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2008年7月

2008年7月31日 (木)

今日は、休息日

P1000488h 昨日、今津の岸辺から私のヨットが竹生島に向けて出発した時、妻と妻の兄(京大卒で5月祭などではファイアを囲んで琵琶湖周航の歌をよく歌った)のニ人が見送ってくれた。

この、私のヨットを不安気に見送るニ人を見ていた今津の年輩の男性二人の内の一人の方が比良山の湧き水とシソジュースを、わざわざ家まで持ちに帰り、持ってきて下さり、妻と兄に飲ませてくれたという。そして、私のヨットが、竹生島へ向かい、小さくなるまで一緒に見送ってくださったと言う事です。

昨日の風速は5~6mだった。ヨットには最適の風が吹き、ランニング走行で竹生島には約1時間で到着。みやげ物店の気の良いおばさんが、ライフジャケットを着ている私を見て、「カヌー、ああヨットですか。汗をかくと塩気が必要ですよ」と言って、子アユの佃煮と干し梅干を食べさせてくれた。この竹生島にも、琵琶湖周航の歌詞が刻まれた石碑があった。そこから左に長浜を眺め、その後も一日、順調な追い風が吹き、目的地の雄松に午後5時30分丁度に到着。妻と妻の兄が出迎えてくれた。

私にとっての昨日は、感動の6時間30分でした。そのヨット上で、ほぼ一日、下は水泳パンツ姿だったため、両足は火傷に近い日焼けとなり、本日は、京都の妻の実家で、休息日とした。

P1000505h 今朝は、妻の実家から散歩がてらに、歩いて15分ほどの糺の森(ただすのもり)へ行った。蝉の声がもの凄かった。森の中を流れる川があり、涼しかった。その水は琵琶湖からの水と言う事でした。この森は、夕暮れの頃が一番、鬱蒼とした雰囲気が出て、散歩にはよい。

P1040097h 昨日から、妻の携帯に不在着信がいくつかあった。その内の一件は、京都新聞滋賀局からだった。連絡を取り今回の私のヨットの目的などについて、話をさせていただいた。正確には、琵琶湖周航の歌のコースの全てを周航しているわけではない。しかし、限られた日数の中で、安全を第一として最善を尽くしたいと思う。

P1040105h もう一件は、今回の計画のために、ヨットを購入した大阪阿倍野にあるアクアミューズ社の高橋さんからだった。高橋さんは、関西学院大卒の、私より少し年上の方で、今回のヨットによる琵琶湖周航計画について心配されていた。しかし、昨日、この私のブログを見て、大変驚きつつ、安心されたと言う事でした。

P1040106h 午後は ① 紫式部が源氏物語を執筆した邸宅址のある、蘆山寺に行った。そこの源氏の庭と呼ばれるあちこちには、桔梗の紫の花が咲いていた。 ② 次に行ったのは、金福寺(こんぷくじ)。ここは芭蕉と蕪村などの親交のあった所であり、当時の庵などがあった。この金福寺は、他にも、興味深い歴史があり、15分間のテープ音声での説明を興味深く聞きました。 ③ 次に行ったのは、大原の三千院です。そこの土産店で昔懐かしい味のする、ニッキ水を3本購入。これは、小さなひょうたん型のビンに、赤黄緑のニッキ水が入っているものです。八十九歳の義母に赤色の一本をプレゼントした。

今日一日の休息で、昨日の疲れや日焼けもやや治まり、明日はまた、琵琶湖へ向かいます。そして、今回最後の、長命寺近くからのコース(沖ノ島を迂回し、和邇浜を目指す)、直線距離で約15キロを帆走予定です。

2008年7月30日 (水)

風に助けられた一日

0043 0041_2 0042

 

 

 

 

今津(11:05)出発 ~ 竹生島(12:30) 右回りで周回。
~安曇川(3:00) ~ 白鬚 ~ 雄松(5:30)到着。

今日は追い風に助けられ、約6時間30分で琵琶湖西岸帆走を完了。

2008年7月29日 (火)

琵琶湖周航 始めの一歩

0031昼の12時半、アクアミューズのTさんより、ヨットが届く。昨日のアクシンデントに負けず、新品のヨットが届いた。午後1時、雄松(近江舞子浜)に向かってスタート。琵琶湖西岸に比良山をのぞみつつ、ヨットで快走。午後6時前、雄松に到着。ようやく、ヨットによる琵琶湖周航計画の始めの一歩となった。

 

0033_3本日は、この雄松にて終了。明日は雄松から、更に琵琶湖の奥へと向かう予定。ヨットにもだいぶ慣れ、天候も良し。ようやく順調に計画が一歩前進。

今日は、広い琵琶湖に私のヨットのみ。爽快な帆走となりました。充実感でいっぱいです。

0032_2 同乗者は、琵琶湖が、自分の庭のように詳しい北尾さん(七十五歳)。このように向こう岸が霞んだり、見えなかったりする大きな湖の場合、方角を正確に知る人の助けが必要なのです。最近の異常気象による突然の集中豪雨、突風の嵐。そして突風を伴う雷雨には、警戒が必要です。

そのことを思い知らされたのは、初日の二十九日の、琵琶湖でも死者が出た嵐でした。自然からの私の今回の計画に対する警告と受け止めました。

2008年7月28日 (月)

琵琶湖周航計画 トラブル発生 突然の嵐

0022_2朝から琵琶湖は快晴。

ところが、大阪阿倍野から、アクアミューズのTさんに、車でヨットを琵琶湖西岸の和邇浜まで運んでもらう途中、トラブルが発生。車に積んでいたヨットが突然の突風で荷崩れし、道路に落下してしまったとの連絡を受けた。大きな事故にはつながらなかったが、ヨットとメインポールなどが破損して、もう一度阿倍野へ戻り、出直す事態となった。

0023ところが、午後になると、朝は快晴だった和邇浜も、天候が崩れだし、琵琶湖は大荒れとなった。風速12~13メートルの強風、そして雷雨。そのため、二枚帆の貸しヨットによるヨット練習は1時間ほどで終了となった。沖合から浜辺に帰る時、琵琶湖は大荒れのため ヨットが転覆しそうになったが、なんとか無事に帰還する事ができた。Tさんを襲った強風が、今度は、私のいる琵琶湖西岸にも牙を剥いたのだ。

0021_4自然には逆らえない。これを神さまのストップと受け止め、 今日明日は ヨットを中止し、妻の実家である京都へと避難する事にした。ところが、京都も激しい稲妻と雷雨。天候の回復を待つ。大きな白波が、正しく自然の牙に見えた。

2008年7月27日 (日)

琵琶湖に到着

0011 午後7時、琵琶湖に到着しました。

 

 

0012 私より 真黒に焼けている この方(右の人)が、ヨットの乗り方について 教えてくれました。

明日から ヨットに乗る練習を行います。

2008年7月26日 (土)

明日の礼拝の後 琵琶湖へ出発します

105_0580a1 今日も猛暑の一日でした。いよいよ明日7月27日()に、安曇野にある教会&幼稚園で、日曜礼拝を終えてから、午後二時頃に中央高速、そして東名高速で琵琶湖西岸の和邇浜へ向かい出発します。

その琵琶湖での、私の大まかな行動は、安曇野にある教会&幼稚園二階に下宿している大学生の次男に、妻から、私のメモ報告を携帯メールしてもらい、それを次男に、私の、このブログへ、夜に打ち込んでもらうことにしたいと思っています。

どのような琵琶湖での日々になるのか。ヨット乗りになるのか。予測はできませんが、安全第一を心がけて、2008の夏休みを楽しんで来たいと思っています。特に、今回は妻と一緒のこともあり、余裕を持って行動し、何かあれば、早めに岸へ上がって休息。そんな勇気を持ちたいと思っています。

伊那高原や安曇野が、この猛暑ですから、琵琶湖西岸もきっと暑いんだろうなー。みなさんも、暑さ厳しき折り、健康に留意されてお過ごし下さい。豊科シオン幼稚園のみんなも、お祈り忘れず、家族の中で、よき夏休みとなるよう祈っています。日曜礼拝でまた会いましょう。

文庫本夏休みフェアー しかし私は…

Illust431_thumb1 昨日、久しぶりに大型書店へ行ってみた。文庫本夏休みフェアーだろうか、古い時代から現代まで、様々な文庫本が、夏の装いの横帯を付けてもらって、魅力的に並んでいた。活字中毒の私にとっては、様々な世界への入り口のドアが、私に向かって、「さーあ、自由にお入り下さい。新しい空間と時間が、あなたの来るのを待ってます…」と、強く誘われる感じを受けて、うきうきする楽しい気分になった。クーラーもきいてるし、書店は、やっぱりいいなー。

