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2008年3月

2008年3月31日 (月)

京都土産

P1030672h 昼過ぎに雪は止み、薄日が射して来て、夕方に雪は、ほとんどが溶けてしまった。その夕方に京都へ行っていた長男家族が、私が頼んでおいた「ゆば」等の土産を持って、塩尻の自宅へ帰る途中で寄ってくれた。

三歳の孫のSは、「あのねー!、おんせんにはいってきたんだよ!」と目をクリクリさせて、私に京都体験の報告をしてくれた。妻の兄である神戸の伯父さんに、二日間、京都のあちこちを案内してもらったようで、良い思い出になったようだ。

長男はカーナビを付けていたが、京都は一方通行が多く、カーナビ頼りでは心配だからと、伯父さんが付き合ってくれたらしい。京大出の伯父さんである。私とは全くタイプの違う義兄であり、めんどうみのよい優しい義兄である。親しい友人は医者とか弁護士で、こちらも、私には苦手な連中である。

P1030673h それはさておき、京都土産を見ている内に、私も京都へ行きたくなってしまった。今回は、次男の大学進学の準備などがあり、妻は行けなかったが、五月の連休に行くことになっている。京都の義母は八十八歳になるが、まだまだ元気でいてくれるので、こうした小さな京都旅行はいつでも出来るのだ。

義兄夫婦は、四月四日から、豪華船での世界一周旅行に出かけるらしい。約四ヶ月の世界旅行だという。インターネットメールで、各国からの写真を、私の所へ送信してくれるらしい。うらやましいなー。妻は、その間、何回か京都へ足を運び、義母の生活のサポートをすることになっている。もっとも義兄のところの大きくなった娘たちが、しっかりとサポートをしてくれるから、妻は話し相手ぐらいです。

普段の生活から、離れて、見知らぬ街や風景の中を歩く旅。それが小さな旅であっても、大きなスケールの旅であっても、やがて、自分が帰ってこられる場所を、しっかりと持っているからこそ、旅は楽しく、また幸せなのです。あのふうてんの寅さんも、そうでした。あー、この私も、少し長期の旅へ出たくなったなー。世の旅人たちよ、最終的には、どんな土産を持って、誰が待っている、「君は何処へ帰る」。

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今朝は春の雪が降り続いています

P1030671h 昨日午後から降り始めた雨は、未明から雪にかわり、今朝の伊那高原は、ボタン雪が降り続く天候となっている。気温もだいぶ低く、冷たい空気が流れています。

昨日は安曇野市に、およそ二百人在住していると言われている中国人の方たちを、様々なかたちで支援しているボランティアグループの依頼で、午後三時から五時まで、教会堂をお貸しして、それが終了してから、伊那高原の自宅へ向かった。中央高速道では、久しぶりの激しい雨がフロントガラスを打ちつけていた。

そして、今朝の雪である。決してめずらしいことではないが、やはり今朝は「おー!、雪だー」と、驚いてしまった。そう言えば、この三月には、例年の春のドカ雪がなかったな~。一夜で三十センチを越すような春先のドカ雪が二三回あって、本格的な春が来るのが、例年の一般的パターンなのだ。

P1030668h こうした雪国にあっては、桜の花が咲いても、スノータイヤからノーマルタイヤに交換することはない。一番確実なのは、五月の連休頃に、タイヤ交換することである。そうしないと、今朝のような突然の雪道に対応できない。

私が、東京町田の神学校を卒業して、家族と安曇野にある教会&幼稚園に向かったのは四月の初めだった。山の峠を越えて安曇野に入った時、私たち家族が車窓の外に見たのは、北風に激しく舞う春の雪だった。そうか~、あの四月の春から数えて、二十八回目の四月を、明日迎えるんだなー。

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2008年3月30日 (日)

小さな旅 新しい日々への旅立ちの前に

04008 昨日まで、私は、ちょっとした旅に出ていて、自宅に帰ったのが夜になってしまいました。私と犬の春休みの小さな旅でした。やはり、長男家族四人も、京都への小さな旅に出ています。京都のおばあちゃんは、きっと小さかった時の長男そっくりの、二人の男のひ孫にビックリしているかもしれません。

本当は、妻が京都へ行く予定でしたが、突然の腹痛で手術があり、五月の連休頃に延期となった。その分、長男家族が行くことになり、京都のおばあちゃんも、よろこんでくれていると思う。

毎日、全国各地から桜の開花や満開のたよりの入る季節ですが、伊那高原も安曇野も、まだ桜の蕾はかたいままです。しかし、だいぶ大きな蕾になっています。狭い日本と思っていても、たまに、ちょっとした旅に出てみると、いろんな素晴らしい風景の中に、いろんな人々の暮らしがあることに、感動します。

今日は、これから安曇野の教会&幼稚園の日曜教会&日曜幼稚園の礼拝に向かいます。東からオレンジ色の明るい朝日が昇っています。どんな季節も、どんな時も、日曜日の朝は、聖書の言葉に聞き、祈り、賛美歌をうたい、新しい一週間への旅立ちなのです。

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2008年3月28日 (金)

犬も一緒に 教会員宅を訪問する春

04037 昨日の安曇野は、春のポカポカ陽気となった。二日前に約束していた、穂高に住む九十一歳になるT姉宅を訪問した。一人での生活は困難になり、娘さんの介護で日々を過ごしておられるが、しっかりとした姿勢で炬燵の向こう側に座り、一時間ほど、様々な話題で花を咲かせた。

帰りがけに、犬のリーを縁側近くにつれて行くと、犬の好きなT姉は、自分で体を移動させて、南側の日当りのよい縁側まで出て来て、リーの頭をなぜて微笑んだ。

このT姉は髪の手入れをしたいのだが、その日の体調で、なかなか美容院へ行けないでいるらしい。そこで、我が家の次女が、美容師をしているので、連絡をとり、近々私と訪問して、洗髪とカット、そして部分パーマなどを、次女にしてもらうことにした。

九十一歳となり、確かに体力は弱ったが、聖書の言葉に触れ、祈る時の、その口調や内容は、元気だった頃の、それといささかも変わることなく、むしろ、日々内なる魂が新しくされていることを、私は実感して、感動をおぼえた。

妻も同行したが、妻の「腸重積」の緊急手術のことを話すと、大変心配して、同じような腸の病気で、昔に急逝した知り合いや親戚の方の話もして下さり、「本当に、よかった。神さまのまもりがあったんですよ…」と、妻に声をかけて、祈って下さった。

今は美容師をしている次女が、まだ本当に小さかった頃、野外礼拝で河原へ出かけた時の思い出にもふれ、「あのAちゃんがねー…」と、髪の毛のカットの日を楽しみだと言った。次女に連絡をとると、「喜んで、ぜひやらせて下さい」と、直ぐに返事が来た。

