2008年5月11日 (日)

まず、小さな畑に足を運ぶこの頃

05153 安曇野地方にも昨日から今朝にかけて、たっぷりと春の雨が降り、豊科シオン幼稚園の園児たちと作った小さな畑のトウモロコシ、枝豆、トマト、ナスなどの苗たちも、生き生きと緑の色を濃くしていました。

その雨も、やや小降りになり止みそうな空の明るさになって来ました。気温はだいぶ低く、長野県北部の山沿いでは、一部雪も降ったようです。

こうして安曇野にある教会&幼稚園に来て、まず最初に足を運ぶ場所が、ミニ菜園になって、何だか、不思議な気分です。しかし、いのちあるものが成長して行く姿を眺めるのは気持ちのよいものです。

これから、私たちは教会員も幼稚園の園児やその家族も、ともに母の日の礼拝を行います。母なる大地に生きる私たちは、天からの恵みのシャワーを、今度は、心にいっぱい受ける礼拝です。

今日の母の日用に描いた園児たちの、心のこもったクレヨンで描いた母の絵と、礼拝で特別にうたう歌声が、今日の母の日プレゼントです。母の絵は、安曇野市のサティーの展示室に、例年のように、他の園の幼子たちの絵と一緒に展示されています。一人でも多くの人々に見ていただいて、それぞれに、「母」に思いを寄せる一時にしていただけたなら感謝です。

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2008年5月10日 (土)

一週間に一度は 「恵みの雨」を

今朝の伊那高原は久しぶりの雨です。庭のミニ菜園に春の雨が、気持ちよく降り注いでいます。その菜園では、二十日大根に続いて、枝豆の肉厚な芽も顔を出しています。昨日の夕方に安曇野から伊那高原へ帰って来て、私が一番にしたのは、このミニ菜園への水やりでしたが、しかし、今日はその必要はありません。

06148 きっと安曇野の教会&幼稚園の小さな畑にも、今日は雨が降り注いでいるに違いありません。不思議なものです。伊那高原と安曇野に小さな畑を作って、苗を植え、種を蒔いてからは、雨の無い日が一週間も続くと、気になります。

考えてみれば、私たち人間だって、水を飲めない日が一週間も続けば、枯れてしまいます。正に「恵みの雨」の言葉が、私の心の芯にまで、心地よく滲み込む今日の、久しぶりの雨です。

私たちも、心が枯れかかり、救いを渇望する時は、天よりの確かな「恵みの雨」を待ち望みたいと思う。やっぱり、この心への「恵みの雨」も、最低、一週間に一回は必要なんだと感じます。それが、明日の日曜教会&日曜幼稚園の私たちの礼拝です。明日は、母の日を覚えての、礼拝です。

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2008年5月 9日 (金)

二十八年目の失敗

昨日は、一日の業を終えて、午後六時前に、私は「ほりで~湯」へ向かった。宿泊者用の入り口玄関前に、大きな看板が立っていた。どうやら、昭和二十六年度に、この地元の中学を卒業されたみなさんの同級会の会場案内らしかった。

Main41h まず、サウナ風呂に入り、私は「う~む、昭和二十六年度…ということは、昭和十九年生まれの私より、幾つ歳が上の方たちなのかな~」などと、汗をタラタラと流しながら、ボーッとした頭で考えていた。いずれにしても、私が小学校へ入学する頃に、中学を卒業された方たちだから…、もう七十歳代に入った方たちである。今日は、温泉に浸かり、旧友たちと郷土料理を囲んで、飲み明かすんだろうな~。いいな~と思った。

この日の私は慌ただしかった。朝一番に、前日に電話のあった安曇野市教育委員会の若い係長が現れ、一時間ほどなごやかながら、ポイントを押さえた連絡交換と提出書類の確認等を行い、帰りに間際に、普段はおそらく聞けないだろう、幼子たちの歌声を聞いてもらった。

紺のスーツ姿で、メガネをかけ、書類の入った黒カバンを片手に下げた、まじめなサラリーマンふうそのままの彼は、両手を胸の前に、正しく出し、「パチパチ」と、力を入れて懸命にたたき、心のこもった拍手をし、目の前横一列に並んだ九名の園児たちに、「素晴らしかったです…」と、挨拶もしてくれた。

私は、この時点で、「?」と、何か大切なことを忘れていたような気が少ししたのだが、そのまま思い出せず、次の来客者、安曇野市本庁舎の情報統計係のTさんと、事務室の机にあるパソコンと向かい合ったのだった。

数年前から、毎年、この連休明け頃、文部科学省へ提出する「学校基本調査」の提出書類を、インターネットで行うようになっている。しかし、これがなかなか難しい。情報管理のセキュリティーの関係もあり。仮認証入力⇒利用者情報の登録⇒認証IDをメールで入手⇒パスワードで本認証を入力⇒使用手引書のダウンロード⇒電子調査票へ数値、その他も正確に入力⇒幾つかのチェック操作の後にデータ送信。そして、そのデータが正しく送信されたか、そしてのその内容の再確認をして、控えのプリンター等々。

今回は、私のパソコンがVistaになったこともあり、Tさんは普段XPで仕事しているため、やや使い勝手に手間取ったり、私が、かな入力で、彼はローマ字入力で、そのつど、入力変更したり、また、半角と全角指定の項目があったりと、一か所でも入力ミスがあると、エラーが出て次へ進めない、コンピューターは融通が利かないのだ。何だかんだで汗をかいてる時に、横の電話が鳴った。

「もしもし、豊科シオン幼稚園さんでしょうか?」。その女性の声を聞いたとたんに、私は、ハッとして、腕時計を見た。十一時を回っていた。「すみませ~ん!!。すっかり忘れていました!」。そうでした、この日は第二木曜日で、安曇野市の福祉施設「豊岳荘」へ行き、十時半から十一時半の、「光の子讃美」グループ活動の日だったのです。

Spa1 室温九十度のサウナ風呂の中で、私は目の前の分時計に目をやると、サウナに入ってから、十二分を過ぎていた。たっぷり汗が流れ、息もやや荒くなってきたので、次は、水風呂へ、「ザブーン」と浸かった。この瞬間が気持ち良いのだ。脳内にドーパミンがドバーッと分泌される、気持ちの良い瞬間である。