しかし、この夏休み前半の私は、琵琶湖へ出かけ、ヨット乗りの計画があり、清風の吹きぬける木蔭で、冷えたカルピス片手に、文庫本を読む…、と言った雰囲気にはなれないでいる。それで、書店では、あっちこっちと、少しずつ本のドアを開けて、覗き見して歩いた。すでに読んだ本も、まだの本も、ドアを開けると、そこには、確かに新しい世界が広がっていて、ずーっと、その世界に入り込みたくなるのだが、そうもいかないのだった。

この日は琵琶湖キャンプ関連の買い物を優先させていたので、結局書店では、一冊も購入せず、店を出た。すでに私の手元には、インターネット通販で届いた二冊の本(イスラエル…永遠のこだま、と鉄腕アトム…ブラックルックスの巻)があったし、琵琶湖行きの準備で、ほぼ頭はいっぱいで、読書への余裕がない状態なのだ。しかし、やっぱり十冊ぐらいはいつも近くに置いていて、読んではいる。

P1000371h 一冊は手塚漫画だが、中学二年の夏休みに、当時の雑誌「少年」(光文社)の別冊付録で読んだブラックルックスの巻を思い出し、注文していた。もう一冊は高名なユダヤ教神学者の著「イスラエル…永遠のこだま」である。しかし、この本はまだ三分の一ほど読んだだけだが、アブラハムなどについては語られるが、イエスキリストは出てこない。ユダヤ教では、イエスキリストは預言者の一人で、まあ、いてもいなくても的、存在なんだろうなー。

しかし、何だか、主人公のいなくなってしまった物語を読んでいるようであり、また、塩気のなくなった漬物を口に入れる時のような感覚を受ける。また、光を失った世界を見ているようで、生き生きした風景が目の前に迫ってこないなー。イスラム教やユダヤ教の世界は、やっぱり、こんなん世界なのかなー。今日も暑くなりそうである。

2008年7月25日 (金)

今日から幼稚園は 夏休み

02c1_2 今日から豊科シオン幼稚園は夏休みです。昨日は、早朝に日本海を研究室の窓から眺められる大学にいるA君の母親が、私に渡してほしいと送って来たと言って、新潟清酒720ml詰一本を持って、教会へ来てくれた。この家は三人兄弟で、いずれも学業優秀。それぞれに個性あり、将来が楽しみな三兄弟である。

しかし、奨学金もらって、親の援助も受けて、ギリギリ生活している大学院生から、こんな御中元もらっちゃっていいのかなー。まあ、オンザロックで、飲ませてもらうけど。博士論文書いて、その道で偉くなるのを期待してるぜ。

そして、十時からは園児たちの水泳教室。昨日の安曇野地方、前日に続き三十五度の猛暑。何とこの日、年中のSちゃん、年少のSくんが、二メートルほど泳げるようになった。さらに年少のAくんも、ためしに水中でのスーパーマンスタイルをとらせてみたら、十秒は潜れるから、あと三十分も練習すれば、確実にバタ足で泳げそうである。しかし、この日の水泳教室は時間切れ。

まあ、そんなわけで、全園児九人中、六人は泳げるようになってしまった。みんな凄いなー。この日は、午後の終業式もあり、いつもより三十分ほど早くに園に帰った。昼食を終えた時、教会会計役員のT兄が、暑い中をわざわざ、顔を出してくれた。「この夏はお金必要でしょう」「ハイ!、とっても必要です」。終業式を終え、夏休み前の幼稚園関連の事務処理の郵送分と、FAX関連を全て済ませたころには、もう窓の外は薄暗かった。

すでに、ここ二週間で教会員の、高齢社宅訪問と電話連絡、そして病院訪問等は、何件かずつ、すでに済ませていた。夏休み前になると、この私はいつも行動が素早くなる。いつもこうだといいのだが、こまったもんだ。こうして、豊科シオン幼稚園の一学期は、様々な思い出を残し終了。夏休みに入った。また、日曜幼稚園で会おう。

2008年7月24日 (木)

日暮蝉の声響く  暑き日の温泉上り

Main41h 昨日の安曇野地方の最高気温は三十五度だったらしい。確かに暑かった。この日は豊科プールで、豊科シオン幼稚園の水泳教室。みんな水に慣れてきて、もう三名は五メートルほど泳げるようになっています。他の園児たちも、水の中にスーパーマンスタイルで顔を付けて浮かべるようになれば、もう泳げたも同然ですが、三歳児は、無理をする必要はありません。水と遊ぶ楽しさを感じてもらえれば、それでよし。

夕方から、妻とほりで~湯へ出かけ、私はサウナでたっぷり汗を流し、冷たい水風呂へザブーン。そんな私を見ていた方が、水風呂へ手を突っ込み、「水だー、だいじようぶかね?」と私に声をかけた。

体を洗っていると、その方が私の横に来た。その方は、医療保険では後期高齢者なんだそうで、麻積(おみ)から仲間たちと来たらしく、今夜は泊り客になるという。「にいさん、真黒だけど、泳いだのかね?」「そうです。今日も幼稚園の子たちと二時間ほど…」「この地(じ)の人かえ?」「あー、豊科駅前の教会と幼稚園に来て、もう二十八年目です。出身は伊那です」。

「しかし、ここに来るたびに、同級会らしい人たちがいて、浴衣を着て、楽しそうにしているのを見ると、うらやましいですよ」「うん、まーね」。そんなんで、いろいろ話がはずんで、風呂から出ると、待っていた妻が「おそかったね」と言った。

玄関前の広場へ出たのは七時過ぎ。その夕暮れの標高八百メートルにある、正確には、安曇野蝶ケ岳温泉 四季の里「ほりで~ゆの周囲の山々からは、カナカナ蝉の声が響いていました。暑い日中は、油蝉のジージーと響く蝉しぐれ、そして清風の吹く日暮れには、日暮蝉のカナカナという哀愁を帯びた声。私と妻は、近くのベンチに腰をおろし、夕暮れの清風に吹かれながら、しばらくは、そんなカナカナ蝉の声の中にいた。近くの渓谷を流れる烏川(からすがわ)の、流れの音も聞こえていました。

さあ、いよいよ今日の午前中は、夏休み前最後の水泳教室。そして午後に終業式を予定しています。今日も、どうやら暑くなりそうです。

2008年7月23日 (水)

水泳教室   スイカが成長

安曇野地方の今朝は快晴の青い夏空が広がっています。今日と明日は、豊科シオン幼稚園は、夏休み前の水泳教室です。午前十時から、保護者の方々の協力も得て、車で豊科プールへ向かいます。

P1000369h 今朝も元気に全園児九名が登園しています。これに弟や妹も数名加わり、今日仕事が休みのお父さんも加わり、お母さん方も、もちろん加わり、職員は私を含め四名と、賑やかな水泳教室の日です。

私はもう、水泳パンツと腕時計の部分だけが白く、あとは日焼けで真黒です。毎年、この季節の日曜礼拝で、日焼けした私が講壇に立つと、「あー、今年も夏が来たんだな~」と、教会員のみなさんは実感されるらしい。

P1000370h 今日は朝からグングン気温が上がっているらしく、室内や桜の木陰にいても、少し体を動かしただけで顔がベタベタして来ます。まあ、なんだかんだと言いながら、暑いあついと言いながらも、水泳の出来るこの夏を、私も園児たちも大好きなのです。

今日は、私の大きなクーラーボックスに、飲料水やアイス、その他のおやつも入れて持参します。豊科プールは、こうした飲食がプールサイドで、休憩時間に自由にできるのがいい。

P1000368h 幼稚園児たちと、この春から始めたミニ菜園では、トマトが、そしてキュウリが実り、また驚いたことに、スイカも一つ大きく成長しています。トウモロコシは、農家の畑より立派なくらいに実っています。やー、毎朝幼子たちが水やりをして、心を込めて世話しているからなー。さーて、プールへ出発の時間です。

2008年7月22日 (火)

熱く燃える夏 琵琶湖周航

P1040038ah11 飯田忠義著「琵琶湖周航の歌小口太郎と吉田千秋の青春(京都新聞出版センター)を読み、琵琶湖をボートで周航していた昔の青春群像の姿に、また琵琶湖周航の歌の背後にあった、作詞者と作曲者の短い生涯などに、私は大変心打たれた。

今年の夏休みは、琵琶湖でヨット遊びをしようと春頃から計画していた。しかし、この本に出会って、単なるヨット遊びではなく、大まかでいいから、京都の第三高等学校のボート部の若者たちがボートで周航したコースを、ヨットで帆走してみたいとの思いを持つようなった。

そして、私なりに計画を立て、湖畔道路を妻に車で走ってもらい、沖合い一キロ前後のコースを私がヨットで、無理をしない範囲で帆走する計画をたてた。安全に注意し、三泊四日ほどで、天候さえ味方してくれれば周航できるのではと、思っている。