新年度から、私は教会に泊まりこむ日が多くなる。これからは、九十四歳のF姉、また八十八歳のA兄、そして…と、高齢になり、礼拝出席が困難になった教会員の方々を、もっと訪問しなくては、と思いながら、春の陽射しの中で私は大きく深呼吸をしていた。

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2008年3月27日 (木)

今日も 事務処理に追われる年度末

04168 今日の安曇野は、春の明るい太陽が昇っています。昨夜は、「ほりで~湯」へ行きサウナ風呂でバッチリ汗を流し、水風呂にもザバーッと入り、痛風にも効くというので、温泉にもゆっくり浸かったこともあり、午後八時過ぎには目がトロ~ンとなってしまい、九時前には布団にもぐり込んで眠っていました。

今朝は、その分スッキリと目覚め、朝のうちに、年度末の提出書類の、やや分量のあるやつを、何とか処理できました。しかし、後、三種類ほどがあり、やれやれです。今日は昼前に教会員のT姉宅を訪問する約束になっています。それまでに、東海教区への年度末提出書類を、私の出来る部分を記入して、書記と会計の担当者に渡せるようにしておきたいと思う。

事務所に置いている二十インチの小型テレビでは、高校球児たちが、春の熱戦を繰り広げています。高校生は元気だな~。まあ、私も高校時代には、あの諏訪湖を往復横断遠泳していたな~。十二キロほどだったろうか。それでも、まだ余裕があったもんな~。エネルギッシュな時代だよな~。

二十七歳の時には、琵琶湖を十二時間かけて、安曇川から米原まで泳いでたな~。さらに四十八歳で、イスラエルへ渡り、ガリラヤ湖も横断遠泳してきたな~。本当は、今もスイミングスクールへでも入会して、毎日二キロぐらいを健康のために泳ぎたいところだが、犬もいるし、歩くことで、健康維持につとめることにしている。

沖縄あたりは、もう泳ごうと思えば泳げる季節なんだろうな~。高校野球の試合前に、全国各地の高校紹介があるが、南国の海に近い高校の紹介があると、「いいところだな~」と、いつも思って、うらやましくなる。

しかし、ここ安曇野も、もちろん良いところである。自然は豊かだし、近くに温泉はあるし、夏には清流の川で水泳も出来る。もうすぐ、菜の花や蓮華が一面に輝く風景を眺めることも出来る。そんな季節となります。まだ十時前か、よーし、後一時間、事務処理を頑張ろう。そうかー、新年度の幼稚園の年間計画表の作成もしなくちゃかー。やれやれ!。

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2008年3月26日 (水)

人と犬はパートナー 一方的命令は悪である

あのアメリカで起こった9.11テロ事件の時に、破壊されたビルの、かなり上階にいた全盲の社員が、盲導犬に導かれて非常階段から無事脱出した時の模様を、二三日前の民放テレビで再現ドラマを交えて報道していた。

犬が前かがみの姿勢でで何十階もの非常階段をおりることは、頭に血がのぼるし、前足に全体重がかかり、二本足の人間と異なり、大変な負担だったに違いない。しかも、ビルの焼ける臭い、飛行機から飛び散ったガソリンなどの異臭が、敏感な犬の鼻腔内を激しく刺激していたであろう。

さらに、この犬には全盲のパートナーを導く使命があったのだ。そして、時間的にはギリギリに最階下に達したが、ビルの周りの路上には様々な障害物があり、空中にも危険物が降り注いでいた。

ビルの中から、そうした外へ出ることは、危険であると判断して、ビルの階下に留まることを指示したレスキュー隊員もいた。しかし、盲導犬は、迷うことなく、主人を引き、そのビルを、一刻も早く離れる行動に出たという。

そして、数分後、そのビルは、まるで、巨大な氷河が崩れ落ちる時のように崩壊したのだった。犬と飼い主は助かった。こうした犬と飼い主の信頼関係は大切である。人間の判断だけが、いつも正しいとは限らないのだ。特にいのちに関わるような場面では、犬と人間の心のつながりは、とても大切である。

私も、あれは雪の多い年の冬だった。ある雪の日に伊那高原のダム湖へ犬四頭を連れて散歩に出たことがあった。その時、ラブラドール犬の、最年長だったクロスが、私に引き返すように、吠え声と身振りで教えたことがあった。そして、その直後に、私たちの前方で、大きな雪崩が起こって道を塞いだ。

ハスキー犬のジョンが、斜面を駆け上った、その上部での動きが雪崩の原因のようだった。そのハスキー犬のジョンは、何とがその雪崩の中から這い出して無事たった。そして、私は、クロスを先頭にして、すぐ、「すまん、すまん」と、犬たちに詫びつつ、その東山を後にして、引き返したのだった。

相手がたとえ犬であっても、人間の側からの、一方的な命令に服従させるやり方は、間違っている。人間と犬は、人生の良きパートナーなのだ。犬と人間は、お互いの信頼関係の中で、心を通わせて、ベストの道を選びとって、一緒に進むパートナーなのだ。そのことを、改めて教えられた、よい番組でした。

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2008年3月25日 (火)

安曇野 堀金の 「ほりで~ゆ」

Spa1 夕暮れの少し早い時間に、妻と私は安曇野の西山に少し入った山林の中にある堀金の「ほりで~湯」へ行った。教会から車で十分とかからない所である。サウナ風呂もあり、露天風呂からは常念岳が間近に見え、快適な温泉だった。

次男は近くの銭湯が気にいったようで、自転車で菊の湯へ行き、やはり七時過ぎに帰って来た。教会には風呂の設備がないので、こうした楽しみもあり、まあ、よい思い出になるだろう。ほりで~湯の方は、銭湯に比べやや高い五百円だが、私は、やっぱりサウナのあるこちらの方が断然いい。

風呂から出て、妻と私は安曇野市街の夜景を見下ろしながら、教会まで下って来たが、何だか、温泉地に旅行に行って来た気分だった。

京都の義母が、安曇野に遊びに来るようなことがあったら、この「ほりで~湯」は、宿泊施設もあるので、ぜひ案内したいなー。最近は、伊那市にしても安曇野市にしても、地方のこうした自然の中に、よい温泉施設が出来て、高齢化社会となった地元の人々が、けっこう利用している。今夜もぐっすり眠れそうである。

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春なのに  年度末の事務処理山積

04114 今日は朝から青空が広がり、春の光溢れる一日となりました。今日から三日ほどは、安曇野にある教会&幼稚園に泊まり込みで、年度末の事務処理などのデスクワークです。すでに二階に越して来ている次男に加え、今回は妻も一緒に来たので、こちらが我が家になってしまった感があります。

犬のリーも、蕾のハッキリして来た桜の樹の下で、大きく寝ころんで昼寝をしています。妻が洗濯物を持って来て、南側の軒下に干しています。今日は風がやや強く、そんな洗濯物が、春の陽光を受けてヒラヒラと揺れています。