昼前に豊岳荘へ出向き、「すいませんでしだ、二十数年間やって来て、こんなことは初めてです」と言って、私は何度も頭を下げた。一緒に行った園児たちも、私のために、一緒に頭を下げてくれたのだった。何十人もの高齢者の方々が、朝から楽しみにしていた時間を、私は、あろうことか、慌ただしさの中で、正に心が荒れていて、忘れて、心が亡んでいたのだった。

そして、「今度は、決めていただいた日の訪問を、何があっても最優先にしますから…」と、今月に、穴埋めする日をお願いして来た。その時に、高齢者のみなさんにも、直接あやまろう。「まいった、まいった」と、今度は露天風呂へ浸かり、目の前に迫る、雪解けで、やわらかな雪形が広がっている常念岳を見上げたのだった。

この日は、昼食前に幼稚園の畑に、トウモロコシ、枝豆、プチトマト、ナス、ゴーヤー、スイカ、その他の野菜類の苗を、幼子たちに植えてもらい。また二十日大根の種も蒔きもしました。昼食を済ませた午後にも、いくつかの仕事が入り、忙しく、慌ただしい一日だった。

ほりで~湯を出て、ホールを横切り、暗くなって来た西山の外へ出て、私は大きく深呼吸した。そして、いいな~、と思った。何がいいな~、なのかと言うと、旧友たちと、この宿泊施設で飲みかわしているだろう、方々のことだった。私も、中学の同級会が毎年行われ、今年も出席する予定である。小学校の方も、隔年で、今年は行われるらしい。帰りに、私はベイシアに寄り、プリン体予防処理のされたビールとつまみを少々購入して、妻と次男の待つ教会へ戻ったのだった。

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2008年5月 8日 (木)

幼子たちと 畑に種を蒔きます

P1030820h 安曇野地方の今日は、薄日が射し、青空が広がり始めています。教会&幼稚園の庭の三本の桜の木は、すっかり緑の葉が茂り、クッキリと濃い木陰を、だいぶ枯れた感じの赤茶色の花弁で敷き詰められた庭に映しています。

花壇のチューリップは、そのほとんどが花びらを落とし、その分、パンジーの花々が今を盛りに輝いています。今日は園児たちと、園庭隅に誕生した小さな畑に、みんなで話し合いをして、野菜類を植えたいと思っています。

短期間で収穫の期待できる二十日大根の種も蒔きたいと思っています。周囲の花壇の何箇所かには、朝顔と向日葵の種も、幼子たちに蒔いてもらおうと考えています。

やがて梅雨の季節がきて、初夏が来て、夏休みがやって来る。そんな季節の移り変わりは、今年も、思っているより、数倍の速さで推移して行くんだろうな~。

蒔かれた種が芽を出して、成長して行く時間の流れは、ゆっくりと、ゆったりと感じますが、着実で確実な歩みであり、季節の風や雨、太陽の光などに歩調を合わせたものです。

この私も、幼子たちとともに、大切なものに目と心を向けて、自然の歩調で前進出来たらいいな~と思っています。こうして書いている事務室の窓の外を今、次々と元気な挨拶とともに、幼子たちが登園して来ます。そして、園庭の周囲に目をやると、そうかー、また雑草の草取りが必要な庭の風景だな~。

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2008年5月 7日 (水)

♪ みみずだって ヒヨドリだって 犬だって みんな みんな 友だちなんだ 星の子なんだ

伊那高原の我が家の庭も、周囲の自然同様に新緑で、見事に溢れる季節を迎えています。今朝も二羽のヒヨドリが、この庭にやって来て、まず欅の樹に、そして梅の木に、さらに、白樺の木へと次々に移り、あのいたずら坊主頭を、クリクリと回しながら、枝のあちこちを眺めて、樅の木の方へ消えていきました。今日も一日春の陽光が溢れる一日になりそうです。

最近、NHKテレビの科学番組で、人類の歴史、その生命の進化に関する番組をいくつか観る機会がありました。昨夜は、そのNHKが今まで放映して来た映像も交えた、熱血天才アカデミー「ダーウィン進化論」と題した一時間ちょっとの番組を、興味深く観させてもらった

おもしろかったのは、わたしたち人間の耳の一番外側上部の縁を触ると、少しかたい突起を感じる部分がありますが、それが、人間の進化の過程を示す一つの部分であり、その突起の部分は、私たちの先祖がネズミに良く似た動物であった時の耳の先端の部分であったという。なるほどな~、と私は両耳のその部分に、軽く指で触れて、感動してしまった。

その番組には、茂木健一郎氏もいて、「みみずだって おけらだって あめんぼだって みんなみんな生きているんだ 友だちなんだ…」の歌詞を紹介していた。これは、「手のひらを太陽に」の歌詞である。

このダーウィンは、八十億円の遺産を受け継いでいて、生涯を自分の好きな研究に没頭することが出来たというから、うらやましい。しかし、彼は、この有名な「進化論」を世に出すに当たっては、極めて慎重であったようだ。二十年以上に渡って、その十分な証拠集めと準備を重ねて、人生の終盤の五十代で、ようやく、その「進化論」を発表したのだ。

この論文発表に慎重であった理由について、ダーウィンが記した中に、「…自殺するようなものだ…」との記述個所があった。この慎重だった一番の理由は、当時の聖書信仰に立つ教会に対してであった。あのガリレオは、当時の教会が「地球が宇宙の中心である」と信じて疑わなかった時代に、科学的真理である「地動説」を発表し、当時のローマ・イエズス会から聖書の内容を認めない異端者として捕らえられた事実があったからです。

しかし、ガリレオもダーウィンも、聖書信仰や神の存在を否定するために、科学的な研究に没頭したのではないのだ。自然や宇宙に目を向け、そこに秘められた真理を追究したのである。聖書は科学の書ではない。人間の生き方を問う信仰の書なのだ。

