涅槃経 聖書 情況の中に咲く福音の言葉 犬だって仏になれる 犬だって天国へ行ける
最近「親鸞」や仏教に関する何冊かの本を読んでいる。それらの本によると、親鸞二十六歳の時、妙齢の美しい女性との出会いがあった。年始の所用を済ませ、山に帰ろうとする親鸞が比叡山のふもとにある、赤山禅院という神社の前を通った時のことである。親鸞の初恋の人と言ってよい、その美しい女性に親鸞は出会う。
その女性は、仏典の一つ「涅槃経」(ねはんきょう)にある一文、「山川草木、悉有仏性」(さんせんそうもく しつうぶっしょう)の言葉を口にし、このように、すべてのいのちに仏になれる可能性があるというのに、なぜこのお山は女を差別するのでしょうかと、疑問をぶつける。
この経典には、猫でも、牛でも、豚でも、鳥でも、蜂でも、犬でも、人間でも、男でも、女でも、雌でも、牡でも、仏になれる可能性はすべてのものにあると、記されている。それなのに、何故、女は比叡山に入れないのか。それが、この女性の疑問だった。この時、親鸞は、返答できず、一人比叡山へ帰っている。
「涅槃経」の一文に限らず、どうやら仏教では、全ての「いのち」は平等であると教えているようだ。凄いと思う。これに対して、私が、賛成とか反対とかを言う問題ではないと思うが、私は大賛成である。涙が出るほど感動である。そして、私の出会った愛犬たちに関しての一文を書いている私にとって、この仏教の「涅槃経」は、私と犬たちとの生活の実状況に対し、喜びと救いをもたらしてくれる福音の言葉である。
今朝の朝日新聞、地方版に、清泉女子学院大学教授の田村亮子氏の記事が載っていた。この清泉女学院短期大学から、私の豊科シオン幼稚園に、毎年何名かの実習生が来ていることもあり、親近感を持って読ませてもらった。この記事の中に、日常生活の具体的な情況の中に、水中花のように、パッと生きて咲く言葉、との表現があった。その一つの言葉、それが、正に今回私の出会った、「山川草木、悉有仏性」の言葉である。
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