さっそく安曇野市の教育委員会と、長野県庁の私学課から電話があり、私の苦手とするデスクワークに集中しました。外は光溢れる春だというのになー。昼近く、今度は教会員のT姉宅から電話が入り、久しぶりにT姉と近況をいろいろ話しました。やや長電話になりましたが、九十歳近いT姉は、外出が一人では困難になっているため、礼拝出席は、もう二年ほど出来ていません。

二十七日の午前中に、私が家庭訪問する約束をして受話器を置いた。元気そうな声と内容に、私の心は、だいぶ明るくなりました。事務関連の書類を仕上げて、穂高のケイヨーD2へ妻と出かけ、小さな買い物をいくつかして帰ると、今度は卒園生が二人、訪ねて来ました。中へ入ってもらって、飲み物を飲みながら話がはずみました。

やっぱりなー。この季節は、教会&幼稚園は、無人にしたり留守にしたりしてはいけないのだ。しかし、基本的には、日曜日の午前中に来てもらえれば、私はいつでもいるし、対応できることも事実なのだ。卒園生たち諸君、日曜日には、いつでも来てくれ。ラーメンぐらいならいつでも御馳走するからな。

しかし、電話機の後ろを見たら、FAXが、えらくたくさん来ているな~。そうかー、教会関係の分区と教区への提出書類もあるんだなー。こちらは、教会の会計さんと、書記の方にお願いすることにしよう。やれ、やれ。

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第二種情報処理 初級シスアド資格

Buz050 第二種情報処理技術者資格初級システムアド資格。この二つを持つ人は少ない。安曇野市や伊那市には、一般人では、ひょっとするといないかもしれない。さらに、呼び名はよく分からないが、「接続関連」の習得の道も、経験を積み重ねてゆく以外に道はなさそうである。

今回、私は四千円ちょっとのルーターを教会&幼稚園に設置して、四台までのパソコンを、同時使用できるように接続したが、VISTAのパソコンから始めて、接続できるまでに半日を費やしてしまった。ネックとなったのは、このVISTAのパソコンがウイルスバスター(お試し期間中)だったことを忘れていたためだった。

それに気づいて、これを一旦、削除して、接続完了後に再インストールして、ようやくクリアーしたが、こうしたことは、第二種情報処理資格や初級シスアド資格などを持っている人の助けなしには、到底出きることではない。聞くところによると、第二種情報処理技術者資格の方が、初級シスアドより、やや資格レベルが上らしい。う~む。

ホームページやブログを持って、普通にパソコン操作して、インターネットを楽しんでいる私だが、最初の時は、ウイルス対策について教えてくれる人もなく、気づいた時には、当時としては最高機種だった富士通のノートパソコンは、二千近いウイルスに感染していて、動かなくなってしまった。

そして、ウイルス対策にノートンが付いていたのに、その使用方法すら知らなかったのだ。現在はウイルスバスターを使用して、チェックを怠らないでいるが、今回のルーター使用でも、私と次男が同じ回線使用で、料金に関係なく同時に使用できることも、ごく最近知ったことなのだ。

使用料金はいっさい関係なく便利なのだ。今までは、ランケーブルを、私が差し込んだり、次男が差し込んだりして、交互に使用していたのだ。今は、NTT東日本を利用しているが、今回のルーターについても、借りる形をとれば、月何百円かの使用料をとられる仕組みなのだ。自分で設置してしまえば、NTTへ支払う必要はない。企業は、自分の利益にならない分野の情報は極力隠す傾向がある。

NTTは、この前、電話番号案内を聞いた後の簡単操作で、その番号に、すぐ接続できるサービスを開始して、それが有料であることは、虫眼鏡で注意して見ないと、到底発見できない位置に記していて、広告を監視する機関から注意を受けている。

だから、私も、そうした汚い企業や連中に負けないだけの、知識と技能を修得したいのだが、なんせ、歳である。この春大学生になる次男に、この分野のプロとまで言わなくても、先に上げた資格ぐらいは取ってほしいなー、と思っている。しかし、下松愛隣教会の吉田向学牧師は、「部落学序説」執筆、さらに、「農業」、「園芸」、「小鳥観察」、「猫観察」、そして、情報処理の高度な有資格者である。この俺も少しは、この情報処理関連の勉強にチャレンジしたいと思ってはいるのだが、これがなかなか難しい。

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2008年3月24日 (月)

雨があがり 西陽の光に誘われて

P1030662h

雨があがり、午後四時過ぎに、

家の近所へ犬との散歩に出た。

花が笑っていた。

P1030663h_3 春の西陽の光りに誘われて、

ふらりと外へ出た散歩。

見上げる青空も新鮮だ。

P1030665h_3 厳しかった伊那高原に戻って来た

いのちの色彩に感動。

そうか、水仙も咲いていたのか。

P1030666h 犬のリーも、痛風だった私の歩き方の異変に気づいていたようで、

時折り私を振り返り、私の運動靴の足元をみつめる。もう大丈夫だ。走ることだって出来る。これからは、毎日散歩の生活に戻るからな。

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「痛風」に打ち勝つ 生活改善に チャレンジ

今日の伊那高原は朝から雨です。いつしか、松林の日陰などにあった残雪は、全て姿を消して、その地面から春の緑の新芽が現れています。この春の雨で、また一段と緑が復活して来ることでしょう。

今日は、久しぶりに犬との散歩に出ました。昼近くには雨も降ったり止んだりで、ジャンバーを着て帽子をかぶっていれば、特に気にならない小雨でした。私が初めて経験する痛風は、十三日の朝に突然やって来ました。あれから十一日を過ぎて、ようやく普通に歩けるようになりました。まだ少し、痛みは残りますが、散歩程度は平気になりました。

痛風が出て、右足の親指付け根が痛んだときは、まともに歩けませんでした。普段あたりまえと思っていた、ただ単に普通に歩けることのありがたさを、今回は、しみじみと味わうことになりました。

P1030661ah 血液検査での尿酸値は、危険上限よりやや下であり、今後薬を常用するか、食生活と体重オーバーなどへの改善で、何とかするか、自分で判断することを医師に求められました。薬はやはり、常用するとなると、それなりに副作用があるに違いありません。

そこで、「痛風手帳」なるものをいただいて、生活習慣病の一つであるのなら、自分の意思で、悪しき生活習慣の改善にまずチャレンジして、定期的に尿酸値の血液検査を受けることにしました。

ラーメンは、一滴の汁も残さず、よく食べていたし、モツ煮や生ビールも好きだし、焼肉や魚も好きだし、欲をかいて食べつくすタイプだし、肥ってるし、これはもう、どうしょうもない痛風おじさん予備軍だったんだなー。まいった、まいった。みなさんも気をつけましょう。

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2008年3月23日 (日)