今も、聖書に書かれている一部を持ち出して、「人間は生きものの中で一番に神に愛されている特別に優れた存在なのである」とする、教会の教えに立つ人たちもいるが、私は違う。ダーウインが、発見したように、「みみずだって、おけらだって、あめんぼだって、みんなみんな生きているんだ 友だちなんだ」。

今回の番組でも触れていたが、このダーウィンの「進化論」を、優生学的に悪用解釈して、ユダヤ人虐殺に走った、あのヒットラー。あのヒットラーのような人間になる危険性を、今後の人類も、そして、聖書信仰に生きようとする、現代の教会も、残念ながら持っているように思う。

私は再び思い起こす。あの内村鑑三の「神は、この世に二つの啓示を与えられた。一つは聖書、そしてもう一つは、天然である」の言葉である。

こうした科学番組はいいな~と思う。人間社会に今も巣くう、いのちへの「差別」。科学の目で、深く観察して行ったなら、みんな、みんな、友だちなのである。正に、あの重い障害を負った体で、今も活躍している宇宙物理学者ホーキング氏の言うように、「みんな、みんな宇宙の星屑から生れた、星の子」なのである。今日の明るい太陽光に自分の手のひらを透かして見たら、赤い血潮が見えました。しかし、私の場合、この中の尿酸値が問題なんだよな~。さて、これから、私の大切なともだち、愛犬のリーと、痛風から解放されつつある足に運動靴を履いて、軽快な散歩に出かけようと思う。

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2008年5月 6日 (火)

いたずら坊主頭の ヒヨドリ

P1030865ah 明るい太陽光が昇り、春の青空が広がっている。この大型連休の最終日の今日は、晴天となりました。昨日は、一日中、降ったり止んだりを繰り返していましたが、我が家のミニ菜園には、まずまずの雨量でした。

冬の終わりから早春にかけて、我が家の庭にヒバリが、二 三羽で、よく来ていました。そのヒバリたちは、もう来なくなり、かわって、最近よく見かけるのが、ヒヨドリです。これは、だいぶ以前から目にしていた鳥ですが、その名前を知ったのは、ごく最近、山口の向学氏のブログに写真と名前が載っていたのを見てからです。

250pxbrowneared_bulbul_11 不思議なものです。名前と言うか、その鳥の種類名を知っただけで、グ~ンと、親しみが湧いて来ます。前々から、このいたずら坊主のような頭をした、この鳥に関心を持っていました。頭の毛を不揃い、ツンツンと立てていることがあり、色は青味がかった黒っぽい色をしていて、「ピー、ピー」とやや鋭い鳴き声を響かせます。

昨日、そのヒヨドリが、雨の止んだ夕暮れ時に、庭近くの電線の上で、仲間を呼んでいるのでしょうか、かなり長時間、「ピー、ピー」と鳴いていました。「おい!、見てみろよ、あのいたずら坊主、あそこで騒いでるぞ」と私。「ほんとうだー、ジョンがいる頃、欅の樹に巣を作ったことのある鳥だよねー」と妻。

P1030866h そうでした。今は、その欅の樹は、放置しておくと、十メートルでも、三十メートルにでもなりそうな木なので、途中でバッサリと幹や枝を切り落として、適度な大きさに押さえています。この欅の樹が適度に繁茂していた初期のころ、確かに巣をかけて、子育てをしていたことがあります。まだハスキー犬のジョンが元気だった頃でした。そのジョンが、よく昼寝に使っていた犬小屋は、今は、不要の小屋となり、樅の樹の下に放置したままです。

最近は、その二本の樅の樹の方から、北側にある欅の樹や小さな柿の樹の枝に舞い降りて来ます。いつもカメラをかまえる前に逃げられていましたが、昨日初めて、撮影に成功しました。(真ん中の写真は、フリー百科事典『ウィキペディア』からお借りしたものです)。

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2008年5月 5日 (月)

子どもの日に思う 小さな畠で 緑教育

05152 今日は子どもの日である。子どもたちは、未来の担い手である。しかし、全国に二千ほどある児童相談所に2006年度に、児童虐待関連で寄せられた様々な相談は、三万七千件だったという。これは十年前の十倍であり、少なくとも、あってはならないこうした児童虐待が、十年以上前からあり、その深刻さは年々増して来ている事実の一端を、この数字は示しているし、私たちは、日々マスコミが報じる悲惨な子どもたちの現状を、いやというほど知ってもいる…。

しさ、しさの中にある、子育て世代の親たちの現実も重い。このブログ上で、私は何回も書いてきたが、まさに、朝から夜中まで働く親たちの心は、この時代の中で、びかかり、れ果てている状態ではないだろうか。二歳にも満たない子たちも、朝早くから、夜暗くなるまで、保育所や託児所に預けられ放しの現代日本。学校が終わっても家族の元へ帰れない子どもたちの増加。

特に都市部などで生活する人々は、分刻みの予定に終われ、また子どもたちも、同様に時間に追われて、心が荒れ、亡びかかっていないだろうか。

こんな中にあって、農業の場に身を置いて、自然の中に流れる、ゆったりとした、やさしい時間に、目を向けることの大切さを説き、何十年も、地域の小学校、中学校に、農業教育の大切さを伝え、また自分の出来ることを実践し、教育現場を、地域を変えて来た方がいる。

今朝のNHKラジオ、早朝四時からの「こころの時代」で、語っていた山形県畠町に住む星寛治氏 です。農業詩人としても有名な方のようです。この星さんの呼びかけで、山形県畠町にある小、中学校の多くが、また近隣の多くの学校でも、田んぼ、畠での農業教育を導入。現在この動きは、大学教育現場でも、短期留学のような形で、都市部の立教大学や早稲田大学など、他の多くの大学にも広がっているらしい。

今や、農家を専業に営んでいるような家庭の子どもでも、泥だらけになって田の中に入ったり、野菜畠の中で、汗を流すことが無くなってしまった。そんな時代だからこそ、小、中、高、大、と全ての教育現場で、土を耕し、種を蒔き、手入れして、成長を見守り、収穫の時を迎える、そんな「いのち」と向き合う機会の場を、与えることは、とても素晴らしいことだと思う。こうした、星さんの働きかけ、その実践の輪は山形県畠町全体に広がり、都市部の小学校や大学にまで広がり、その実績は三十年~四十年の年輪を刻んでいるのだ。凄いなーと思う。