P1000318h 二重三重の安全策を持って、六十三歳という決して若くはない体力をカバーして、楽しみながら帆走出来たらと思っている。八月には、長男と長女のところの二家族が孫たちも連れて、湖畔へ遊びに来る。京都の八十八歳になる妻の母に、孫たちの顔を見せられるし、私の好きな三千院へも行ってみたいと思っている。その我が子たちが来る前に、何とか周航の要所、要所を目指して帆走できればと思っています。まあ、天候しだいです。無理はしません。

そんなこともあり、この本の著者、飯田忠義氏に、このブログの7月15日に書いた、そんな私の思いの記事をコピーして、感謝の気持ちを、へたな字で加筆して、本の末尾にあった京都府長岡の、飯田氏の自宅宛に封書を送っていた。

P1000367h_2 今日プールで一キロちょっとを泳いで帰って来て、ポストをのぞくと、何と、その飯田忠義氏からの丁寧な手紙でした。やー、うれしかった。飯田氏は、私が以前に書いた、6月21日付けのブログをすでに、読まれていたようである。この手紙の末尾に「岡谷市の諏訪湖畔に小口太郎像があるのはご存知のことと思いますが、この像がつくられてから今年の秋で丁度20年になります」。とあった。どうやら、そこで記念のセレモニーが、この秋にあるらしい。折をみて、私も是非そこへ足を運んでみたい思う。まだ、私はその像を見ていない。

今日の妻は、美容師をしている次女が今日、休みだったこともあり、二人で何処かへ買い物に出たようである。扇風機を回し、私は幼児のように、今日は氷の入ったカルピスのグラスを横に、何回も、飯田氏の文を読みました。この本には、収録されなかった、様々なエピソードなどが、まだまだたくさんあったようです。それも読みたかったなー。

さて、明日、明後日の豊科シオン幼稚園は、豊科プールで水泳教室です。もちろん私が行って一緒に泳ぎます。そして、二十五日からいよいよ、豊科シオン幼稚園は夏休みに入ります。今年の夏は何となく、暑くなりそうな予感がします。そして、私のこの夏休みも、いつもより、久しぶりに熱く燃える夏になりそうです。

虫に お灸をすえられてしまった

1a 昨日の夕方五時半から七時半の二時間、第二回目の我が家の庭の手入れを行なった。保育士をしている次女はバット博士記念ホーム時代の同僚と美ヶ原へ、早朝から遊びに行き、美容師をしている次女は、講習会があるとかで、やはり出かけていたので、前回同様妻と私の二人で行なった。

途中、次女が帰って来て、手伝いに加わり、東側道路沿いの柵を剪定して、落ちる多量の枝葉を集めて、掃除してもらったりして、切り落とした枝葉などの処理を残し、他は今回で一応、全て終了となった。

今朝早くに起きて、昨日の柵などの様子をカメラを持って、見て回ったが、急いでやった分、やや雑なところも見られたが、まあ、これで、この夏は何とか、落ち着いて過ごせる我が家の庭周りの雰囲気である。この地方は、家の周りを少しきれいにして、親戚の人々と、ゆっくりと、お盆の季節を迎え る習慣が残っているのです。

Jj 実は、前回(先週土曜日夕)の庭の手入れをした時、草刈り機を振り回している時に、何者か不明なのだが、私の喉のところに鋭い痛みが突然襲った。一瞬何が起こったのか分からず、回転している草刈り機の歯が石にぶつかり、その金属の細かい破片が、喉元に食い込んだかと思った。

しかも、じっとしておれないほどに、チクチク、ビリビリと細い針を刺しこみ続ける痛みが、持続して、どこまて゜その痛みのピークが上がるのか分からない、激しいものだった。今までも中房川で虻(アブ)や足長蜂に刺されたりした経験はあるが、おそらく何かの毒性の強い虫に違いない。白くて小さなアブに刺された時のような痛みだったが、それよりも今回のは、数倍の痛みが、波を打って、チクチクビリビリと持続した。我が人生、最大の痛みだった。

5分後ぐらいたって、痛みは急激に引き、喉に手をやったり、してみたが特に何ともなかった。翌朝も特になんとも無かった。そして忘れかけた。ところが昨日の早朝、喉のところが痒くて目が覚めた。何と梅干大のしこりがあり、喉の周りが腫れていた。

P1000350h顎を引くと、完全なニ重顎になるではないか。鏡を見ながら笑ってしまった。インターネットで調べたら、猛毒を持つ蜂や虫がいるらしく、油断せず医師に診てもらえと書いてあった。まあ、痒みもおさまり、しこりの部分も小さくなっているので心配はないと思うが、あの時の波を打って、チクチクと鋭く、突き上げ持続する痛みは、私のトラウマとなって脳に刻み付けられてしまったようだ。

まあ、虫たちだって、懸命に生きているんだ。今回の、この鋭い痛みを「虫たちが生きる懸命な叫び」として受け止め、忘れないようにしたいと思う。しかし、今後は蝶や蜜蜂、蟻さんを見ただけで、逃げ出したりしないだろうなー。まあ「虫けらと、バカにするような俺になった時は、また遠慮なくお灸をすえてくれ。それで死んだとしても、俺が悪い。

P1000364h それが証拠に、今まで平気だった一匹の蚊の音を近くに聞くだけで、過剰反応してしまう。今朝も、ベランダで新聞を読みかけた時、一匹の虫が私の肩にとまった時、私は、反射的に立ち上がり、大声を出して、「あっちへ行けー!」と叫んでいた。その声を聞いて、妻が何事かと、驚いて出て来て、笑ったほどである。その直後に、害のない虫だと分かり、一枚カシャリ。ついでに、ようやく落ち着いて新聞を読み始めた私を、妻がカシャリ。今日も暑くなりそうである。

2008年7月21日 (月)

サムソンを 育てた両親の信仰

P1000348h昨日、 ウインドクーラーを次男と一緒に、日中の猛暑の中、次男の下宿する教会二階の窓に、汗だくになりながら、苦労して取り付けを完了した。冷風が屋根裏部屋に音を出して流れ出した時は、感動だった。喜ぶ次男に、温度設定を28度にして冷しすぎないように注意してから、私と妻は伊那高原の自宅へ帰った。

閉め切っていた我が家の窓や戸を全て開け放って、ベランダへ出ると、午後七時を回った東の上空に、大きな入道雲が湧き上り、夕陽を受けて、勇壮な姿を見せていた。入道雲のサムソンと言ったところだろうか。

昨日の教会&幼稚園の礼拝で、私は旧約聖書の士師記13章の「サムソン」の生涯について語った。この日の礼拝の後に、懇談会があることを念頭に、豊科シオン幼稚園に、我が子を入園させている、子育て中の若い父母のみなさんに伝わるメッセージとして、ポイントを絞って語らせてもらった。

サムソンは、イスラエルがペリシテ人との激しい戦いの続く時代に生れ育ち、その怪力でペリシテの軍隊と戦い、イスラエルを解放へと導く先駆者的英雄として、聖書には描かれています。髪の毛が長いときは、ものすごい怪力が、神より与えられ、発揮されるのです。

P1000324a_22 このサムソンの両親は、結婚して長いこと子どもが一人もなく、もうあきらめかけていた頃、ある日神の使い(預言者)が、この夫婦の元に現れ、男の子が生まれると伝えます。そして、その子は神さまから特別な使命を与えられて、生まれる子だから、けっしてその子の頭の毛を切ったり剃ったりしてはならないと、一つの条件を告げるのだった。

夫婦が聞いた言葉通り、やがて男の子が誕生します。両親は、大きな喜びに満たされる。そして、決して、その子の頭の毛を剃ったりすることをしなかった。そして日々成長して、立派な青年となって行く我が子を、両親は、みつめ、そして、何百回も、何千回も、何万回も、「神さまから、特別な使命をいただいて、生まれて来た我が子…」との思いをかみしめるのです。そしてまた、サムソンと名づけた、その我が子にも、同様に語りかけ、言い聞かせ、立派に育てたのです。

P1000323a1 成長して行く我が子に、私たち現代の親たちは、どんな、言葉を、一番多く語り、教育しているのでしょうか。「勉強しろ!」でしょうか、「成績を上げろ!」でしょうか、「世間体を気にしろ!」でしょうか。

サムソンに限らず、一人ひとりの子どもたちは、そして、私たち一人ひとりは、神さまから与えられた、自分にしか出来ない特別な使命を持っているのです。また、子どもたちは、決して親の私有物ではありません。神さまから与えられた、神の子としての「いのち」の教育を委託されているのです。このことを忘れる時、ちょうどサムソンが、髪の毛を切り、剃られてしまった時、もうそこには、神の力が、全く働かなかったように、一番大切なものを失ってしまうのです。