喜びと希望の イースターの朝です

04073 安曇野に春がきて、今朝はやや薄い雲が広がって、クッキリした青空とはいきませんが、明るい太陽が昇っています。今日は教会歴のイースターです。苦難を受け、十字架で処刑されたイエスキリストが、死に勝利し、復活された朝なのです。

死は全ての終わり、滅びの極致ではなくなったのです。新しい希望への道が、イエスキリストによって、決然と開かれたイースターを記念する日です。あのクリスマスと並んで、教会歴では、とても重要な意味を持つ日です。

今日の私たちの日曜教会&日曜幼稚園では、そのイースターの礼拝を行い、出席者全員に、教会よりお祝いのゆで卵がプレゼントされます。卵から、その白い殻を打ち破って、新しいいのちが誕生する。そんなイメージから、おそらく卵のプレゼントが、このイースターで使用されるようになったのでしょう。

毎年、何人かの教会員の方に、このゆで卵をお願いし、それにマーカーなどで春らしい絵を描いてもらっています。我が子たちが小さかった頃は、ゆでた卵に、みんなで十字架や春の花などの絵を、前夜に、楽しみながら描いた思い出があります。

最近は、きれいに絵がプリントされたセロハンが販売されていて、卵にスッポリと被せて、熱湯を注ぐと、ピッタリ卵に張り付くものもあります。まあ、しかし、百、二百となると、そうしたものも便利ですが、数十の卵であれば、心を込めた手描きがよいような気がします。

私事になりますが、妻も私も、ちょっとした病から完全回復して、今日のこのイースターの礼拝に、家族そろって出席できることは大きな喜びです。ハレルヤ!。

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2008年3月22日 (土)

次男の下宿生活  二泊三日の実習終了

04010 安曇野にある教会&幼稚園の庭の三本の桜の樹。今朝は青空をバックに、東から昇った春の太陽光に、あたたかそうに照らされています。開花を迎えるには、まだかたい蕾に見えますが、今日の安曇野地方、二十度近い気温が予測されていて、一気に膨らんでくるかもしれません。

花壇に目をやると、厳しい冬を越したパンジーの花たちが、輝き始めています。そしてチューリップの芽が土の上に伸びあがって来ました。水仙は、まだ花を開いていませんが、開化の近いことを感じます。

今日はこれから、次男の下宿生活準備のための、最後の用件を二三かたづけて、二人で一旦伊那高原へ帰ります。まだ教会の二階で一人住まいをさせるには不安も残りますが、電源やストーブなどの安全の確認など、口を酸っぱくさせて、二泊三日の実習で教えました。

おもしろかったのは、二階を三畳と六畳に暗幕で仕切って、私は三畳の方に寝たのですが、「お父さんは寝つきが早いね、五分もしないうちにいびきが始まってたよ」「そうか、おれは聞いてないよ。おまえは直ぐに眠れないのか」「おれは眠るまでに一時間ぐらいかかるよ、いびきがうるさいんで、車へ行ってヘッドホン持ってきて、音楽聴きながら寝たけど、二時間ほどかかっちゃったよ」「ふ~ん」。

どうやら、私はいびきをかくらしいが、自分では、当然ながら聞いたことがない。それだけ疲れていたのかもしれない。まあ、暗幕で仕切っているとは言え、ひつと部屋で親子で眠るのもわるいことではない。銭湯の代金は一回三百八十円。毎日通えば、これだけで一か月一万円を超す。帰りに夕食の食材を千円ぐらい購入しても、一か月で三万。それに通学定期券代、やはり一か月一万二三千円。昼の学生食堂で五百円以下の安いのを食べたとしても、こちらも一か月一万円…。そんな計算もして、今までは気付かなかった経済についても考えてもらった。

奨学金をもらって、その範囲内で、計画的に生活してもらうことになる。しかし、スーパーなどに行くと、「お父さん、こっちの方が安いから、こっちでいいよ!」と、私なんかより、細かいところもあり、節約の面では、おおざっぱな私と違って妻ゆずりかもしれない。さあ、明日はイースターの礼拝です。お祝いのゆで卵の準備も必要です。

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2008年3月21日 (金)

激しい腹痛の時は  急患として 必ず専門病院へ  紹介状など必要ありません

少し前に北海道で、四歳の男の子が激しい腹痛になり、近くの医院で診察したところ、急性の胃腸炎と診断され、痛み止めその他の治療を受けたが、結局は死亡に至ってしまった。

その後の検査で、この子は「腸重積」であり、早期の手術が必要であったことが判明した。そこで、この子の両親は、誤った診断をして、適切な治療を行わなかった医師を、裁判に訴えて、争ったが、結果は、「このような腸の病気は、診断が極めて難しく、一方的に医師の側に責任があったとは言えない」との判決が下り、医師は無罪となった。

この判例からも分かるように、幼子や大人の激しい腹痛の場合、最新の検査設備を持つ病院で、専門医師による診断を受けることが大切です。

もう十年ほど前のことですが、私の幼稚園を卒園して一年生になったKくんが、ある冬の夜に、突然「お腹が痛い」と言い出し、すぐに両親は近くの医院に連れて行った。そこで、痛み止めの薬をもらったりして帰宅したが、脂汗をながして痛いと言って転げまわるほどになった。そこで、今度は安曇野市の日赤病院へ連れて行った。そして、そこからさらに県立こども病院へ搬送されたが、手術に入る前に命を落としてしまった。そして、Kくんのお腹が痛かった原因は「腸捻転」だったことが判明した。緊急の手術の必要な病気だったのです。

私の妻の場合も、このKくんのことが、私や妻の記憶の中にあった。そこで、激しい腹痛が始まってから、二日目に伊那中央病院へ、次女に連れられて急患として行き、検査の結果「腸重積」であることが判明し、直ちに手術となった。このように早期に正しい診断がなされ、正しく手術が行われた結果、妻は一週間で退院でき、その日から家での日常生活が普通に出来ている。最初、妻も私も、かかりつけの医師の「紹介状」が無いと、伊那中央病院では、診察してもらえない思っていたが、急患の場合は、紹介状などいらないのです。急を要するときは直行していいのです。

ここで私が言いたいのは、激しい腹痛は、専門医のいるしっかりした病院に行き、急患として、直ちに診察を求めてほしい。幼児であれ大人であれ、腹痛を軽くみてはいけないということです。他の病気もそうかもしれませんが、腸の病気は、放置すると、あっけなく死につながることも多いのです。

退院の日、妻を救ってくれた外科医は、「放置すると死に直結するものでした…」と、サラリと一言妻に言ったという。幼子を持つ若いお母さんや家族の方々は、くれぐれも、先に記した、北海道の四歳の男の子の例を、今生存していたなら、この春には大学二年生になっていたであろうKくんの例、そして、今回は助かった私の妻の例を、念頭に置いていただけたなら、幸いです。近くの開業医が全てがすべてやぶ医者とは言いませんが、風邪などの時はいいかもしれませんが、激しい腹痛などの時は、必ず急患として、専門病院へ直行することを、くどいようですが、ここに記しておきたい。