畠の緑の中に身を置いて、体を動かし、汗を流すとき、荒れ果てた心は、癒され、亡びかかっていた心は救われ、漢字が示すとおりの、「忙しい」、「慌しい」だけの、生活から、抜け出し、人間らしい本来のいのちの輝きを取り戻すきっかけを生むのだ。そうだろうなー、と私は、星さんの話を、ラジオで聞きながら、いつしか眠気は覚めて、感動していました。

よーし!、豊科シオン幼稚園も、連休明けには、みんなで、園庭の草取り、そして小さな畠ではあるが、みんなで話し合って、野菜作りに、そして、花壇作りにも、幼子たちといっしょに、また、その家族の方々も巻き込んで、取り組んでみようと思う。畠には、緑には、そこで汗を流す人々のいのちを活性化させ、心を癒す力もあるのです。

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2008年5月 4日 (日)

一人で過ごす一日は、長く感じます

P1030864h 一週間振りに、安曇野にある教会&幼稚園へ、日曜礼拝のために出かけました。三本の桜の樹は、新緑の葉が茂り、また砂場の上の藤も、すっかり葉を茂らせて、涼しげな陰を作っていました。

大きな樹一本が、一日に出す酸素の量は、大人が一日に必要とする酸素の量の六十人分であるらしい。だいぶ前になりますが、ある科学雑誌に載っていたのを記憶しています。そのせいでしょうか、木蔭に立つと、本当に爽やかな空気が流れているのをハッキリと感じます。

今日の安曇野地方は、全くの夏日でした。特に太陽光の下に出ると、息が荒くなるほどの暑さでした。教会の塔の建つ、半屋根裏部屋に、この四月から下宿している大学一年の次男が、「この二階は、暑い、あつい、アツイ」と、赤い顔をして言うので、二階の部屋へ行ってみると、西日を浴びる部屋は確かに暑かった。しかし、窓を全く開けていないではないか。

そこで、左右の小窓を開けることを教えた。「いいか、これは網戸もついているから、こうやって外に向かって押せば、開くだろう…」「あっ!、ほんとだ」。「そして、この真ん中の大きな窓と、この上に、今日、網戸を入れてやるから、ここをいっぱいに開けて、この反対側の小窓もいっぱいに開けて、風を通してみろ、閉め切っていたら、そりゃあ暑いよ」。

さっそく、二人で寸法を測って、網戸を購入して来て取り付けた。九千円近くかかってしまったが、クーラーを入れる事を思えば安いし、体にもいい。まあ、夏を前にして、しかたのない出費である。それから、奨学金の手続きの書類の確認と、銀行の総合口座普通預金通帳の、つくり方を教えてから、夕方に私は伊那高原へ戻った。次男は、明日から友だちとの予定があるらしく、そのまま、安曇野にのこった。妻が高速バスで、今夜八時過ぎに京都から帰るので、伊那の高速バス停まで、私は迎えに行く必要があった。伊那へ向かう中央高速は、だいぶ混雑していて、追い越し車線もビッシリと、車が詰まっていた。妻も、予定よりはだいぶ遅れるかもしれない。

東京町田にある養護施設での仕事を、二年で引き上げ、この四月から伊那市の保育所で働き始めた三女は、友だち六人と、土曜日から二泊三日で、京都へ遊びに行き、次女は、連休通りには休みのない美容師なので、いつも帰りが八時過ぎ。この一週間は、犬と私一人の日が多く、普段より、だいぶ読書が出来ました。しかし、一人でいると、一日が、何だか、とても長く感じたな~。

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2008年5月 3日 (土)

母の日を前に 幾つになっても母は母

昨日の午後、玄関前の駐車場で、スノータイヤからノーマルへのタイヤ交換をしていると、家の中で電話が鳴った。京都の実家へ里帰り中の妻からと思い、出てみると、「もし、もし、陽子が、帰ってきー、しませんのや…」と、八十八歳になる義母の意味不明の不安そうな声が響いた。

05027 聞いてみると、午前十一時頃、河原町の方へ、一人で出かけたが、午後の二時を回った今も、帰ってこないし、連絡もないし、迷っているのと違うやろか、あの子は、長いこと京都を離れていたし、ややこしい所へ出かけて、どうか、なってるんとちがうんやろか…。心配やから、携帯を持って行ったから、その電話番号を教えてほしいとの内容だった。

妻の筆跡で、私のパソコン前のカレンダーにメモしてある十一桁の番号を、私はゆっくりと読み上げた。向こうで、紙のこすれる音がして、筆記しているらしい音も伝わってきた。二回、ゆっくりと読み上げ、義母からも、読み上げてもらった。

その電話を切って、私の胸はやや熱くなっていた。母親というのは、我が子が幾つになっても、母親なのだなーとの感慨だった。そして、今月には、母の日があったことに、私は気づいた。

P1030839h その夜、妻からかかって来た電話で、「普段は一人でいることの多い、おばあちゃんだから、そんなに急いで帰って来る事はないからな…」と、私は伝えた。母親にとってみたら、我が子の一週間ほどの帰省は、あっという間に、過ぎてしまうに違いないのだ。

今日から、連休の後半である。私は、明日の日曜教会&日曜幼稚園の礼拝を終えると、この後半も特に予定はない。冬の間、ほとんど使用していなかった、私の書庫と書斎にしているログハウス内で、この後半の連休も、少しのんびりしたいと思っている。庭に作ったミニ菜園や、プランターの花たちへの水やり、読書、そして犬との夕暮れ散歩などで過ごすことになる。

P1030863hしかし、ミニ菜園を見るとどうだ!。ついこの前に蒔いた二十日大根の種の小さな芽が顔を出しているではないか。やっぱり、朝夕欠かさず水をやったからなー。蒔かない種は、芽を出さない。しかし、どんな小さな種でも、蒔くこと、実行することで、必ず芽が出て、成長してくれる。そして、実をつける時が来るのだ。明日の教会&幼稚園の日曜礼拝でも、心を込めて、聖書の言葉、その福音の種を蒔きたいと思う。