そのことを、このサムソン物語から、学びたいと思う。親子が、「いのち」を与えて下さった神に、共に目を向け、共に語り、共に祈って、家族生活を続ける時、必ずそこに、一人ひとりの子の、人生の希望の光が見えて来るように思えます。そして、大きな神さまの力が、与えられていることに気付き、その神の力を発揮する時が、必ずやってくる。そのことを、このサムソン物語は、私たちに告げているように思えます。さーて、海の日の今日、伊那高原は快晴の夏日です。暑くなりそうです。

この私は、五人の我が子たちに、今まで、親として、どんな大切な言葉を、一番多く語ってきたんだろうなー。プールで泳ぎながら、考えてみようかなー。昨日の帰り、そのプールの横を通ると、周囲の松林から、カナカナ蝉の声が、響いていました。暑かった日の夕暮れに聞くカナカナ蝉の声は、実にいいものです。

2008年7月20日 (日)

暑い夏   礼拝&バソコン対策

Senpuki1_21 伊那高原の、我が家が建つ標高は、約八百五十メートル。その地点から、安曇野にある教会&幼稚園の標高約五百五十メートル地点へ来ると、その標高差は三百メートル。やはり空気が、明らかに違うし、やっぱりここ安曇野の方は、空気が湿っぽいし暑い。

しかし、今朝、山口に暮らす友人のブログをのぞいたら、昨夜の山口(下松)の夜十時の室温だと思うが、三十二度で、さらに今朝も三十度だったらしい。やー、すごい熱帯夜なんだなーと驚いた。それに比べたら、ここ安曇野は、まだまだいい方かもしれない。涼しさにも暑さにも、上には上があるものだ。それぞれの地で、工夫しながらこれからの夏を過ごすことになるんだな~。

私たちの教会&幼稚園の礼拝堂兼ホールは天井が高く、玄関も窓も開け放っていはいるが、この季節の礼拝開始は、十時十五分を待たずに、十時ぐらいに、早めに開始して、日曜幼稚園及び小学科の分級も含めて、なるべく全てが、十一時前には、終了するようにして、気温の高くなる時間を避けるようにしています。

今日は、礼拝後に、教会&幼稚園の全員参加の懇談会の時を持った関係で、十一時をだいぶ回ってしまった。天井が高く広いとは言え、四十人ほどの礼拝出席者が、一つ会堂に集まっていると、この時間帯は、かなり暑くなる。昨年より、今年は一週間以上梅雨明けが早くなったこともあり、やはり、扇風機が二三台必要かもしれない。

教会の二階に下宿している次男が、屋根裏部屋は暑くて、我慢の限界に近いと言うので、これからノジマ電機へ行き、二三万のウインドクーラーを見てこようと思う。松本大学の短期部は、八月の二週頃まで授業があり、夏休みは、それかららしい。まあ、しょっちゅう使っている次男のパソコンが熱を持つ関係もあるし、買ってやることにしよう。扇風機も見てこよう。

青トマトのピクルス漬けメモ

少し時間があったので、インターネットで調べたら、おそらく主婦の方のページだと思いますが、以下のような記事と写真がありました。妻は今台所で忙しそうなので、この私のブログに一部転載メモさせていただきました。以下のように作って、だいたい一週間ぐらいから食べられるそうです。

Sdscf1084_21 1. 先ずトマトを良く点検して痛みの無い物を選び水洗いしてヘタを取る

2. 食べ易さと漬かり易さのために半分くらいに切ってボウルに入れる

3. 適当に塩を振って良く混ぜラップを被せてから軽めの重石を載せる

4. 一晩置いて水気をよく切って煮沸した広口瓶にぎっしり詰める

5. 漬け汁は鍋にお酢と水を3対1位、それに鷹の爪、粒胡椒、ローリエ、砂糖、ニンニクを適当に入れ沸騰させる

P1000347ah 6. 味を見て美味ければ(これが決め手)火を止め、熱いまま漬け汁を広口瓶に口一杯まで入れて蓋をする

7. 瓶を揺すって空気を追い出し、再度口一杯まで漬け汁を入れて蓋を完全に閉める

注)写真上は、インターネットでのぞいた何処かの主婦の方のもの。下は、我が家の瓶につめる前のもの。

夕暮れから庭の手入れ

昨日の昼近くは青空の下、また高原の湧き水使用の透明度の高い澄んだ五十メートルプールで一時間ほど泳ぎ、帰宅した。そしてテレビの前で胡坐をかいて、冷えた大きなトマトをまず三個食べ、それから、こちらも大きなトウモロコシを両手を使って食べながら高校野球長野大会の準決勝の試合を観た。

我が家の東側に面した庭が陰りはじめた夕方五時半から、私は大きな電動草刈り機を、周囲に注意しながら振り回して庭の手入れに入った。白樺や柿の木は、この前の欅の木と梅の木に続いて、やはり、電動の鋸でバッサ、バッサと、大胆に枝を切り落とした。

P1000340h ミニ菜園の方は、大きく地面に広がったトマトの下枝を、大きく青いトマトがたくさん実り始めていたが、思い切って、それもハサミを使って妻に切り落としてもらった。これらのきれいな緑色のかたいトマトは、適度な厚さで輪切りにして、酢と砂糖、そして少量の塩などで、確か、この辺りでは「ピクルス漬け」と言ったと思うが、ビン三本に漬け込んで、冷蔵庫に保存した。確か、カレー粉を少しまぶす家もあったなー。

茄子とキュウリの収穫も、少量だがあった。パセリと紫蘇は、食べきれないほど、次々と、あちこちで成長している。この紫蘇は細かく刻んで、毎朝のみそ汁や、ソーメンの時に薬味として食べている。また南西隅の日陰にミョウガが高く茂り、このミョウガもけっこう収穫できた。みそ汁に入れると美味い。やっぱり、適当なミニ菜園ながら、野菜類はえらい!。

P1000345h 一応の作業を終えたのは七時半だった。標高八百五十メートルほどの伊那高原は、日中がどんなに暑くても、夕方と朝は、冷え冷えとした空気になり、暑さの増す真夏の夜も、窓を少し開けて寝れば、天然クーラーで、熱帯夜で眠れないなどということは、まずない。梅雨も明けて、空気がだいぶカラッとして来ていたので、この日の作業は、夕方からの二時間ほどだったが、意外とはかどった。

それと、「痛風」発症を機に、体重を落としたためか、体が軽く、動きが早くなったような気がする。それと、もう一つ、風呂上りに、だいぶ伸びていた足の爪を、久しぶりに切ったが、自分自身とても驚いた。前は、腹と足の太ももが邪魔をして、不自然な格好になり、まともに足の爪が切れず、時には妻や子どもたちに頼むこともあったのに、今回は何の不自由もなく、立膝で楽に切れたではないか。これには、感激し、そして家族に笑われてしまった。まあ、こういうことは、自分で経験してみないと、この感動はわかるまい。

さあ、今日は日曜教会&日曜幼稚園の礼拝で、安曇野にある教会&幼稚園へ向かいます。幼稚園のミニ菜園でもトウモロコシ、枝豆、トマトなどが順調に生育しています。ミニトマトは、我が家と同様、もう何回も食べています。今日の礼拝後に短時間ですが、教会&幼稚園の自由懇談会を予定しています。

2008年7月19日 (土)

「犬はえらい」を 完成させてから

Inukk このブログとは別に、私は「犬はえらい」のページを持っているが、そちらは一応の完結で、そのままにしている。それでも、毎日そこそこのアクセスがある。全国各地の犬の素晴らしさを知っている人たちなんだろうなーと思う。中には、じっくりと時間をかけて読んでくれる人もいる。

まあ、何とか、ここ一二年の間に、もう一度だけ手を入れて、ココログ自費出版で、ニ三冊の本にして残そうと思っています。まだ見積もりなどを出してもらってないが、一冊あたり、おそらく数千円以上の単価になるかもしれない。

東京のある大手出版社から、全国書店にも並ぶ方法で、出版してみないかとの連絡を再三受けてはいるが、私のような無名人の場合、自費出版が普通であり、よほど売れない限り、元がとれないのが実情である。

昨日、豊科シオン幼稚園での業務を終えた午後三時過ぎ、豊科プールへ出かけようとした、ちょうどその時、事務室の電話が鳴った。全国放映ネットを持つ東京のある民放テレビのディレクターからだった。このテレビ局は、犬を連れて全国を回る番組で、高視聴率を得ていたテレビ局である。前にも一度声をかけられたことがある。

Inuyy この秋から、長期に渡る連続もので、犬との愛情をテーマに、犬との生活の姿を追う番組企画を考えているという。そのディレクターが、インターネット上に公開している私の「犬はえらい」を、偶然目にしての、問い合わせの電話だった。まあ、しかし、私には、悲しいかな、犬はもう、一頭もいないのである…。秋までに、また犬を飼うと言う確かな約束も出来ない。正直に、そのことを伝えて、私は電話を切った。

