聖路加国際病院の日野原重明医師は、その著書の中で「安静は悪である」と記している。この事が、妻の入院した伊那中央病院でも、徹底されていて、この私自身が、むしろ驚ろかされるほどだった。
妻が三時間に及ぶ緊急の手術を受けたのは、三月十二日(水)の午後八時半頃からだった。美容師をしている次女が付き添い、伊那市内のかかりつけの内科医師の紹介状をもらい、伊那中央病院へ行き、激しい腹痛の原因が「腸重積」と判明。直ちに手術となった。
私は、この知らせを夜、安曇野にある教会の事務室の電話で、次女から受けた。教会に泊まる日だったからだ。直ぐに妻も電話に出た。結局、私が病院へ顔を出したのは、手術を終えた翌日の昼過ぎだった。手術の様子その他は、次女からの何回かの連絡で、前夜の内に聞いていた。
私は、直ぐに、執刀してくださった四十代の外科医師に時間をとってもらい、パソコンのある小さな部屋で、詳しい説明を受けた。この「腸重積」という病気は、このように腸が腸の中に潜り込む病気であり、激痛を伴い、放置すると死に至る病気であり、主に幼児の男子に多く、原因はよく分かっていない。大人に起こることは、ごくまれな病気らしい。ここまでは、前夜に私がインターネットで調べた内容と同じだった。
だが、妻の場合、原因は切開して判明した。「大腸のここに潜り込んで、この皺を寄せて重なった小腸の部分を、ググッーと引っ張ったら、その下から、この腫瘍が出で来たんです。腸壁が、この異物を、まだ消化できていない肉片であると判別して、反応したんですね…」。「しかし、なかなか消化できない。そこで、次々とその上に、小腸が入り込み重なり…」と、極めて分かりやすい、医師の説明が続いた。図を描いたり、パソコンの映像や写真を見せて、リアルで、率直で、あたたかい心と誠意が伝わってくる説明だった。私は感謝の気持ちで胸がいっぱいになっていた。
手術前に、この執刀医師から、「この重なった腸の部分の下に、ポリープやがんなどが発見されることもあります…」と、次女と妻は説明を受けていたが、その通りだったのだ。大人の場合は、こうしたケースがあるのだ。
手術が終わったのは午後十一時半ごろで、妻の手術時間がやや長引いたのは、「この盲腸近くの大腸壁に、これが実物大の映像になりますが、この直径四センチほどの腫瘍があって、これが悪性のものなら、もっと、かなり広い範囲と、リンパ腺他も切除する必要があったので、病理学専門の医師を呼んで、診てもらいました。それで、少し時間がかかりました。しかし、全く心配なく、切除は最小限になりました…」。その腫瘍はまるで、大きな苺か、たらこの皮をはいだ時のような、赤と言うかピンクのきれいな色だった。
手術翌日の妻は、ナースステーション前の特別室で、幾つもの点滴と、喉からも管を差し込んだ状態で、ベットに寝ていた。それでも、会話は出来た。そこには担当の看護師がいた。「この喉の管が痛くて…、でもガスが出るまでは取れないんだって…」と妻は、苦しそうに言った。
「安静は悪だと、日野原先生が言ってたぞ!。寝てばかりいないで起きてみろよ!」と私は言った。一昔前なら、いくら夫婦とはいえ、とんでもない提案である。前夜に手術をしたばかりで、傷口も痛み、点滴その他の管をあちこちに付けている病人である。
だが、この伊那中央病院の外科は凄かった。付き添っていた、次女と同じ二十八歳のT看護師も、私の提案に反対するどころか、それを勧めて、その場で直ぐに、ベットを電動で少しずつ上げてくれた。そして、さらに驚くことに、治療と同時に、歩行訓練も開始していたのだ。これは、ついこの前テレビで観た、日本の最前線医療の現場と、全く同じではないか。すごい!。
そのNHKテレビで、私が観たのは、脳溢血で運び込まれた年配の男性が、その救急医療室で、治療と同時進行で、意識がまだ朦朧とした状態なのに、直ぐに立たされ、歩行のリハビリも行なっていた、そんな驚くべき映像だった。一昔前の医療では、安静第一の医療と看護が主流で、一命はとりとめて、その病気自体は良くなっても、退院後に生活の出来ない体にしてしまったり、寝たきりの、言わば、植物人間にしてしまうケースが多かったのだ。
しかし、こんな地方にある伊那中央病院だが、医療の最前線を行っているではないか。歩行訓練というか、室内や廊下の散歩の時には、もちろん看護師が付き添い、痛みが伴うときは、痛み止めの注射をしてでも、リハビリに重点をおいていた。いい病院に入院できたのだ。感謝である。
妻は手術後二日目には、ベットの上に座り、口からの管も取れ、やがて、尿管も取れ、四日目からは、一人でガラガラと栄養剤などの点滴のスタンドを押して、廊下も歩き回れるようになり、十七日に、長男夫婦と孫たちが来た時には、五階から一階までエレベーターで一緒に下りて、売店で孫たちに買い物をしてやったらしい。その時、長男に、「ラーメンを一緒に食べて行かない…」と、自分の今の立場を忘れて声をかけたらしい。これは、体力的にも気力的にも、手術部分以外は、病院の積極的なリハビリ方針で完全復活していた証拠と言える。
そんな妻の元気な姿を見た医師は、おかゆの食事も許可、そして、何と一週間で退院の許可も出してくれた。最近は、小さな手術では、翌日に退院のケースもめずらしくはないらしい。点滴のよいのが出来て、栄養補給など、いろいろな面で急速に医療が進歩したからだという。
一方、やや批判的に、病院経営のサイクルを早める経済利点での変身と見るむきがあるかもしれない。しかし、少なくとも、妻の場合は、「安静は悪」の日野原先生の言葉通り、妻は傷口の痛みにさえ注意すれば、明日から家族の中で、いままで通りの生活に戻れるのだ。
教会暦では、今度の日曜日が、イースター(復活節)である。苦難の受難週を主と共に過ごした私たち家族だが、感謝と喜びを持って、二十三日(日)のイースター礼拝に出席出来そうである。ハレルヤ!。伊那中央病院の担当医師とみなさんに、心から感謝致します。そして、やや挑発的に「安静は悪である」と、声をあげ、多くの著書で、病める人々に勇気と希望を与えている、クリスチャンでもある九十四歳の現役医師、日野原重明先生に感謝!。