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2008年5月 2日 (金)

昨日も 犬と一緒の夕暮れ散歩

昨日の伊那高原の天候は、朝方に太陽が姿を見せただけで、あとはうす曇りの一日となり、夕陽を見ることもないまま、日が暮れてしまった。

P1030853h そのため、この日の夕暮れの散歩では、この前の春の夕陽を受けた、あの幻想的な菜の花畠の姿、あの「♪朧月夜」の歌詞の情景を味わうことは出来なかったが、この日はカメラを持っていたので、あちこちでシャッターを押した。

P1030844h散歩途中にある老人福祉施設の花壇で、チューリップの花がきれいに咲いていました。球根を植えるときに、きっと、その色の配置も考えて植えられたのでしょう。かなり高齢の方が、いつも一人で草取りや手入れをされています。その姿をよく見かける花壇です。

P1030847h この散歩コースは、中央高速道と西天竜の間に広がる畠地帯になっていて、私が幼少だった頃そのままの風景が、今も見られます。途中に林檎園もあり、白い、満開の花を咲かせていました。私の思い出の中の林檎の樹は、樹登りも楽しめた、とても大きな樹でしたが、今は、作業しやすい、小型の樹に改良されています。しかし、収穫量は多いようです。

P1030859h私が少年の日には、あたりまえと思っていた、こうした畠の広がる風景を、今になって、しみじみと、いいな~、と感じます。途中一箇所、 やや暗い森の中をぬけ、西天竜の橋を渡り、東側へ出ると、田植えの準備が始まった田んぼが、一面に広がり、その田に水を運ぶ小さな流れが、夕風の中で気持ちよい小さな音をたて流れていました。

P1030862h この日は、いつもより、やや早い時間帯だったので、蛙の合唱は、まだ始まっていませんでした。しかし、とにかくいい季節です。帰りに伊那市街地へ出て、書店に寄り、「国家の品格」藤原正彦著を購入してしまった。この藤原氏は、あの「聖職の碑」の著者新田次郎の次男であることを初めて知りました。私は、もっと堅苦しい本かと思っていましたが、ユモアーがあり、なかなかおもしろい本です。そうかー、二百六十万部を突破してるんだなー。

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2008年5月 1日 (木)

「♪朧月夜」 歌詞そのままの信濃路を散歩

昨日の、犬との夕暮れ散歩は、やや強い南風の中だったが、心地よかった。車はほとんど通らない田舎道沿いの林檎園では、花が咲き、そろそろ満開の季節となっていました。花びらを開いてしまうと、ほぼ真っ白な林檎の花々ですが、蕾から開き始めにかけては、濃淡をつけた淡く美しいピンク色で、何ともやさしい色と雰囲気です。そして、新緑の小さな葉たちが、その花々の白を浮き上がらせて、立体感を演出しています。

西山に陽が落ちかかる、午後六時前の瞬間は、その西陽を浴びた私と犬のリーの影が、良く見ないと、どこまで伸びているのか分からないほど薄いのですが、道路や畑の中に、電信柱ほどにも長く伸びていて驚きました。

この日は、カメラを持たずに散歩に出たことを悔やみました。それほどに、菜の花畑の横道を通った時には、本当に幻想的な田園風景で、周囲の全てが、あの「おぼろ月夜」の歌詞そのものでした。歌い始めはしたものの、正確には全ての歌詞が分からなくなってしまい、家に帰ってからインターネットで調べました。

下に記したのが、正確な歌詞です。私は一番の最初の方しか覚えていませんでした。どうやらこの歌の舞台となったのは、やっぱり、北信濃のようです。今度は、西天竜の橋を渡り、東側の広い田んぼ地帯にでると、水の張られた田から、歌詞そのままに、やや強い南風に乗って蛙の合唱が響いていました。本当によい季節です。

朧(おぼろ)月夜」 高野辰之作詞・岡野貞一作曲/文部省唱歌(六年)

菜の花畠(ばたけ)に、入り日薄れ
見わたす山の端(は)、霞(かすみ)ふかし
春風そよふく、空を見れば
夕月(ゆうづき)かかりて、におい淡(あわ)し

里わの火影(ほかげ)も、森の色も
田中の小路(こみち)を、たどる人も
蛙(かわず)のなくねも、かねの音も
さながら霞(かす)める、朧(おぼろ)月夜

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2008年4月30日 (水)

Soul searching

P1030835h 昨日に続き、今日の伊那高原は、ポポカと春の陽光あふれる、風もない穏やかな天候です。我が家の庭のチューリップは、朝からその花びらをいっぱいに開いて、その自然の原色を輝かせています。

もう、二十年以上も前のこと、豊科シオン幼稚園に入園して来たばかりの女の子が、私の妻に、「ねえ、せんせー、このチューリップの花に、だれが、こんなにきれいな色をつけたの?」と聞いたのを、私は毎年きまって、この季節になると思い出します。

見上げる青空、そして白い雲、足元のクローバーの緑、チューリップの赤、白、黄色、ピンク、紫などの花びらを見つめる時、この私も、とっても不思議な感動を覚えます。

私は昨日から、「旅をする木」に続いて、同じ星野道夫著「ノーザンライツ」(新潮文庫)を読み始めています。彼の写真に私が初めて触れたのは、NHKBSハイビジョンの特別番組でした。

P1030485ah1その彼は、まるで、あのアラスカの大自然の中に吸い込まれるように生きた男だった。そして、その大自然の中に、同じように生きた、まるで一頭の動物のように、その自然の中で、彼は突然、死んで行きました。しかし、彼は素晴らしい数々の写真と、何冊もの本を、私たちに遺しました。

その彼は、時どきに「ソウル サーチング」という、言葉を使っています。普通には「鋭い自己省察(分析)」といった意味でしょうが、もっと直接的に「魂探し」と受け止めてよい、深い言葉であろうと思います。一人ひとりが、自分のいのちを、見つめなおして、今ここに、生きることの喜びや、感動を発見するための時間かもしれません。

