の低山を眺めたり、東に聳える三千メートル級の仙丈ケ岳を眺めたり、雪の中を歩いたり走ったり、こうした散歩をしながらも、いろいろなことを思ったり考えたりしている。しかし、心身ともに爽快であり生きてることの喜びがある。緑の牧草地が陽光に輝いて広がる場所もある。

P1040414ah雪原をロッキーが疾走している姿を見ると、凄いなーと思う。その表情はやはり野性的である。出来ることなら、こいつをアフリカの草原へ連れて行って、ライオンやチーターなどの野生動物と走る競争をさせてやりたいと思ったりする。この私自身も目の前で野生動物たちの自由で自然な姿を見てみたい。

P1040403ah 農道を時折り通過する車があると、ロッキーは猛然と追いかけて自分の疾走力を試している感がある。まあ、人間で言えば二十歳になったばかりの元気で若い盛りのロッキーくんである。こいつと一緒に自由にあちこちと歩き回るだけで、この私はその元気のおすそわけに与っているように感じる。

P1040407ah 今日もまた午前中にこいつと散歩に出て、年賀状をしあげてしまおう。そんな一日になりそうである。そうか、一キロを超す大きな棒だらが届いたから、電動のこぎりで小さく切る正月料理の準備もあったなー。この棒だらを切った塊をハスキー犬のジョンに横取りされたことがあったなー。今年はロッキーにも少しわけてやろう。

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2009年12月21日 (月)

動物たちに囲まれた 最初のX'mas

P1040401h 冷え込みが厳しい今朝の伊那高原です。ロッキーもこの厳しい寒波到来でベランダ隅の普段の自分の寝床では寒いらしく、リビングへ来てソファーの上で眠る夜が増えています。リラックスすると人間のように仰向けになって寝ていることもあります。今朝の顔はやや寝不足気味の顔をしています。

生後一ヶ月を過ぎた頃に兄弟たちと一緒に撮った写真の中央で一番大きな顔をしていたロッキー。そのロッキーを囲んでいた子犬たちは、それぞれの飼い主のもとで、どんな冬を迎えているのだろうか。みんなそれぞれに幸せに生活しているだろうか。みんな大きくなったろうなー。

1c54a652s私のパソコンのデスクトップ画面には今、この赤ちゃんの時の写真を載せています。犬は一年で成犬になり、こうした大型犬は12歳ほどが寿命のようです。このロッキーは私が飼う十頭目となる犬です。その今までの犬たちとの出会いと思い出については、「犬はえらい」と題して、このブログとは別のページに載せていますが、いずれ一冊の本に出来たらと思っています。今の出版不況の中で、出版してくれるところは、まずないでしょうから、いずれ自費で何冊かを出版して子どもたちや孫たちに残したいと思っています。

来年は六十六歳となる私の今までの人生。そこで出会った私の犬たち。たくさんの思い出があり、決して忘れることは出来ません。聖書に記されている最初のクリスマスは、家畜小屋の動物たちに囲まれ救い主イエスが誕生しています。そして飼い葉おけの中に寝かされたのです。動物たちも神さまの救いから決してもれることはないのです。

さーて、今日も明るい太陽光が寒気の中に輝き始めました。今日もまたロッキーと冬の自然の中へ散歩に出るとしよう。そして、今日は年賀状の宛名書きを終えてしまおうかなー。

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2009年12月20日 (日)

2009X'mas 今に語りかける「聖劇」

P1040395h白い雪が薄く広がる安曇野の風景。その冬景色の中を冷たい風が吹きぬけて行く今日、私たちの教会&幼稚園のクリスマス礼拝と祝会が行われました。賛美歌と祈り、聖書の言葉が語られる礼拝。そして教会員二十名ほどが前に出ての聖餐式の後は、五十名ほどの礼拝出席者全員がパンとスープを中心とした、賑やかな軽食の祝会へと移りました。