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2008年3月20日 (木)

同室となった人々 その様々な人間模様

妻の退院後に、私は久しぶりに温泉へ行った。サウナ風呂で一汗かいてから露天風呂へ行った。雨は止んでいたが、北風が強く、冷たかったが、サウナで火照った体には気持ちよかった。この「みはらしの湯」は、名前に「みはらし」とある通り、南アルプスと伊那市街などの雄大なパノラマ景色を眺められる温泉施設です。

Winter1h予定通り、午前十時半に退院した妻は、まるで、どこかのリゾートホテルから帰宅したような雰囲気で、家に帰るなり掃除機をかけたり、洗濯機を回したりと一日中動き回っていた。凄いなーと驚いている。退院時に妻は、「今後気をつけること…」と、メモ用紙の上に記して、医師の言葉を待った。ところが、「特にありません」の一言だった。

やはり、「安静は悪」の理念のもと、入院患者の症状にもよるが、多くの人々が、広い病院内を、点滴スタンドをガラガラ押しながら歩き回る姿は、慣れてくるとごく普通の風景に見えた。今日は祝日で外来が休みだったので、特に、そんな人々の姿が目立った。

短い入院生活の妻だったが、同室になったおばあさんたちと、いろいろ話し、そこにある様々な人間模様に、心打たれ、夕食時に、「あのおばあさんたち、どうしてるかね…」とポツンとつぶやいていた。

私も、夕暮れなどに、六階建ての伊那中央病院南側の田園を犬と散歩する時、今までとは違った思いで、あの大きな建物と、その窓の灯りなどを見上げることになりそうです。

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2008年3月19日 (水)

医療の最前線 「安静は悪である」 これを実践する 伊那中央病院に感謝

03002 聖路加国際病院の日野原重明医師は、その著書の中で「安静は悪である」と記している。この事が、妻の入院した伊那中央病院でも、徹底されていて、この私自身が、むしろ驚ろかされるほどだった。

妻が三時間に及ぶ緊急の手術を受けたのは、三月十二日(水)の午後八時半頃からだった。美容師をしている次女が付き添い、伊那市内のかかりつけの内科医師の紹介状をもらい、伊那中央病院へ行き、激しい腹痛の原因が「腸重積」と判明。直ちに手術となった。

私は、この知らせを夜、安曇野にある教会の事務室の電話で、次女から受けた。教会に泊まる日だったからだ。直ぐに妻も電話に出た。結局、私が病院へ顔を出したのは、手術を終えた翌日の昼過ぎだった。手術の様子その他は、次女からの何回かの連絡で、前夜の内に聞いていた。

私は、直ぐに、執刀してくださった四十代の外科医師に時間をとってもらい、パソコンのある小さな部屋で、詳しい説明を受けた。この「腸重積」という病気は、このように腸が腸の中に潜り込む病気であり、激痛を伴い、放置すると死に至る病気であり、主に幼児の男子に多く、原因はよく分かっていない。大人に起こることは、ごくまれな病気らしい。ここまでは、前夜に私がインターネットで調べた内容と同じだった。

だが、妻の場合、原因は切開して判明した。「大腸のここに潜り込んで、この皺を寄せて重なった小腸の部分を、ググッーと引っ張ったら、その下から、この腫瘍が出で来たんです。腸壁が、この異物を、まだ消化できていない肉片であると判別して、反応したんですね…」。「しかし、なかなか消化できない。そこで、次々とその上に、小腸が入り込み重なり…」と、極めて分かりやすい、医師の説明が続いた。図を描いたり、パソコンの映像や写真を見せて、リアルで、率直で、あたたかい心と誠意が伝わってくる説明だった。私は感謝の気持ちで胸がいっぱいになっていた。

手術前に、この執刀医師から、「この重なった腸の部分の下に、ポリープやがんなどが発見されることもあります…」と、次女と妻は説明を受けていたが、その通りだったのだ。大人の場合は、こうしたケースがあるのだ。

手術が終わったのは午後十一時半ごろで、妻の手術時間がやや長引いたのは、「この盲腸近くの大腸壁に、これが実物大の映像になりますが、この直径四センチほどの腫瘍があって、これが悪性のものなら、もっと、かなり広い範囲と、リンパ腺他も切除する必要があったので、病理学専門の医師を呼んで、診てもらいました。それで、少し時間がかかりました。しかし、全く心配なく、切除は最小限になりました…」。その腫瘍はまるで、大きな苺か、たらこの皮をはいだ時のような、赤と言うかピンクのきれいな色だった。

手術翌日の妻は、ナースステーション前の特別室で、幾つもの点滴と、喉からも管を差し込んだ状態で、ベットに寝ていた。それでも、会話は出来た。そこには担当の看護師がいた。「この喉の管が痛くて…、でもガスが出るまでは取れないんだって…」と妻は、苦しそうに言った。

「安静は悪だと、日野原先生が言ってたぞ!。寝てばかりいないで起きてみろよ!」と私は言った。一昔前なら、いくら夫婦とはいえ、とんでもない提案である。前夜に手術をしたばかりで、傷口も痛み、点滴その他の管をあちこちに付けている病人である。

だが、この伊那中央病院の外科は凄かった。付き添っていた、次女と同じ二十八歳のT看護師も、私の提案に反対するどころか、それを勧めて、その場で直ぐに、ベットを電動で少しずつ上げてくれた。そして、さらに驚くことに、治療と同時に、歩行訓練も開始していたのだ。これは、ついこの前テレビで観た、日本の最前線医療の現場と、全く同じではないか。すごい!。

そのNHKテレビで、私が観たのは、脳溢血で運び込まれた年配の男性が、その救急医療室で、治療と同時進行で、意識がまだ朦朧とした状態なのに、直ぐに立たされ、歩行のリハビリも行なっていた、そんな驚くべき映像だった。一昔前の医療では、安静第一の医療と看護が主流で、一命はとりとめて、その病気自体は良くなっても、退院後に生活の出来ない体にしてしまったり、寝たきりの、言わば、植物人間にしてしまうケースが多かったのだ。

しかし、こんな地方にある伊那中央病院だが、医療の最前線を行っているではないか。歩行訓練というか、室内や廊下の散歩の時には、もちろん看護師が付き添い、痛みが伴うときは、痛み止めの注射をしてでも、リハビリに重点をおいていた。いい病院に入院できたのだ。感謝である。

妻は手術後二日目には、ベットの上に座り、口からの管も取れ、やがて、尿管も取れ、四日目からは、一人でガラガラと栄養剤などの点滴のスタンドを押して、廊下も歩き回れるようになり、十七日に、長男夫婦と孫たちが来た時には、五階から一階までエレベーターで一緒に下りて、売店で孫たちに買い物をしてやったらしい。その時、長男に、「ラーメンを一緒に食べて行かない…」と、自分の今の立場を忘れて声をかけたらしい。これは、体力的にも気力的にも、手術部分以外は、病院の積極的なリハビリ方針で完全復活していた証拠と言える。