51xmhraffml_sl500_aa240_1忙しさや、慌しさの中に生きる現代人は、本来はとても大切な事柄から心が離れ、心を亡くしたり、荒らしたりしている状態におかれていないでしょうか。私は、星野道夫の写真や文章に触れたことで、そのことを、改めて強く感じています。今年のこの大型連休中は、どうやら、このまま晴れの日が続きそうです。爽やかな五月の風に吹かれて、豊科シオン幼稚園の幼子たちも、家族のみんなと、素晴らしい自然の中で、このソウル サーチングが出来たらいいね。

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2008年4月29日 (火)

幼子のように ゆっくり歩く連休

05016 今日の伊那高原は、春の霞で、ぬけるようなクリアーさはありませんが、素晴らしい青空が広がり、明るく暖かい太陽光が、新緑の自然を、ポカポカと照らし出しています。

私は、書斎にしているログハウスの窓をいっぱいに開き、音楽を静かに流しながら、普段出来ない事に、少しずつ時間をとって、ゆっくりペースで取り組んでいます。

庭の小さな畑や、プランターの花への水やり、犬のリーにブラシをかけたり、少し時間をかけて調べたい資料、読書、観たかったDVD、など等。

豊科シオン幼稚園の幼子たちも、厳しい冬を乗り越えて巡り来た、この春を迎え、そして、新学期がスタートして、約一ヶ月が過ぎた、この季節です。この大型連休は、母親や家族とともに、のんびりと、ゆったりと過ごしてほしいと願っています。

何かと慌しい現代社会です。爽やかな五月の風の中で泳ぐ、あの鯉のぼりたちのように、心にも、体にも、いっぱい新鮮な空気を吸い込み、深呼吸する連休になるといいですね。

51j15gfcg5l_sl500_aa240_1 昨日の早朝から、伊那中央病院の待合所で読み始めて、昨夜、布団の中で、私が読み終えた本は、「旅をする木」星野道夫著です。その本の中に、アンデス山脈へ考古学の発掘のために、大きなキャラバンを組んで出かけた時の探検隊の人々と、荷物運びでやとわれた、現地のシェルパの人たちの話が出て来ます。

ある日、山岳地帯を旅している途中で、シェルパの人々が突然、歩くのを止めて、腰を下ろしてしまいました。そして、隊長たちが何を言っても、叱っても、それ以上は、歩き出そうとしません。特に疲れたわけでも、やとわれた賃金に不満があったわけではなく、理由は意外なところにありました。

隊長が、その理由を聞くと、「私たちは、ここまで、速く歩きすぎてしまい、心を置き去りにして来てしまった。心がこの場所に追いつくまで、私たちはしばらくここで゜待つ必要があるのです」と、シェルパの代表は答え、隊長たちもなっとくするのです。

05196 本当に大切なものは、この世に、そう多くはないのに、現代人は、どうしてこうも慌しく生活するようになったのでしょうか。このしいという言葉や、しいの言葉の漢字を、よく見ると、心が亡びたり、荒れたりしている状態を現しています。

私たち大人も、幼子たちのように、ゆっくり歩き、足元の草花を、やさしくゆっくりと眺め、ゆっくりと考えて、心と体を調和させて過ごす、そんな連休になったらいいですね。

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2008年4月28日 (月)

薬はジェネリックが、断然お得

P1030830h 今朝早く、妻は六時半に高速バスで京都の実家へ向かった。私は午前八時半に伊那中央病院へ行った。血液検査の結果は、尿酸値は、4.4に下がっていた。痛風の痛みが右足親指の付け根に出た時の値が、7,7だった。

この値について、整形外科の若い医師に聞いてみると、「尿酸値を4~6ぐらいの間を目安にしては、どうでしょう」との事だった。炎症も治まっていると、パソコンのグラフを見ながら医師は言った。腎臓や肝臓は全く正常とのことだった。どうやら、もうしばらく、尿酸値を下げる薬を服用した方が良いというのが、医師の意見だった。副作用も心配はないと医師が言う薬らしいから、まあ、従うことにした。「えーと、まだ錠剤はどのくらい残っていますか」、「えーと、飲み始めたのが四月に入ってからだから、それに忘れて飲まなかった日もあるし……、十錠は残ってたかナー」。

P1030834h しかし、あたりまえの事ではあるが、病院には、足を引きずったり、車椅子を押してもらっている高齢者たちで溢れていて、いつも驚きます。私も痛風が発症してからの何週間かは、右足を引きずって歩いた。そんな私を、次々と追い越して、いとも簡単に歩いたり、走ったりしている人たちが、うらやましかった。

それ以来、人々の歩き方に、よく目が行くようになった。今日、待合室をかねた廊下の椅子に座っていると、足を骨折したらしい高齢者の方が私の左に座っていて、その前に腰の手術を近々受けるらしい車椅子の方が来て話し始めた。

「おれ、携帯かけながら、あの神社の階段下りててさー、もう下り終ったと思って、こうやって左足を伸ばしたら、地面がなくてさー、スーッと、何メートルか下へ落ちちゃってさー…」。そして何処かの整形外科へ行ってレントゲンを撮ってもらったら、その医師は、「骨はきれいなもんですよ」と、言ったらしい。

P1030831h しかし、痛みが凄いので、この伊那中央病院で精密検査を受けたら、足のくるぶしの丸い骨が、ぐるりと一回転していたとか。まるで、落語を聞いているような内容で、私は「ふふん!」と笑ってしまった。私は文春文庫「旅をする木」星野道夫著に目をやり、読んでいたので、チラリと、私を見ただけの二人は、そのまま、おもしろい会話を続けるのだった。

そんなんで、あまり集中して読書が出来なかったが、診察を終えて、支払いをして病院を出るまでの二時間半ほどの間に、本のほぼ半分の120ページを読み終えていた。病院の待合所での会話を聞くのもいいが、詩的な文章で、内容もあり、良い本である。

車の中で待たせていた犬のリーを、「すまん、すまん」と声をかけておろし、病院南側の田園の中へ、車はそのままにして、三十分ほど散歩に出た。今日も春の陽光がさんさんと降り注ぎ、田植えの準備の始まっている田の土手では、クローバーの緑や、たんぽぽの黄色が鮮やかに輝いていた。