しかし、このディレクターは、午後の一時過ぎから、約一時間半をかけて、私の「犬はえらい」の要所、要所を丹念に読んでくれていることが分かり、うれしかった。新しく犬を飼って、その成長と、また園児たちとの交流や、アニマルセラピーとしての活動などへの流れをカメラで追い、過去の犬たちとの回想を、たくさんある過去の写真の中からセレクトして、静止画挿入して流す…などの具体的な、企画内容も提示しての、長電話となった。

しかし、私が犬をまた飼うか、飼わないかは、テレビ番組とは関係ない次元のことであり、仮に、私が次に犬を飼うにしても、その出会いは、今までのように自然なものでありたいと思っている。また、そのディレクターの考える企画が、局の番組決定会議で、通るとの保障もない。私は、電話の後で、ちょつと失礼だったなー、と反省したが、「やらせ番組だけは、いやだから」、と何回も繰り返して言ってしまった。

Inugg まあ、偉そうに言える立場ではなかったのにな。たかが私の書いた「犬はえらい」である。犬はえらいかもしれないが、私はちっとも偉くないのだ。しかし……、私と出あった九頭の犬たちとの、二十年以上の想い出が、いっぱい詰また「犬はえらい」である。私の人生の三分の一は、犬たちと共にあった生活だったんだもんなー。でも、民放も、その独自性を生かし、今後も頑張って、より良い動物番組制作を目指してほしい。私も、そうした情熱に共感し、応援したいと思っています。

我が人生で、もし十頭目の犬を飼うとしても、それは、「犬はえらい」を、もう少しだけ、納得の行く形で完成させてからにしようと思っている。さーて、体を鍛えに、今日はプールだ。

海外の卒園生たち 日本の夏を忘れるな

P1000331h 二日前の朝方に、園児たち、そして中学生たちと、豊科シオン幼稚園の庭の草取り作業の時に、三歳児のSくんが、赤トンボが飛んでいるのを発見したらしい。みんなが、よろこんで「赤トンボ、あかとんぼ」と、騒いでいるのが、電話に出ていて、事務室にいた私の耳に聞こえた。

そして、昨夜の八時過ぎ、私は風呂から上がり、ほてった体を冷そうとベランダへ出ると、見事な満月が、東の雲間から昇りかけていた。まるで中秋の名月のような、感動する姿だった。さらに、窓を開けていて、夜中に目が覚め、またベランダへ出ると、我が家の真上あたりに月が来ているらしく、その明るいことに驚いた。その月明かりで腕時計を読むことが出来た。一時三十八分だった。庭の手入れが出来るほどの明るさだったもんなー。もちろん、窓を直ぐ閉めて、眠っちゃったけど。

今日から、伊那高原のプールがオープンです。十時過ぎには、ニコニコ顔で出かけるつもりです。太陽の光に満ちた庭に目をやりながら、「よかったねー」と、妻が私に言います。「トマトを冷して、トウモロコシもたのむよ」、「ハイ、ハイ」。泳ぎを終えてからの、冷えたトマトと、空き腹へのトウモロコシは、私の少年時代からの定番です。それと、何故か、泳ぎの後のラーメンも最高である。このラーメンは、昔ながらのラーメン店のラーメンが美味い。

このブログで「暑中見舞い」を発信したところ、昨夜にアメリカ合衆国からアクセスがあり、そうだった、そうだった。アメリカのシアトルへ留学していたYもいたんだと思い出した。それと、今年の春からベトナムで、日本語学校の教師をしている、Y君もいたんだったなー。海外へ出ている卒園生たちを、すっかり忘れてたよ。とりあえず、そんな海外のみんなにも「暑中お見舞い申し上げます」。この夏に帰国することがあったら、必ず教会&幼稚園へ顔を出してくれ。

2008年7月18日 (金)

雨のち曇り  そして夏の青空

07129 今日は室内保育で、朝の会を行い、みんなで、スキップダンスを行いました。女子中学生四名も参加して、楽しく出来ました。また赤頭巾ちゃんごっこ(椅子取りゲーム)も、大変盛り上がりました。

窓の外に見る雨が、だいぶ小降りになって来たので、みんなで傘をさして近くの神社境内まで散歩に出ることにしました。屋根つきの広い舞台で、「だるまさんがころんだ」などのゲームをして遊び、また広い境内でかくれんぼをしている内に、雨は完全にあがり、雲が動き、青空がのぞき始めていました。

いつものように、帰りには、ミニ公園により、ブランコをみんなで楽しみました。体は園児や小学生より、当然大きいのですが、そのなかみは、まだ子どもらしさや、可愛らしさの残るのが、中学生です。そんな中学生にもブランコを楽しんでもらいました。

「それー!、もっとスピードあげて、そう、そこで空を見上げて見ろ!。成績がなんだー!。このやろー!。自分の心の中の叫びを、そのまま正直に、あの空へ向かって放って見ろ!。そーら、ブランコは、幼子の頃の心を取り戻す、不思議な遊具なんだよ。ディズニーランドの、どんな乗り物より、ぼくは好きだな~」。「なー、心がワクワク、スッキリするだろー」。

と、まあ、ブランコに乗って、大きく揺れる中学生たちに、声をかける私でした。実は、この私自身、このブランコに乗るのは大好きなのです。園に帰ったのは、十二時半近かった。

P1000330h お帰りの会では、中学生たちとの三日間に感謝し、お別れ会をしました。「こんな小さな子どもたちと遊んだのは、初めてのことでした。楽しかったです…」。と、四人の中学生たちは、それぞれに挨拶しました。

さーて、園児たちも、中学生たちも帰ったし、完全な夏の青空が戻って来たから、これからプールへ出かけて、少し泳いで来ることにしよう。「やっぱりねー、そうくると思ってました…」と、妻。

写真付きで  暑中お見舞い申し上げます

P1000326fh 今日は、また雨が降り出して、どうやら雨の一日になりそうです。豊科シオン幼稚園の、今日の予定だった豊科プールでの水泳教室は、残念ながら中止です。

再び、雨の降り始めた窓の外をながめて、残念がっている私に、「もう、歳なんだから、神様のストップじゃあないの…、たまには、泳ぎの休息が必要ということ…」と言いつつ、だいぶ日に焼けた私の写真を一枚カシャリ。

新潟の窓から日本海を眺めているA君、また都心で学んでいる、卒園生たち、そして、大阪水上隣保館時代の、教え子たちよ、この私の顔を見てくれ。それから、バット博士記念ホーム時代の、教え子たちも、元気にやってるかい。これからも、このブログを覗き続けてくれ。

元気なうちは、書き続けるつもりだよ。あー、そうだ箕輪中学で九組だった、仲間たち、みんな、みんな、六十半ばのじいさんばあさんになったけど、思い出の中のみんなは、まだ青春のままだもんな。今度久保田が幹事をやる同級会、この夏になるのか、昨年のように秋になるのか、まだ僕のところには、連絡ないけど、また元気で会おうな~。みんなが一緒に歳をかさねているんだと思うと、俺一人ではないから、心強いよな~。

07128 ここ安曇野は、まだ梅雨明け宣言がないけど、まあ、早いとは思うけど、このブログをのぞいて下さる全ての人々に、痛風を機に、十キロ近く体重を落として、ややほっそりと、その分、だいぶ老けた感じもするこの私の姿ですが、(と、言いつつ、日焼けで光って、普段よりだいぶ若く見えるな…と内心少し喜びつつ、)の写真入りで、雨の日ではありますが、感謝を込めて、「暑中お見舞い申し上げます」。これからも、こんなヤクザな私ですが、よろしくお願いいたします。

幼子も中学生も  やがて立派な高齢者

P1000323a  昨日は、園児たちそして中学生たちみんで朝の時間に、庭の草取り作業をしました。それから、十時三十分前には、「光の子」讃美グループ活動で福祉施設「常念荘」へ出かけ、二つのホールを回り、一時間ほどの、交わりの時を持ちました。

「いいかい。今十三歳の中学生であっても、後六十年、七十年経つと、君たちも確実に、このように、立派な、どこから見ても若いとは言えない、おばあさんや、おじいさんになるんだよ。幼稚園の子どもたちだっていっしょだよ!」と、大勢の高齢者の方々を前に、おどおどしている女子中学生たちに、私は声をかけた。これを聞いた、車いすやストレッチャーに乗っている高齢者の方たち、そして職員の方々が大きな声で、明るく笑った。中学生たちは、ようやく「ふっ」と肩の力がぬけて、笑顔が戻り手遊びなどに参加した。

P1000324a_2 最近は核家族化が進み、高齢の祖父母などと一緒に暮らす家庭は、このような田舎の安曇野であっても少なくなっているのだ。この日は、犬二頭と、ボランティアの主婦二名も参加して、いつもより賑やかに、交流の時を持つことが出来ました。