そんな妻の元気な姿を見た医師は、おかゆの食事も許可、そして、何と一週間で退院の許可も出してくれた。最近は、小さな手術では、翌日に退院のケースもめずらしくはないらしい。点滴のよいのが出来て、栄養補給など、いろいろな面で急速に医療が進歩したからだという。

一方、やや批判的に、病院経営のサイクルを早める経済利点での変身と見るむきがあるかもしれない。しかし、少なくとも、妻の場合は、「安静は悪」の日野原先生の言葉通り、妻は傷口の痛みにさえ注意すれば、明日から家族の中で、いままで通りの生活に戻れるのだ。

教会暦では、今度の日曜日が、イースター(復活節)である。苦難の受難週を主と共に過ごした私たち家族だが、感謝と喜びを持って、二十三日(日)のイースター礼拝に出席出来そうである。ハレルヤ!。伊那中央病院の担当医師とみなさんに、心から感謝致します。そして、やや挑発的に「安静は悪である」と、声をあげ、多くの著書で、病める人々に勇気と希望を与えている、クリスチャンでもある九十四歳の現役医師、日野原重明先生に感謝!。

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妻は「腸重積」の手術  そして私には「痛風」のダブルパンチ

04197 今日の安曇野はやや薄い雲がかかっていますが、午前十時を過ぎて明るい太陽光が照ってきました。午後からは天候がくずれ雨になるとの予報です。昨夕は、次男と「菊の湯」へ行き、親子で湯船につかった。この前、私が下見をしておいた、昔ながらの古い銭湯です。

「教会には風呂がないから、当分はここへ通うことになるからな」「うん、俺には分からないけど、古くて昔の雰囲気があって、何だかしみじみしてくる風呂だね」「あー、昔はこのタイルの壁の部分には、ここだったらきっと常念岳なんかの山の絵とか、安曇野の四季折々の大きなペンキの絵が描いてあったんだ」「ふーん、今はやめたの?」「そうだなー、今は、そのような絵師の人たちが、全国の風呂屋を回って、描く商売が成り立たなくなったんだな…、きっと」

夕飯は、買ったばかりの3.5合の小さな炊飯器で炊いたご飯を食べた。遠赤外線使用の厚釜だとかで、けっこううまく炊けていた。週の前半は、次男一人の自炊生活である。朝は、現代っ子なのでパン食でいいし、昼は大学食道を利用すればよいので、夕飯だけ自炊してもらうことになる。

洗面器や石鹸、石鹸入れ、洗いタオルなど、こまごましたものを、スーパーへ行って二人で準備し、また二階の九畳ほどの屋根裏部屋を暗幕で仕切って、三畳と六畳の部屋に改造した。暗幕は取り壊し前の幼稚園ホールにあったものを、安曇野に住んでいる長女を呼んで、手伝ってもらい、丈を直して使用した。次男も私も、昨夜はぐっすり眠れた。

朝方、教会の八十歳半ばを越した元役員のM兄が、近くの病院へ薬をもらいに来たからと、顔を出してくれた。私が、痛風になったというと、「おや、やっぱり!」と言って、うれしそうに笑った。このM兄とは、教会に赴任したころに料亭などで、ビールを御馳走になった仲である。このM兄は若い時に痛風になり、それ以来、今も薬を飲み続けているという。

あ!、痛風のこと書いちゃった。う~む。書こうかなー、どうしようかなー。実は、妻は、先週の水曜日に、腸重積という急性の、激しい腹痛を伴う小腸が大腸の中へ潜り込む病気になり、診察と同時に、伊那中央病院で、急遽手術をしていた。その入院中のため、普段なら妻がやることも、父親の私が、全て手伝って、次男の新しい旅立ちの準備をすることとなっていたのだ。おかげで、父子家庭のような、しみじみとした一週間を持つことが出来、まあ、次男にもいい思い出になるだろう。

その妻は、抜糸を済ませシャワーをあび、明日の午後には退院の運びとなった。昔の盲腸の手術と同じ日数である。退院後は、特に検査や投薬もなく普通の生活に復帰出来るのも同じで、実のところ、私はホッとしている。

わるいことは重なるもので、妻が手術をした日の翌朝から、今度は私の右足指の付け根に激痛が走り、普通に歩けなくなってしまっていた。妻を見舞いに行ったついでに、診てもらったら、「痛風」だった。これで、当分は好きなモツ煮や生ビールから遠ざかる必要がありそうだ。まいった、まいった!。しかし、あれから私も一週間、今日は痛みもおさまり、知らない間に普通に歩けているではないか。これからは、尿酸値を下げる薬を飲み続ける必要がありそうである。まいった、まいった。

しかし、この一週間は、伊那中央病院に右足をひきづりながら、私は何度か足を運び、多くの車椅子の方々や、私と同じように足をひきづって歩いたり、杖をついて歩く高齢者の方々が溢れている病院ロビーの様子に、今までとは異なった心と目を向けられるようになり、自分にとっては貴重な時でした。

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2008年3月18日 (火)

「医者は患者をみてこそ、初めて医者だ」

03166 今朝は四時前に目が覚めた。ラジオのスイッチを入れて、NHKの「心の時代」を、半分うとうとしながら聞いていた。無教会の矢内原忠雄を伯父に持つ、産婦人科医の方が話をされていた。大学の教授を六十五歳で退職されてから、初めて医院を開業している。

それは、同じく医師であった父が、亡くなる少し前に、「医者は患者をみてこそ、初めて医者だ」と、彼に語った言葉が忘れられなかったからだという。その亡くなった父と言うのが、クリスチャンであり、東大総長も務めた矢内原忠雄の弟にあたる方だった。

この産婦人科医師の矢内原さんは、最初に東北大学へ二年、そして、二年浪人して慶応大学医学部に合格、そして東京大学、さらにアメリカの大学へ、帰国後は教授を経て、定年退職後に、六十五歳で、父の遺言を実行に移している。

「○○をしてこそ、○○だ」の、言葉が私のねぼけた意識の中で、グルグル回っていました。牧師は、何をしてこそ牧師なのかなー。幼稚園長は何をしてこそ園長なのかなー。五人の我が子たちの父親としては、何をしてこそ父親なのかなー。などと考えさせられました。

そして、さらにウトウトを続けていたら、突然柏原芳恵の「春なのに」の歌が流れ出し、そこでパッチリ目が覚めた。なかなかいい歌である。特に春の青空に、記念にもらったボタンを一つ捨てるという歌詞のところがいい。そうか、中島みゆきの作詞作曲だったんだなー。

さあ、この私も、今日の春の青空に向かって、捨てるものは捨てて、過ぎ去った年度にキッパリと区切りをつけて、新しい年度に向かっての準備に入りたいと思う。そして、これをしてこそ、本来の私なのだと言える目標を持って前進したい。