それから、病院の直ぐ北側にある薬局で、処方箋を渡すと、直ぐに私の名前が呼ばれた。「医師の処方箋のここに何の指示もなく空白ですから、今回は、成分も効能も全く同じの、この薬にすることも出来ますが、どうしますか?」と、聞かれてしまった。

P1030833h 新聞広告やテレビコマーシャルで、目にしたり聞いたりしたことのある「ジェネリック」の医薬品だった。そこで、「あー、ジェネリックですか。その安いほうがいいですね」と、私は答えていた。私以外にも、「ジェネリックで、お願いします」という方の声が聞こえた。同じ効き目で、八十一錠で、約1927円安くなるのだ。今後一生飲み続けるとなると、この差は大きい気がする。ジェネリックでは一錠9円、開発会社のは33円である。三倍以上高いもんなー。今までもうけて元をとったら、開発会社も安くすべきだよなー。

次回の検査7月28日までの、八十一錠の値段は、730円だった。小さな白い錠剤である。これから、毎食後に、また一錠ずつ飲まなければならない。まあ、この一粒9円の小さな錠剤を目にするたびに、「食べすぎに注意、運動不足に注意、バランスの良い食事、ビールの飲みすぎに注意…」などと自分に言い聞かせながら、健康に注意するようにしよう。

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2008年4月27日 (日)

チューリップも輝く季節

P1030827h 安曇野にある教会&幼稚園の花壇に咲いている、パンジー以外のもう一つの花。そのチューリップも撮影してみました。



P1030828h赤、白、黄色、紫、ピンク、そして模様の入ったもの、チューリップの原色も、実にいいなー。そうそう、今日のサンデースクールの小学科の二名の女の子は、葉桜になった桜の樹の下で、聖句の豆カードを手に、十分ほどの分級を受けていました。

P1030829hこの小学科の先生は、横浜のミッションスクール「聖美学園」の幼稚園で聖書に出会い、ミッション系の中学、高校と進み、中学二年のクリスマスに洗礼を受け、大学はお茶の水に進み、中学の教師も勤めたことのあるC姉です。素晴らしい季節の野外でのSS、子どもたちの心にも、きっと深く沁み込んで、記憶に残るに違いありません。二人の女の子も、豊科シオン幼稚園で、聖書の言葉に出会いました。この子たちも中学二年生ぐらいで、洗礼が受けられたら、素晴らしいことだな~。

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パンジーの輝く季節

P1030820h_3 今日の安曇野は、輝く春の陽光が降り注いでいます。教会&幼稚園の日曜礼拝を終えて、午後から幼稚園教諭たちは、園児家庭への訪問を行っています。私は事務室で犬のリーと留守番。


P1030821h_2メラを持って、花壇のパンジーたちを撮ってみました。厳しかった安曇野の長い冬を乗り越えて、今を盛りに、安曇野の春を謳歌しています。左の七枚をがそれです。


P1030822h私は、このパンジーの花を見ると、私の観た映画、「赤毛のアン」に、このパンジーの花が登場していたことを思い出します。字幕スーパーでしたが、耳に飛び込んでくる英語のせりふが、とてもシンプルでした。いつか、英語の原書本を手に入れて読んでみたいな~。

P1030823hしかし、今の英語力で、読めるかな~。




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色鮮やかな自然の原色は 脳を活性化させる

P1030816h 今朝は、やや気温が低く、ひんやりとした空気がながれています。しかし、これが標高が高い高原の空気です。朝一番に庭へ出ると、昨日の強風の中、やや薄暗くなった中で、手入れした庭でしたが、まあまあきれいに草刈りが出来ていました。

今まで、草原状態だった我が家の庭に、小さいながら、畑スペースが生まれて、家族に仲間が増えたような感じを受けます。庭の一番奥、南東の隅に植えたピンク紫の、名前は知りませんがツツジの一種の花が朝日に輝いていました。私は、この色が大好きです。本当はもっと濃いぐらいのがいいのですが。

伊那高原で、冬枯れの景色ばかり見て、長い冬を過ごす私の目に、このピンク紫や、連翹(れんぎょう)の鮮やかな黄色、そして花桃の赤やピンクの色彩は、強烈に春を実感させます。そして、何だか脳に活力があふれるのを感じます。

P1030817h 私は、こうした原色の強烈な個性を打ち出す鮮やかな色が好きです。幼児もこうした鮮やかな原色が好きな傾向がありますが、目を覚ましてくれるような輝きがあります。もっと深く濃い色を出しているのが近所で見られますが、きっと土壌の養分なんかが影響しているのではないか、と考えられます。

このピンク紫の花をつける同種のものが、我が家の庭にもう一本ありますが、種類がやや異なるのか、それはまだ蕾のままです。この鮮やかなピンク紫の花が散ったら、安楽椅子を置いてあるベランダから見える位置に、今年は植え替えようと思っています。さて、これから私は、安曇野にある教会&幼稚園へ、日曜日の礼拝に家族と向かいます。新しい一週間に備えて、心にエネルギーを充満させ、活性化させる礼拝です。

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2008年4月26日 (土)

連休前 強い風の中 庭の手入れ

05056 犬との散歩から帰り、風がやや強い中でしたが、庭の草刈りをしました。電動式の大型草刈り機をグワングワンと、暗くなるまで振り回し、何とか、繁茂した草原状態の庭全体をきれいに刈り上げることが出来ました。両腕の筋肉が少し張った感じで、パソコンを打つ指が少し震えています。

しかし、労働の後の飲み物はうまいし、気分も爽快です。横道を挟んで下側にあたる隣家のFさんが、草刈り機を振り回す私を見て、「この風の中、良く働くねー!」と笑顔で声をかけてくれました。「少し体を動かして、この風と一緒に、痛風を吹き飛ばそうと思ってねー!」と、私も大声で応じました。

体を動かしていたので、強い風も気にならず、むしろ気持ちよい風に感じました。何とか、連休前に、きれいにしたかったので、予定通り終了して、やれやれと言ったところです。明日の午後ぐらいに、刈り取った草を集めて完了です。