アニマルセラピーのボランティアの主婦二人も含め、全員で園に帰り、途中のコンビニで買ってきたアイスを、大きな桜の樹の木陰でいただき、しばらくは自由遊び。三十度を越す中で、汗ばんでいた園児たちは、蟹型の小プールで、水道水のシャワーで水浴。頭から私に猛烈にシャワーを浴びせられ、鼻で息をしないための訓練で、「パッ、パッ」と大声を出させているので、まあ、その「パッ、パッ、パッ、パッ」の声が、またその幼子たちのしぐさのおもしろいこと。二人の主婦も中学生たちも、「かわいい~!」と声をあげていました。その中学生たちにも、放水してやり、そして、サッパリしたところで昼食。私自身も、もちろん全身放水して、とてもスッキリ。

P1000325h 事務室に入ると、机の上に、みんなの絵本シリース゛の今月配本分が届いていました。それと、私が若き日に勤務していた、大阪水上隣保館から、「水上の友」夏号も来ていました。そのトップの写真の下に目をやると、…「目標に向かって」琵琶湖一周高校生キャンプ…と記していました。そうかー、この私も、水上隣保館時代に中高生を連れて、琵琶湖西岸の安曇川近くで、キャンプしたんだよなー、今は、自転車で、何日かかけて、琵琶湖一周のサイクリングをしてるんだなー。六十四歳のおじいさんになった私は、若者だった三十数年前の頃の自分を、懐かしく思い出していました。

さーて、朝方に、やや激しい雨があり、曇り空の今日は、どうしようかなー。どうやら、今日の水泳教室は無理な天候です。

2008年7月17日 (木)

平和ボケ日本にも  自己責任の時代

Pgi01971 昨夜のNHKラジオ深夜便のワールドレポートは、イギリス在住の女性からだった。イギリスの場合、飲酒運転にならない飲酒量は、だいたい生ビール560mℓだという。フランスでも、飲酒運転は、普通になっているらしいと、前に何かで私は読んだことがある。

ところで、妻の兄夫妻が四ヶ月間の豪華船による世界旅行から帰って来た。そして、世界各地から、絵ハガキなどを我が家宛てに、たくさん送ったらしいのだが、ギリシャからの絵ハガキ一枚以外、何も届いていないのだ。荷物なんて影も形もない。

この点でも、日本の郵便や宅急便などは、おそらく世界一凄い。必ず着く。しかし、こうした感覚で海外へ出ると大変なことになるのだ。私と同じ年の作家に、椎名誠氏がいる。世界を旅するアウトドアの男である。その彼が、何かで書いていたが、ロシアでは、年間に貨物列車四千台分の品が、貨物列車ごと何処かへ消えてしまうらしい。まあ、日本でも高級車などが、一夜で何処かへ消えることは、しょっちゅうあるらしい。

何処かへ、代金を払って、タラバガニを送っても、受付を通ったとたんに、何処かへ横流しされて、消えてしまうのだ。まあ、日本でも時々、郵便配達のパートの人が疲れてしまい、どこかへ捨てたり、自宅へ持ち帰っていた例もあるから、他国のことばかり言えないが、今の世界の多くは、こうした状態が普通と考えて、まず間違いない。また、タイプはやや異なるが、日本の振り込め詐欺は、やるやつも、ひっかかる人々も、世界的に見ても凄い。被害額は何百億、何千億だもんなー。

日本でも最近、「自己責任」という言葉が、小泉政権の頃から浸透し始めている。これが、アメリカを始めとして、世界各国の常識となっていることを、海外旅行をする人たちは、心しておいた方がいい。

私もイスラエルへ、小さな旅をしたことがあるが、暴力タクシーに出会った経験がある。これは、タクシー運転手が、のほほん天国の日本人などを、言葉が分からないとみて、とんでもない所へつれて行き、不安がらせ、代金を吊り上げる悪質タクシーのことである。

妻がこの前、伊那市から京都駅まで、超安値片道2900円の小型オンボロバス恐怖を初体験した。十人前後の客だったらしいが、恵那峡あたりまで行ったところで、三十歳そこそこの運転手の携帯電話が鳴った。高速道での片手運転である。こんなことも海外ではあたりまえ。中にはカッブヌードル食べながらの運転手もいる。本当である。みんな生きることに必死なのだ。金使って海外旅行出来るだけ日本人は豊かで幸せなのだ。

妻は、その、片手運転手の直ぐ後ろの座席が指定された場所で、足が伸ばせない席であった。結局、恵那で、そのバスは、伊那市で一人、拾い忘れた客が来るのを待つのに、一時間。それからが、妻は恐怖だったらしい。京都に着いたのは、キッチリ定刻だった。だから、いかに無茶苦茶運転して、一時間の穴埋めをしたか、想像出来る。生きたここちがしなかったらしい。足は硬直し、下車してからしばらくは、その場を動けなかったらしい。

まあ、しかし、これも自己責任の部類に入るんだろうな~。信じられないような値段で、京都まで行けたのだから。長距離バス会社の競争の激化。燃料費の急騰。バス会社だって必死なのだ。こんなことは、海外では当たり前。妻の場合、バス会社は約束通り、定刻には死者を出すことなく、京都駅まで運んでいる。まあ、平和のほほん天国に育った妻には、とってもよい経験ではなかったのかなー。インドは凄い、どんなトラブルが勃発しても、「ノープロブレム」の、静かな一言である。もんだいないよ、なんとかなるよ。仮に死んだとしても、それも運命よ…。う~む。

子ども用ライフジャケット

Np0291 夏休み計画の中で、一つ気になっていながら忘れていたことがあった。八月に琵琶湖へ来る長男と長女家族に、孫が三人いるが、この孫たちが、私のカヌーヨットに乗ることも考えられる。

その孫たち用のライフジャケットの事だった。毎年、全国各地で幼い子供の水難事故のニュースが流れる。特に波の高くなる海岸、そして流れの急な川などの近くでは、必ず、最近出回るようになった子ども用ライフジャケットを付けておくことで、万一の時に役に立つ確率は高いように思う。一番は、幼い子どもたちからは、絶対に目を離さないことである。

そんなわけで、今朝一番に、インターネットショップのページをいくつか覗いて見た。子ども用には、一番小さなXSがあり、次がS、そしてMの各サイズがあった。二三歳の子の場合、首の周りに、浮輪状の支えのあるのが必要かもしれない。

まあ、我がファミリーの場合、小一と幼稚園の四歳の孫用にと、Mサイズを一着注文した。二歳の孫だけは、ヨットに乗せるには、岸辺近くと言っても早すぎると判断したからだ。昨年だったろうか、小型ヨットに、ライフジャケットを着用させないで四人の子を乗せての転覆事故があった。

ポート、そしてカヌー、ヨットは必ず転覆するものである。だから、その復元方法の技術は、乗る者にとって、大切な一つとなっている。私は今年、大阪のアクアミューズの高橋さんから、その基本について教わったが、転覆した舟艇の底側に回り、風下を背にして、体を沈めた反動を利用して復元する、様々な技術は、とても大切と感じている。これを何回も練習し、マスターしてから、帆走に出るべきだなーと感じています。

今朝の安曇野地方は、青空が広がり快晴の夏空です。昨夜にまた雨があったらしく、たっぷりと降ったことを示す地面の黒さと、大小様々な水たまりが駐車場に見られます。今日も、プールへ行きたいところですが、今日の豊科シオン幼稚園は、午前は、「光の子」讃美グループ活動で、福祉施設「常念荘」へ行きます。まあ、昼頃には、汗を光らせるだろう子どもたちに、水道水シャワーをサービスすることになりそうです。赤の蟹さん小プールもあります。

2008年7月16日 (水)

私が中学二年だった   あの夏

08260朝の会で、園児たち、そして職場体験実習に入った女子中学生たちと、「サンサン夏が来る」の歌をうたっている時でした。この夏初めてのジージー蝉の鳴き声を聞いた。一瞬みんなの歌声が止み、ピアノ伴奏の音も止み、みんなでしばらく、その蝉の声を聞いていました。ついに、この安曇野にも、本格的な夏が来たのだ。蝉の声は、それを告げていた。

そして、夏空の下。私は、競泳五十メートルプールで、五十一歳年下の女子中学生との競泳に挑んだ。横を見ながら、「よーい、ドン!」と、私が声をかけた時、彼女はロケットスタートを切っていた。そのスタートの出遅れが痛かった。いいところまでいったが、ついに追い抜くことが出来ず、ゴール。あああ、負けてしまった。

穂高東中学水泳部二年で、県大会出場選手の子だった。まいった、まいった。しかし、クロールの1500メートルとか、平泳ぎで勝負すれば、私の完勝だろうな~。どうだ、どうだ。