この祝会では多くの出席者のみなさんがそれぞれに持ち寄ったクッキーやケーキなども中央のテーブルの上に溢れ、みんなの笑顔も溢れました。

やー!、なんといっても幼稚園児と教会学校生徒が演じる「聖劇」には今年も感動しました。今年もそれぞれの役を演じる子どもたち一人ひとりが、それぞれの家族の中で、それぞれの喜びや悲しみを抱えつつ、新たな感謝や希望、そして勇気に向かう降誕劇となりました。この聖書が告げるイエス誕生の物語は決して2000年前の過去の出来事ではなく、今を生きる全ての人々の「生活の座」に直結する内容を持ち、今もリアルに一人ひとりに語りかける。

二日前に赤ちゃんが生まれ家族の増えた喜びの中にある天使役の子。親が信大病院から須坂病院へ一月から転属となるため、今日を最後にこの幼稚園の友だちとサヨナラを言わなければならない博士役の子。厳しい社会情勢の中で父親がリストラとなってしまった家庭のマリヤ役の子。などなど、まさにそうした、運命の「生活の座」に生きる子どもたちの聖劇だったのです。

そして、祝会の最後は、会堂の電灯を消して、全員がローソクを手にして灯を点して賛美歌をうたうキャンドルサービスを行いました。このキャンドルサービスにはロッキーくんも参加しました。今日の礼拝に様々な事情で参加できなかったみなさんも、よきクリスマスを!。なにがあったって大丈夫、救い主がこの世に誕生されているのだから。今も、そのイエスさまは、一人ひとりをまもり導いてくださるからです。次の礼拝は27日()です。ぜひ2009年最後の日曜礼拝にもご出席ください。

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2009年12月18日 (金)

20日(日)のクリスマス礼拝案内

12055安曇野地方は今朝も雪が舞っています。積雪はありませんが風が強くて寒い朝です。昨夕は西山奥の温泉施設へ行くと三センチほどの積雪でした。その雪景色を見ながら、時折り舞う雪の中で露天風呂に浸かりました。よくテレビなどで見る雪の中で温泉に浸かる猿と同じでした。

さーて、幼稚園の年内の通常保育は今日で終わり、こんどの20日()はクリスマス礼拝&祝会です。そして、年末年始の冬休みとなります。このブログを見ている卒園生や、その家族の方がおられたら、どうぞ遠慮せず自由にご参加下さい。実習に入った中学生や大学生のみなさんもどうぞ。幼子たちと一緒にチャペルの鐘を鳴らしてみませんか。普段より多い礼拝参加者で会堂はいっぱいになると思いますが、普段の駐車場以外に園庭も使用できるようにします。

P1040296h 園児と教会学校生徒による「聖劇」もあります。祝会ではパンとスープを中心とした立食パーティーもあります。午前十時より始まり午後一時には解散予定です。最後に参加者全員でのキャンドルサービス(灯火礼拝)もあります。みんなでいただく手作りクッキーや漬物などの持ち込みも歓迎します。いろいろあったこの2009年のクリスマスを、家族みんなで教会で迎えましょう。参加する一人ひとりの心に、新たなる希望と勇気の光が差し込むクリスマスとなることを願っています。普段なかなか礼拝に出られなかったみなさんも、ぜひ元気な顔を見せて下さい。お待ちしています。一歳になったゴールデンのロッキーくんも待っています。

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2009年12月17日 (木)

今日も安曇野の冷たい北風の中へ

P1040385h 午後から雪の予報が出ている安曇野です。そんな今日の午前中にみんなで田園へ散歩に出ました。気温は二度と低く北風が冷たい日で、時折り北風に混じって小雪が舞う中を、みんなで歩きました。こうした外気の中で遊ぶのが大好きな子どもたち。ロッキーと田園の中を走り回る幼子たちの姿を見ていると、「子どもは風の子」の言葉を自然に思い出します。