Oh_lifejacket_or1豊科シオン幼稚園の園児と教諭の連休は、明日の日曜幼稚園に出席して、午後には、園児宅への新学期家庭訪問があります。そして、月曜日は休み。そして、30日と五月1日、2日も計画休みなので、4日の日曜幼稚園を挟んではいますが、6日までの、大型連休となります。園児たちにとって、家族と、ゆったりと交わる楽しい連休となるよう願っています。

妻は、月曜日から京都の実家へ里帰りです。義母は八十八歳になりますが、元気です。妻のお兄さん夫婦が、豪華船で、世界旅行中でもあり、義母はちょっと心細いこともあり、きっと娘の帰りを、楽しみに待っていることでしょう。私も一緒に行こうかとも思ったのですが、犬のリーのこともあり、今回は、犬と留守番することにしました。

Wbwsp171481ah 世界旅行中の義兄夫妻は、この前のEメールでは、日本のタンカーが銃撃されたというソマリア沖に近いところを航行して、エジプトのサファガという港から2泊3日のツアーに出かけているころでしょうか。ルクソール神殿やピラミッドを見てアレキサンドリアで、また船に合流するんだそうです。どうやら、自由選択もあるツアーのようです。帰国は七月上旬の、まだまだ続く世界を巡る長旅です。うらやましいな~。

まあいいさ。この私も、この夏には、琵琶湖と日本海辺りへ行って、小型ヨットをリーと一緒に楽しむ計画をたてよう。この前、その時のために、なるべく軽い、私用のライフジャケットと犬用のライフジャケットを、インターネットで探し当てたところです。リーも私も泳ぎには自信がありますが、沖に出る時には欠かせないアイテムなのです。

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野菜中心の食生活 減量すると爽快です

今日の伊那高原は曇り空。そして、時折り小雨が落ちる天候です。空気もやや肌寒く感じ、私はスタジャンを再び出して着込んでいます。我が家の庭にミニ菜園を作ってから、こんな小雨模様の日でも、庭へ出るのが楽しみになって、ジョロで水をまいたり、二十日大根の種を蒔いた畑の地面を覗き込んだりしています。

今日は、行者にんにく 葉をまとめて、収穫しました。両手の平で丸く抱えるほどの分量です。しかし、まだ半分は未収穫で残っています。その収穫したのを、ウインナーと一緒にエコ油で軽く炒めて、少し早い昼食でしたが、おいしくいただきました。

詳しい事は知りませんが、名前からして、昔、山岳で修行をした行者たちが食したのではないかと思われる、この行者にんにくなので、これを食べると、何となく山野を猛烈な速度で駆け回れるようなスタミナが湧き上ってくるような気分になります。

私は、あの普通のニンニクやニラなど、この臭みのある食材が好きで、家族からは、やや敬遠されていますが、食欲増進やスタミナ源として、体に良いような気がしています。

それと、甘味のあるトマトも大好きで、一日に一個は食べるようにしています。しかし、若い頃に比べると、また、痛風になってからの、ここ一ヶ月ほどは、体重八十キロ以下が普通になりました。だいぶ小食になりました。以前の半分ほどです。

体重が四キロほど落ちて、ズボンのバンドの穴に、二つの余裕が出来、こまめに自分のことは、自分で動き回るようになり、妻からは喜ばれています。運動靴の紐を締める時も、しゃがんで庭の草取りをするときも、腹の辺りにあった圧迫感が消え、楽に行動できて、快適な生活がおくれるようになりました。読書も以前に比べ、読書時間の持続力が付き、すぐに眠くなることもなくなりました。何だかよいことばっかりだな~。反動が恐いな~。

いずれにしても、食事は野菜中心に、栄養はとりながら、カロリーは低くをモットーに、この歳になって、初めて、健康面から、食事の量をコントロール出来るようになったのです。今のところ無理なく、我慢もなく、快調です。さて、これから犬との散歩に出ます。今日は、軽快な足取りで、行者の様に、山野を走ってみようかなー。

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2008年4月25日 (金)

教会&幼稚園にも 畑が完成

P1030804h 午前十時過ぎから一時間半ほど、園児たちと犀川へ野外教室に出かけました。北風が心地よく吹いていたので、最初に、私の顔を大きく描いたグニャグニャ凧を揚げてみました。見事に揚がりました。

せんの風になって、わたしは~、わたしは~、凧になりました~」と、私がおどけて、大声で歌うと、幼子たちは、高く揚がる凧を見上げながら、ケラケラと声をたてて、何回もなんかいも笑いました。

P1030809h それから、水量を増した犀川の岸辺を歩き、芽吹いてきたアカシヤの小さな若葉を見たり、空を動く白い雲を見上げたり、川の流れの中へ勇敢に飛び込み、泳ぐ犬のリーの姿を、拍手しながらながめたりしました。五月の連休を過ぎて、この犀川の中州に群生しているアカシヤの樹に、白い房状の花が咲き乱れると、それをみんなで採って、今年もまた、例年のように天ぷらにして食べることになります。

P1030811h 最後は堤防の高い土手の坂を駆け上り、今度はゴロンゴロンと横になって転げ落ちる運動に、一人ひとりがチャレンジ。みんなよく頑張りました。そうそう、アカシヤの木のてっぺん近くに作られたカラスの巣も見学しました。また、みんなの歩く土手道のあちこちでは、タンポポの黄色の花がとても鮮やかに輝いていました。

P1030815h この日は、昼過ぎに、三歳児の定期検診に行く子がいたので、十一時半に、園に帰りました。みんなでおやつをいただいてから、強い陽が射して来た園庭で、自由遊び、その間、私は、昨日からの続きの、畑作りをしました。昨日は、幼子たちも一緒に、みんなで草取りをして、今日も、簡単な作業を手伝ってもらい、ようやく、幼稚園のみんなの畑スペースが完成しました。

久しぶりに私は、鍬を使って、土を深く耕す作業をして、腰が痛くなり、休み休みの畑作りでしたが、よい運動になりました。連休明けには、畝を作り、みんなと相談して、野菜類を植えたいと思っています。やれば出来るもんだな~。

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