今日はこれから高校を卒業した末っ子の次男と安曇野の教会&幼稚園へ向かいます。大学生になる次男が下宿するのは、教会の二階です。その下宿生活のための準備をしなくてはなりません。さあ、この次男も旅立ちの準備だ!。まあ、勉強してこそ学生ではあるが、机の上の勉強だけが、勉強ではない。

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2008年3月17日 (月)

子どもに物を買うより、一緒に過ごす時間をプレゼントに

「ルポ貧困大国アメリカ」(堤未果著 岩波新書)を読み終えた。私が今の日本に感じていた、「今の世の中どこか狂っている」との思いを整理して、解明してくれた一冊である。

アメリカに追従した日本は、今や「国民総中流」だった社会から、アメリカ型の格差社会へと急激に突入している。そして、「ワーキングプアー」の社会になり、仕組みの複雑な「派遣社員」が急増している。

この本を読んで最も衝撃を受けたのは、「派遣要員」として、世界各国から、イラクに派遣され、米軍の下働きをさせられ、多くの人々が犠牲になっている事実だった。

家族のパンのためには、もう自分で職業を選べなくなっている多くの世界の若者たち。こんな世界にしている原因は何なのか?。

アメリカのメソジスト教会の牧師、ビル タレンは、「ショツピングをやめましょう!」と呼びかけている。「子どもに物を買うより、一緒に過ごす時間をプレゼントに!」と、彼は言う。

さらにビリー牧師は続ける「気がつきなさい子どもたち、目を覚ますんだ。君らが見ているのは幻想だということに。これは、多国籍企業という名のモンスターが作り出した、にせのおとぎの国なんだよ……ハレルヤ!」。

「メディアは急ぎたてる、消費しなさいと。でも買い物をするたびに、海の向こうでは貧しい者たちが搾取される、そんなことに加担したいのか。それは、大企業を太らせる。すると環境は破壊され、食べ物はますます安く手に入る代わりに農薬だらけになる。そして、私たちの仕事はなくなり、彼らのように貧しくなるんだ!」

「物をまったく買わないというのではありません。現代社会で暮らす以上、そんなことは不可能でしょう。ですが、賢い消費者になって、買う物を注意深く選択することはできる、そしてそれが実は、私たちが直面しているこの大きな流れを動かす鍵なんですよ」。

このブログ上に、ビリー牧師の叫びとその活動内容を、ここで詳しくは書けない。しかし、この全世界の経済の主人公は、一人ひとりの消費者なのです。この「ルポ貧困大国アメリカ」の本を、読んでいなかったら、ぜひ一読していただきたいと思う。

日本の若者が、「派遣要員」として、イラク戦争に参加していることを、みなさんは知っていますか。私は知らなかった。この本の著者は、あの9.11テロの瞬間を、となりのビルから目撃していた。そして、アメリカ社会や世界に目を向け、ジャーナリストに転向して、この著書を世に出した。

「無知や無関心は <変えられないのでは> という恐怖を生み、いつしか無力感となって私たちから力を奪う。だが、目を伏せて口をつぐんだ時、私たちは初めて負けるのだ。そして大人が自ら舞台をおりた時が、子どもたちにとっての絶望の始まりになる」と、この本の著者は語っている。う~む。

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2008年3月16日 (日)

♪「主イエスはまことの葡萄の樹」

03082 安曇野にある豊科教会&豊科シオン幼稚園の今日の礼拝では卒園式が行なわれます。

礼拝堂正面の十字架の下に、制作された大きな葡萄の樹が飾られ、修了証書をいただく二名の卒園児が、自分の手で制作し、名前を記入した葡萄の房を、クラス担任の先生に、その葡萄の樹の枝に、画鋲でしっかりと留めていただくところから、卒園式礼拝がスタートします。

主イエスはまことの葡萄の樹」の賛美歌、そして「思い出のアルバム」も歌います。そして、私がヨハネ福音書十五章の、聖書の個所を語ります。そして、十字架の建つ塔の鐘が、今日の安曇野の春の青空に響き渡ります。

そして、巡り来た春の光の中へ、二名の「光の子」が巣立って行く日です。今までも、こうして、十字架の建つ豊科シオン幼稚園を巣立って行った多くの卒園生たち。みんな、今何処で何をしているんだい…。私には、この教会&幼稚園に赴任してから、二十八年目の春です。私は、家族とこれから、この教会&幼稚園の日曜礼拝&卒園式礼拝に向かいます。君も、ぜひ出席してほしい。

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2008年3月15日 (土)

明石の海から 春を告げる「いかなご」が届く

昨日の伊那高原は、やや冷たい春の雨が降り続く一日でした。今朝はオレンジ色の陽光が我が家の東側を照らしています。明日の日曜日、豊科シオン幼稚園は卒園式です。だから、天候が気になるところでしたが、どうやら明日も晴れのようです。

毎年、この幼稚園の卒園式前後に、関西の明石の海から、春を告げる「いかなご」が届き来ます。神戸で、長年漁師をしていた家の方が、もう二十数年に渡り、毎年贈ってくれます。海でとれると直ぐに、熱湯でサッと茹でて、それをクール宅急便で届けてくれるのです。

P1030654ah これは生ものであり、地元以外では手に入らない食材で、この季節限定のものです。私は、この「いかなご」が好きで、弁当箱ほどのプラスチックの網籠が一パックとなっていますが、それをパックごとペロリと一回で食べてしまいます。

伊那高原周囲の雰囲気も春三月。そして、我が家の食卓に、明石の海の春を告げる「いかなご」が顔を出し、そして、明日は安曇野の幼稚園で卒園式。その卒園式が終われば、春休みへと突入です。

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2008年3月14日 (金)

「さよなら」を言える幸せ 別れの季節

03402今日の伊那高原は、ややひんやりする空気の中、春の雨が、静かに降っています。我が家のトイレには、「佐賀のがばいばあちゃん」の三日めくり格言カレンダーが掛けてあります。

昨年暮れに、私がインターネットで注文して購入したものです。その13日、14日、15日の格言は、四行に渡って、特徴のある味わい深い書体で次のように記されていました。

さよならと言えるだけでも、幸せ。

またねと言えたら、もっと幸せ。

久しぶりねと言えたら、もっと
                        もっと幸せ。

トイレの中で、便座に腰を下ろしながら私は、う~むと唸りました。そうだなー、「さよなら」と言えるのは、出会いがあり、いくつもの思い出を持つことが出来た証拠だよなー。幼稚園で出会った多くの幼子たち。そして、卒園式のこの季節、考えてみると、今まで私は、何百人もの卒園児たちに、この「さよなら」を言ってきたんだなー…。