P1040387h ロッキーは農道を通過する車を猛然と追いかけたり、とにかく自分の走りの力の限界ギリギリを試している観があります。また大きな川の流れにも飛び込みジャブンジャブンと走ります。こいつは冬なんか関係なく、川と見れば泳ぎたいようですが、春先や夏と異なり水量は少なく泳げるだけの水深がありません。

P1040386h その川からあがった後「ブルン、ブルン」と身震いをする時に、園児たちの近くへ来てするので大騒ぎ。まったくなー。目の前の西山は頂上付近を雲で隠し、三千メートル級の山岳は雲の中で、北側ほど濃い雲に覆われていました。顔の筋肉がひきつるほどの北風の冷たさ、手袋をしていても指先がしびれました。

P1040389hしかし、やっぱり今日もロッキーに誘われて、みんなで北風の中へ飛び出したけど、冷たい新鮮な外気の中を歩くのは、山国安曇野に生きてる実感が湧きあがりいいものです。ロッキーや園児たちとの生活がなかったら、私もこんな日に散歩なんかしなかったろうなー。やれ。やれ!。

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小雪舞うシーズン

P1040379ah_2 昨夜にまた小雪があり、今朝の安曇野地方は屋根などに薄らと雪が残っている。そして小さな雪の舞う朝である。天気予報では、今日の午後から明日一日全て雪マークが並んでいる。今週で幼稚園の通常保育は終わり、20日()のクリスマス礼拝と祝会を行い、冬休みに入る。

子どもの時の一年は長く、大人になってからの一年はとても短く感じるなー。明日あたり積雪があれば、ロッキーにそりを牽いてもらうことになる。幼子たちは、それを期待して窓から小雪の舞う外を眺めている。

P1040381ah さーて、今日も朝の会と園庭でのマラソン二十周をすませたら、クリスマスで演じる聖劇の練習である。みんなヨセフでもマリヤでも、宿屋さんでも、羊飼いでも、大星さんでも、どの役でもすぐに演じられる。そのためのセリフを全て覚えてしまった。みんなすごいなー。

P1040382h 事務所窓のすぐ下には野鳩が来て、歩き回っている。すぐ近くを次々登園してくる園児と家族が通るのだが逃げようとはしない。これからの雪も降るシーズンにはサンクチュアリーの台の上に餌を用意してあげなくてはなー。

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2009年12月16日 (水)

20日(日)はホワイトクリスマスかな?

P1010152yh 昨夕は幼稚園の仕事を終えて四時前に西山奥の温泉施設「ほりで~ゆ」へ行った。夏場だと、とても早い時間帯なのだが、この冬場は一時間ほどの入浴を終える頃には暗闇が迫る時間となっている。いつものように二回のサウナ風呂への入室で合計時間は二十五分ほどだが約一キロの汗を流す。サウナを出た直後にザブンとはいる水風呂が気持ちよく、いつも「あー、きもちいいー!」と周囲に人がいても、つい声が出てしまう。

最後に体を洗っている時に、露天風呂のある外を見ると、一気に日が暮れて暗くなっている。「ドドドー」と心地よい音を響かせて岩の上から温泉が流れ出.る露天風呂に浸かり、岩肌に背もたれして正面を見上げると、そこに雪の常念岳を見ることが出来る。

少し吹雪き始めた厳しい冬の常念岳を間近に見ながら温泉に浸かり、一日の終わりを迎えるのはとても幸せな一時である。

昨夜のTVニュースよると長野県北部のスキー場は何十センチもの積雪があり、滑降が可能になり、スキー場関係者の笑顔があった。昨年より一カ月遅いらしい。やっぱり冬の長野県は降るときにはキッチリ降ってこそ雪国と言える。標高八百メートルにある「ほりで~ゆ」の敷地内の土手斜面もうっすらと雪景色だった。