安曇野の今日は、青空も広がり、午前十時から十二時半過ぎまで、十五分休憩を二回とって、約二時間、流れるプールや十五メートルプールを使っての、豊科シオン幼稚園の水泳教室でした。

年長組の二人は、水泳教室初日にしてはまずまずの三メートルと五メートルを、顔を水に入れて、スーパーマンスタイルのバタ足で泳げました。年中組と年少組の七名は、水に慣れる段階ですが、特にこわがる子もなく、こちらもまずまずの出来でした。

08193園に帰って、保護者から差し入れのあった冷えた甘いスイカを、みんなでいただき、日焼けしたピンクの顔を光らせて、みんなニコニコ。

そうかー、中学二年生生かー…。まだまだ子どもで可愛いもんだな~。遠い昔、そう、今から五十一年前、私が中学二年の夏休みに入る最後の日だった。下校前に席替えがあり、ちょうど私の隣りの席は、なんと、なんと、もう一度言う、なんと、ついに三つ編みお下げの、E子になった。しかし、その私の喜びは、その直後に、クラス担任の鈴木先生の一言で打ち砕かれてしまった。

「E子さん、前へ出て来て下さい。実は家の事情で、H子さんは東京へ引っ越すことになりました。今日でお別れになります……」。ガーン!。

あの中学二年の夏休みは、何をしていても面白くなかったな~。う~ん、ちょっと違うなー。西天竜の流れで泳いでいる時や、トマトを食べている時とか、トウモロコシを食べている時なんかに、ふっとさびしく感じたのかなー、まあ、けっこう楽しく夏休みは過ごしていたなー。

でも、人生っておもしろい。還暦を過ぎて、毎年中学の同級会があり、あの時の彼女に、私の本ジョンのいる幼稚園」(キリスト新聞社)を贈ったり、彼女から年賀状をもらったりしているんだもんなー。歳を重ねることは、決してわるいことばかりではないのだ。素晴らしいこともたくさん起こるのだ。まあ、そんな話を、昔を思い出しながら、あの時の彼女と同じ、目の前の中学二年生の女の子たちにしている私でした。やれ、やれ。

命をあずかる 責任の重さ

07218 今朝の伊那高原の空は、薄い雲に覆われています。これから妻と安曇野にある教会&幼稚園へ向かいます。水曜日勤務の教諭の方が、短期間ですが日赤病院へ入院されたのと、今日から三日間、安曇野の中学校から四名の女子生徒が、職場体験実習に入るためです。

雨も降らず、気温が上がってくれば、予定では、豊科プールへ、みんなで出かけ、今日は水泳教室です。夏休み前に、四回ほどの水泳教室をしておきたいと考えています。

私は日赤の水泳指導員、救助員の資格を若い頃に取得しています。この資格は、取得後に毎年、規定の人数の子どもや大人に講習会をしたり、水泳教室の指導にあたらないと、更新にはならない仕組みになっている資格です。国際資格でもあります。

一般的には、警察や消防署などの、水泳の得意な、体育会系の連中が、何日間かの講習を、正式競技用の五十メートルプールと、水深のある飛び込み用のプールで受け、最後に筆記と、人工呼吸、心臓マッサージ、最後にかなりハードな実技試験を受けて、パスする資格です。

私の場合は、児童福祉施設や現在の幼稚園で、この資格は別として、自分の得意な水泳が、現場で生かされて来た気がしています。梅雨の季節に、安曇野の大型用水路に、ラブラドール犬のアージュが飛び込み、それを救おうとして飛び込んだ私を見て、同じくラブラドール犬のリーが、そして一番大きなマークが、さらにクロスとジョンも、私を追う形で、激流に流されたことがあった。

二十数人の男の子を中心とした園児も一緒の時だった。今振り返ると、園児たちの命の危機に、私が直面した瞬間だった。今でも、背筋がやや寒くなる。それ以外は、この歳まで、事故なくやってこれたこと、本当によかったなーと感じている。

子どもたちに関わる職務には、こうした命をあずかっているという、厳しい責任のあることを、意外とみんなは、事故が起こるまで、知らないような気がする。この夏の季節になると特に、私はこのことを自分に言い聞かせて勤務に入る。危機管理はいつも大切である。

そして、明日は、夏休み前、最後の「光の子」賛美グループ活動で、福祉施設の「常念荘」へ出かけます。こうした、水泳教室や野外教室、福祉活動などには、私も必ず参加し、短大などから実習生を受け入れたり、今回のように、まだ子どもの中学生などをあずかる時も、勤務に入ることにしている。

P1000318h しかし、まー、来週で、もう一学期が終わり、夏休みに入るんだなー。季節の移り変わりは、本当に速いなー。夏休みそのものも、油断をしていると、「あっ」と言ってる間に終わっちゃうもんなー。心を引き締めて、一日一日を大切にしたいと思う。今、横目でテレビの天気予報を見ていたら、安曇野の今日はお日様マークと雲マークが並んで出ている。

どうやら、日中は晴れ間がありそうである。さー、水着だけは忘れないようにして、出かけるとしよう。

2008年7月15日 (火)

変人牧師は、閉塞のキリスト教界に必要だ

Jjjo 最近、私のこのブログへのアクセスが、だいぶ賑やかになって来ています。あるワードで、アクセスして来たのを、逆アクセスしたところ、おもしろいページに行き着きました。それは、Kizasi.jpというページでした。

Kirinuki そこに、憲法学上の「変人」2007年7月11日(水) 11:16の見出しで、おそらく、向学氏のブログからの転載だと思われる一文に出会い、いい文章だなーと、うれしくなってしまったのです。それは、以下のようなものでした。

「そして、誰もが「市民」に、つまり変人になれることを保障するのが憲法の重要な役目である」。日本基督教団農村伝道神学校・・・、当時の同期の学生に、現豊科教会のJhon F Cross牧師(正規コース)、周防教会の村田敏牧師(正規コース)、それから、奥羽教区の地方教会から防衛省のすぐ近くの都会の教会に赴任した千代田教会の太田春夫牧師(継続教育コース)、それから筆者・下松愛隣教会の吉田向学(粗製濫造コース)がいますが、もしかしたら、農村伝道神学校は、「変人」養成学校だったのかも知れません」。
105_0508bfh これを見て、私が特に気に入ったのは、誰もが「市民」に、つまり変人になれることを保障するのが憲法の重要な役目である」の一文です。そして、ここに並んだ日本キリスト教団の牧師たちは、今、それぞれの使わされた地で、変人ぶりを最大限に発揮して、活躍しています。そして、それぞれのスタイルで、自分のブログを持ち、情報も発信している、極めて健全でオープンなメンバーです。
Kizasi.jpの記事の横には、ユーチューブの動画で、革ジャンを着て、大型バイクに乗り、全国を走り回り、伝道している有名変人牧師の説教の一部も公開されていました。型にはまって、硬直化し、閉塞感の見られるキリスト教界群の中にあって、様々な変人牧師が、出現することは、歴史の必然かもしれません。2000年前のイエスキリストの出現も、当時のユダヤ教の世界では、完全に、奇人、変人に見えたに違いない。それが証拠には、時の権力者たちによって殺されました。
Inu1014h この、私は、安曇野の地方新聞に、そのものズバリで、記事の文中の流れの中で、好意的にでしたが、「変人牧師&園長」と書かれたことがありました。それを読んだ私の一番上の、専業農家の兄から、「あまり、牧師らしくないことをして、兄弟や家族に、迷惑をかけるなよ…」と、注意を受けたこともあります。
まあ、今も私は変人のままで、おじいさんになりました。今年の夏も、琵琶湖にヨットを浮かべて遊びます。安全に遊ばないで、事故でも起こしたら、またまた「変人」と、今度は悪意で記事にされ、兄弟や家族たちに、また教会&幼稚園のみんなに迷惑をかけることになるかもしれません。
105_0580a2 私の周りの、教団教会の近いエリヤ内、(地区、分区、教区)で、一匹狼である私は、どちらの意味かは分かりませんが、間違いなく「変人」の部類に入る牧師に違いありません。しかし、六十四歳の高齢になった今は、あの医師で、作家の渡辺淳一氏が書いていましたが、おじいさんが、多少のはめを外すことは、若いあんちゃんの不良と違って、とても人間的なことだと、私も感じています。
これからの私は、今までもそうだったかも知れませんが、「過激な発言や行動」を、発信する、変人牧師を、さらに目指し、八十歳ぐらいまで頑張ろうかなーと思っています。

琵琶湖の自然を大切に

P1040038ah11 飯田忠義著「琵琶湖周航の歌」小口太郎と吉田千秋の青春(京都新聞出版センター)の本は、時間と日数をかけて、部分的には、何回も読み返したりしながら、じっくりと味わいながら読ませてもらった本です。