「またね」とも言って、別れたなー。元気でいれば、いつかまたきっと会える。これは、今も、「グッバイソング」や「にんげんっていいな」を歌う、幼稚園のお帰りの会でも、「それじゃあ、明日、またね!」と言ってるなー。

「久しぶりね」か。そうだなー。毎年の夏のプールで、暮れの郵便局などで、成長した卒園生に突然声をかけられることも多いよなー。

こう考えてみると、俺ってけっこう幸せ者なんだなー。私たちの豊科シオン幼稚園の、この春の卒園式は、こんどの16日(日)です。安曇野の近隣の小学校や中学校も、次々と卒業式となります。確かに、こうした別れの季節は、何となくさびしく、胸にジーンと来るけれど、このような「幸せ」の中に生きていることを忘れず、感謝の心を持って、次の出会いの季節に目を向けていこう。そんなことを考えた今朝の私です。

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2008年3月13日 (木)

厳しい冬を越した  安曇野の鳥にも春

教会の二階から犬のリーが寝ている事務室へおり、ストーブの温度表示を見ると十度だった。南側に面したブラインドを上げると、春独特の霞がかった空が広がっていた。今日もどうやら晴れそうです。

砂場の横にヒバリほどの大きさで背中にやや明るい茶色を持っていて、目の下にやや大きな白い模様をもった鳥がいた。よくやって来る鳥です。さらに園庭の向こうを見ると、いつものいたずらカラスが柵の下の草のツルを両足を踏ん張って引っ張っていた。そしてツルを引きずって、右、左、右、と、足をのばして気取って歩く姿を見て、思わず私は、この日の初大笑いをしてしまった。

四羽ほどのカラスの一家が、この教会近辺に住んでいる。その内の二羽は、教会東の家が取り壊され、駐車場になった時、大きな杉の木が切り倒された。その倒された木のテッペン近くにカラスの巣があって二羽の幼鳥が、巣ごと落ちてしまった。

その二羽を、幼稚園で一時保護したことがあった。その二羽も今は、大きくなり、鉄棒の上を、横歩きをして遊んだり、初夏に園児たちが水浴した後の、赤い蟹型の小プールへ、音をたてて飛び込んで、水浴したりと、ユーモラスな姿を見せてくれる。

カラスは、園児たちの遊びを見ていて、それを真似する学習能力があるようだ。今度は、「ピヒョロー」の声で、駅方向の一際高い電柱の上へ目をやると、いつもの鳶が、まるで置物のように、テッペンにとまっていた。

だいぶ前、激しい風雨の去った安曇野の田園で、若い鳶を犬たちが押さえ込み、それを私が保護したことがある。やがて、その鳶は元気になって、園児たちと一緒に中房川の土手に行き、大空に放ったこともあった。それ以来、鳶を見ると、あの時の鳶の鋭い眼と、鋭い嘴や爪を思い出す。

安曇野の冬を越した、それぞれの鳥たち、多くのいのちたち。彼等も、私たち人間と同じように、いや、それ以上に、この春の訪れを、きっと喜びの中で迎えているんだろうなー。今日も春らしい一日となりそうです。

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2008年3月12日 (水)

安曇野豊科の銭湯  「菊の湯」体験

03331 今日は、安曇野にある教会&幼稚園に、私と犬のリーだけで泊まりとなった。それぞれに園児とその家族、そして先生方が帰って、午後四時過ぎ、少し早いが、近くの銭湯へ出かけてみた。

車で五分とかからない所にありました。国道沿いに、豊科高等小学校跡地と刻まれた四角柱の石碑が建っていた。そこの角地に「菊の湯」と紺に白抜きの文字の入った暖簾がかかっていた。

古くからある銭湯である。私は、この安曇野豊科にある教会&幼稚園に赴任してから二十八年目の春を迎えるのだが、この豊科の地でこの銭湯に入るのは初めてのことだった。

駐車場がない時は、近くの大型スーパー駐車場を利用しようと思っていたが、駐車場は数台分のスペースがあり、まだ明るい午後四時過ぎということもあり駐車できた。私たちの前の教会&幼稚園の建物のような百年を越すと思われる味わいのある建物だった。

男湯の方は、誰もいなかった。番台にも誰もいない。しかし、テレビがついている。「こんちわー!」と、思わず、私は御用聞きのあんちゃんのような声を出していた。

見ると番台向こうの女湯側の安楽椅子に、おばさんがいて、起き上がって笑った。「やってるよねー!」「はい!、やってますよー!」「いやー助かったよ。俺ね、豊科駅前の教会と幼稚園から来たんだけどね、この前、古い建物を全部取り壊して、新しく建て替えたんだけど、風呂場は作ってないもんだから、どうしようかと思ってたけど…」「あー、園長先生ですか?」「そうです」「ほら、前の園長先生の、えーと」「あー、岡崎先生でしょう」「そうそう、そん時、うちの子も、あの幼稚園でお世話になりましたよ」。と、会話がはずんだ。

昔ながらそのままの銭湯だった。五人が入って足をのばせば、もういっぱいの、小さい浴槽が中央に一つあり、泡がブクブクと数か所から湧き出していた。ややぬるめの湯だったが気持ちよかった。浴槽内に座ったまま大きく、平泳ぎの動作を繰り返した。今度は、浴槽の淵につかまってバタ足もした。

何も持たずに行ったが、番台近くに吊るしてあった誰かのタオルと、番台上の石鹸、そして大きなシャンプーボトルを貸してくれた。気のいいおばさんである。代金は三百五十円。「夜は何時までやってるの?」と聞くと、「お客さんがない時は、もうワタシ帰っちゃうのよ」と、言って笑った。天井部分はガラ空きの壁の向こうの女湯には、音からして、一人か二人の客が入浴しているようだった。私が出る時、男湯にも二人のおじさん。向こう側にも二三人のおばさんたちの元気な声が響いていた。

私たちの幼稚園も七人の園児で頑張っている。「菊の湯」さんも、末永く頑張ってほしいと、私は心から思った。「今度、松本の学校へ入った息子と時々お世話になるからねー!」「早く風呂が出来るといいね!」と、なんだかちぐはぐな会話をして、外へ出た。

帰りは、すぐ近くのアップルランドで、犬のリーの晩御飯に、ペディグリーチャムの缶詰、そして私の食材を買って、教会へ戻った。やっぱり湯上りは気分がいい。だいぶ春めいて来たから、早い銭湯でも、風邪をひくことはあるまい。今夜は、読書に集中してみようと思う。

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「♪思い出のアルバム」を歌います

03161 今日は、安曇野にある豊科シオン幼稚園の「お別れ発表会と昼食会」があります。卒園児二名の親子による自由発表です。全ての園児たちの家族も出席します。そして、いよいよ十六日の日曜日が卒園式です。

卒園して行く二名の園児に、アルパムを記念品として贈呈します。そのアルバムに、この一年間の写真の中から、何枚かの写真を載せて贈ります。この一年間に私のデジカメで撮