P1040371h 今度の日曜日が私たちの教会&幼稚園のクリスマスだが、天気予報を見ると、ホワイトクリスマスになるかもしれない雪マークがここ安曇野にも出ている。積雪になれば、犬のロッキーの出番で、犬橇が楽しめるかもしれないなー。昨年はまだ生後三カ月だったロッキーだが、今年はすっかり逞しくなった。そのロッキーくんに活躍してもらうことになる。

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2009年12月15日 (火)

うっすらと初雪 

伊那高原の朝はうっすらと車の屋根に積雪が見られ、厳しい冷え込みでベランダの犬の水飲みバケツは凍っていた。安曇野にある教会&幼稚園へ向かうため伊那インターへ向かう東の正面に仙丈ケ岳が聳え、オレンジ色の太陽が昇ったところだった。時刻は七時二十分。

高速道路の途中、塩尻峠は一面の薄い雪景色だった。二千メートル少しの山岳にも雪が輝き、本格的な冬の到来である。いよいよ次の日曜日にはクリスマスを迎える。園児たちはみんな元気である。

ロッキーもすっかり成犬となり、ゴールデンらしいモコモコした冬毛になり寒さ知らずで、次々と登園してくる園児と付き添いの家族に近づき挨拶している。時には飛びついたりもするので「ロッキー!」と叱責の声が聞こえる。

今朝の安曇野もスッキリと晴れ渡たり、オレンジ色の南からの冬の斜陽が事務所内に長く入り机の上に様々な影を作っている。さー、今日も元気な幼子たちと一緒に活動開始です。

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2009年12月14日 (月)

自然への感謝! 散歩とたらこ

P1040371h 明るい陽光の照るベランダに寝具を干してからロッキーと近くの田園へ散歩に出た。この冬初の寒気らしい寒気が日本列島に流れ込んでいるらしいが、伊那高原の今日の寒さはそんなに厳しくはなく、雪も降らず晴天である。それでもやはりジャンバーの前ジッパーを首まで上げ、手袋が必要な、冷たい風があった。

しかし、ロッキーは元気だなー。稲株の並ぶ広い田んぼの中を、また牧草地を、誰もいない広いグランドをただ走るのが好きで疾走する。今日は私も気分よく一時間近いコースを爽快に歩いた。

P1040374ah 自然の中で体を動かすことは大切なことである。見上げる冬の青空と白い雲。そして冬の装いとなった木々の梢を吹き抜ける風。そして自由に走り回るロッキーの姿。心身ともにリフレッシュされる。さーて、散歩を終えた午後は少しデスクワークをすることにしよう。

P1040376h今、横目でNHK正午のニュースに続いて北海道の助惣鱈の「たらこ」を包丁で手際よく取り出すところを見ていたが、うまそうと言うより生々しい。考えてみたら助惣鱈の卵であり、「いのち」だもんなー。今日番組で紹介された漁港だけで一日に20トンの助惣鱈がとれるのだそうだ。人間はちょっといろいろな「いのち」を食べ過ぎているよなー。

しかし、この私は、この「たらこ」とか「いくら」とかが好きで、痛風の原因となるプリン体が含まれているんだよなー。気をつけないとなー。海の幸、山の幸、人間は限りある自然の幸を大切に、感謝して食べないといけないなー。その意味で食前のクリスチャンの祈りや、仏教徒の手を合わせての「いただきまーす!」の心は大切だなー。

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Gandhi 打たれても打ち返さず逃げもしない勇気

昨夜は少し雪が舞ったが積雪とはならず、今朝は明るい太陽光が我が家の庭を照らしている。その昨夜は借りていた100円DVD「GANDHI」を観た。インド独立の父と言われるガンディーがロンドンでの勉学を終え弁護士資格も取得して列車の一等席に乗って南アフリカへ帰るところから映画は始まっていた。

しかしインド人ということで差別を受けて列車からホームに投げ出される。さらに南アフリカでは差別の身分証明書を燃やす運動によって暴行を受け逮捕される。それが英国の新聞記者の手によって報じられ世界的ニュースとなる。南アフリカで差別と闘う彼のもとに英国の牧師が訪れる。

道を歩く彼ら二人の前に三人の男が現れる。身分によって歩道を歩くことさえ法律で禁止されていたのだ。しかしガンディーは暴力を受けることを恐れず、そのまま歩き続ける。この時の牧師との会話に聖書のイエスの言葉が、ガンディーの口から出る。

誰かがあなたの右の頬を打つなら、左の頬をも向けなさい」のイエスの非暴力の教えの個所をガンディーは語り、「確信はないがの言葉は勇気を示せということです。打たれても打ち返さず逃げもしない勇気を持つことです」。

そして、彼は勇敢に道を進み、「道は広い」と言いつつ三人の男の間を通り抜ける。カンディーのことを「無抵抗主義」と誤って理解する人がいるが、彼は無抵抗主義者ではなく、不正な事柄には徹底して抵抗し、不服従を非暴力で闘う、勇気の人だったのだ。この時のガンディーは、相手が牧師なので控えめに「確信はないが…」と言ったが、彼の解釈は正しい。

昨年の九月頃から関西地方の教会が、何者かによって襲撃を受けている。大阪を中心に京都、兵庫、滋賀などで、教会の窓に向かって消火器やレンガが投げ込まれる事件である。すでに五十件を越すらしい。誰が何の目的でかは知らないが卑劣な犯行である。早い解決を望む。

Osk200912090022キリスト教の教会や神学校が襲われる事件が近畿で相次いでいる。1年余りの間に大阪、兵庫、京都、滋賀の4府県で少なくとも50件以上が確認された。いずれもプロテスタント系の施設で、夜間に窓ガラスを割って消火器を投げ込むなどの手口も共通している。だが、犯人像や動機は見えない」。 (インターネットasahicomニュースより)。

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2009年12月12日 (土)

「さよなら子供たち」

P1040359h 今日の伊那高原も小春日和の一日だった。ロッキーと散歩に出て東に見上げる仙丈ケ岳の頂上部だけが冬を思わせるだけで、広がる田園はジャンバーの前部を広げて歩かないと汗をかくほどの陽気だった。

田んぼの土手で輝く鮮やかな黄色を見つけて近づくと、やはりタンポポだった。オーストラリヤからのニュースによると南極から長さ9キロ、幅数キロの氷山がオーストラリア方向へ向かって海を漂っているのが発見されたらしい。やはり、地球温暖化は驚くほど進んでいるんだなー。そのオーストラリヤは今が夏だから、きっと、その漂流する巨大な氷山が溶けるのは早いんだろうなー。

P1040363h散歩の帰りに今日もTUTAYA書店に寄り、一週間100円DVDを三枚借りて来た。その中の一つLouis Malle監督のベネチア映画祭金獅子賞受賞作品、「Au Revoir les Enfants」(さよなら子供たち)を観た。1944年の初冬、12歳の少年ジュリアンは、クリスマスの休暇を終えて、フランスのカトリックの寄宿学校へ戻って来るところから映画は始まる。

P1040366ahそして、この寄宿学校にもゲシュタポの手が伸びる。そして、校長とユダヤ人の友人たちが連れ去られる。寒い一月の朝に、「サヨウナラ」と最後の別れの挨拶をする生徒たちに、校長の神父も「さよなら子供たち」と別れを告げて憲兵達に連れ去られるラストシーンは、深い悲しみと怒りで胸が苦しくなった。

51kk2a605pl__sl500_aa240_この映画の監督ルイ・マルが自身の少年期の体験に基づいてマル自身の脚本で製作したという。寄宿学校での多感な少年たちの日常生活を淡々と描きながら、最後の別れの朝がやって来る。学校は閉鎖される。この映画のエンディングにはこの時の校長ジャン神父もユダヤ人の生徒たちも、収容所で命を落としたとの解説文字が流れる。

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