琵琶湖周航の歌の、作詞者は誰か。この歌の原曲となった「ひつじ草」の作曲者は誰か。そして、この歌の背景には、どんな時代が、そしてどんな青春があったのか。この本の著者の、長年に渡たる、そうした探求と取材の旅の情熱が、読む者の心に深く沁み込んで来ました。近年に出会った本の中では、一番印象に残る本となりそうです。

昨夜遅くまで、妻のピアノの協力を得て、最近は遠ざかっていた、自作の歌にチャレンジしてみました。まだ、この歌の題名を何にしようか迷っているのですが、まあ、私が自分で歌う歌であり、歌詞に出てくる言葉そのままに、今の私の心境である、「胸躍る夏」としました。

「胸躍る夏」…作詞、作曲 John F Cross(2008.7.14)

①甦る     青春の日の血潮

帆を上げた     ヨットの上で      ラダーを握る

若者たちが     琵琶湖周航      ボート漕ぎ

進んだ湖上     我もまた進む

嗚呼     胸躍る   夏

②甦る    青春の日の夢に

風をよみ       ヨットの上で        ラダーを握る

若者たちが    周航の歌        響かせて

湖畔に淡く     恋の花揺れた

嗚呼      打ち寄せる      波

③甦る     青春の日の言葉

波を切る      ヨットの上で        ラダーを握る

夕暮れの     ガリラヤの海       向こう岸

渡り行こうと     弟子たちが聞いた

嗚呼        その声今も        胸躍る     夏

P1000318h_2 この歌を歌いながら、和邇浜をスタート地点として、北上しての右回りの約100キロの琵琶湖周航になりますが、一日に25キロほどを目安に、四日ほどをかけて、帆走しようと思っています。古代インドでは 人生を4つの時期(①学生期〔がくしょうき〕②家住期〔かじゅうき〕③林住期〔りんじゅうき〕④遊行期〔ゆぎょうき〕に分けて考えたという。

私は、この人生の区分から言うと、林住期にあたる歳になりました。しかし、家族も教会&幼稚園の方々も幼子たちも、こんな私の夏休みの計画を、あの、イスラエルのガリラヤ湖へ泳ぎに行った夏同様に、応援してくれます。

この琵琶湖をはじめて私が訪れたのは、児童養護施設大阪水上隣保館時代に、そこの子どもたちとキャンプで訪れた時でした。そして、27歳の夏に私は、安曇川から米原まで、子どもたちの声援を受けて、一日をかけて泳いで渡りました。また、私の愛犬たちとも、訪れた湖です。

051219162712_3111 近年の温暖化などの影響もあり、湖畔の自然や、水質がとても心配です。美しい日本の自然全てがそうですが、琵琶湖周航の歌と共に、大切に後世に残したい湖ではないでしょうか。京都の第三高等学校の水上部(ボート部)が周航したのは、左記の図のコースだったようです。当時の琵琶湖は、今よりもずーっと美しかったに違いない。なお、私の周航では、琵琶湖大橋から南は、カットしています。
 

2008年7月14日 (月)

検査結果は 異常なし

Isya011 伊那中央病院での「痛風」チェックは、八時半前に、自宅を出て、最後に、処方箋を持って薬局にも回り、十時半過ぎには帰宅できた。もって行った茂木健一郎著「脳整理法」(筑摩新書)は、50ページほどしか読めなかった。

私の腕の血管は、普通より奥にあるらしく、今回も手間取り、今回も二回目で成功。その結果は、尿酸値が3.7と、前回の4.4よりさらに下がり、異常なし。肝機能、腎機能共に異常なし。

しかし、最近の血液検査は、凄い。筋肉内の何かが変化していて、運動などで変化する数値らしいが、「心配する数値ではありませんが、何か、最近激しい運動をされましたか?」と、私の長男ほどの若いT医師に聞かれてしまった。私が答えると、「あー、水泳を二日連続で、けっこう泳がれたんですね、たぶんそれでしょう。いずれにしても、心配ありません」。

「あのー、俺、ここ三ヶ月ほどで、十キロほど減量して、体は快調になったんだけど、前のように、あまり食べなくなって、栄養面が心配なんだけど、どうだろう…」「えーと、大丈夫ですね、蛋白質の量も十分ですよ」。

「最近、ビールもけっこう、うん、プリン体カットのを中心にだけど飲むようになってるけど…」「あーと、そうですね、肝機能、腎機能共、数値は確かに前回よりは上がってますが、問題のない範囲ですね」。パソコン画面に出る、かなりの行数で並ぶ、各項目数値の表や、折れ線グラフの表を見ながら、T医師は私に、爽やかに明快に告げるのだった。

しかし、医師という職業は、なかなかいいもんだなー。俺も今度、この世に生まれてくる機会があったら、ブラックジャックのような外科医を目指してみようかなー。牧師のような中途半端な職業よりスッキリした職業だよなー。

次回の検査は10月20日である。こうして、中途半端牧師&幼稚園長の私は、この夏も元気に過ごせそうなのだ。やれ、やれ。帰宅して直ぐに、伊那の大芝高原管理事務所へ電話して、プールオープンの日を問い合わせた。今週の土曜日からと言うことだった。ここ伊那高原にも、本格的な夏が来るんだな~。

今朝、神学校時代に机を並べた一人、私より十ニ三歳若い、周防教会の村田敏牧師のブログをのぞいたら、先週に、目が回って倒れて、寝込んだらしい。そして四十時間振りに、ようやく食事して、ソー麺をとったようなことを書いてあった。やっぱり、あっちの夏は暑いのかなー。大阪出身のあいつは、しかし、アルコール類は一切だめな分、食べ物が偏ってるのとちゃうやろかー。

今日は「痛風」のチェック日

07140 朝日が昇り、その放射状に広がる光を受けて、大小様々な鳥たちが身を光らせて、我が家の庭の上を、様々な方角から交差して飛翔して行く、活気に満ちた朝です。

私は、そんな空をベランダの安楽椅子に腰掛けて見上げていました。どうやら今日の伊那高原の天候は晴れのようです。安曇野の朝には、めったに聞くことの出来ないカッコウの声が、今朝も東の林の方角から響いています。いい季節です。

昨日は、日曜日の礼拝を終えて、さらに、幾つかの事務処理を、手早く済ませ、午後二時過ぎに、まだ洗濯機を回していた妻に送ってもらい豊科プールへ向かった。そして、夏休み前の豊科シオン幼稚園の水泳教室の日程などを書き込んだ、教育委員会宛の「プール使用願い届け」を、受付事務室にいたKさんに渡した。

二十五日から始まる夏休み前の今週に、二日、来週に二日の、計四回が、豊科シオン幼稚園の水泳教室です。昨日はそのまま、駆け足で五十メートルプールへ向かい、クロールと平泳ぎを交互に混ぜながらの十ターンを一時間ほどで泳いだ。まだスピードに乗るところまでいかないが、だいぶ良い感じで泳げて、まあまあ満足。

やや冷たく感じるシャワーを、一人で騒いで浴びて、妻との約束の時間ピッタリに、駐車場へ出た。ちょうどやって来た妻の車に乗り、そのまま安曇野を後にした。

今回は木曜日から日曜日にかけた、三泊四日の、幼稚園と教会の職務を終えて、中央高速道で伊那高原の自宅へ向かった。安曇野と伊那高原の違いは、プール開きの初日が、安曇野の方が一週間ほど早いことである。

それと、プールの水質に明らかな違いがあり、伊那高原の大芝プールの水質の方が良い。透明度も高く硬質に感じる。大芝プールの方が、林にも囲まれていて眺めもいいし、やっぱり、自然の中で泳いでいる感じがするから、私は大芝プールの方が好きである。我が家から、車ですぐの距離にある。しかし、問題はプール開きの初日が遅い。まだ今週は泳げないもんなー。

Illust333_thumb1 私の今日は、朝一番の八時半から、伊那中央病院で、「痛風の」チェックを受け、夏休み中の薬を受け取りに行く。まあ、痛みや炎症は、全く出ていないから、心配はしていない。体重も76キロ前後を維持している。ビールは…、プリン体99%カットのやつだが、けっこう飲んでいる…。まあ、しかし、時には、こうして病院へ行くのも楽しみになっている。

様々な人々が、それぞれに、病気や問題を抱えながらも、こんなにも多く、こうして一生けんめい生きているんだな~、と感じるからだ。そんな待合コーナーで、文庫本を読んでいるのも、わるくないのだ。

2008年7月13日 (日)

野の花を 「注意して」 見なさい

P1000305ah 今朝の日曜礼拝&日曜幼稚園で私が語ったのは、先週に引き続いて、「野の花がどのように育つのか、注意して見なさい」の聖書の箇所だった。

注意して」をどのように分かりやすく深めて語るかのヒントを、今朝の「心の時代」で、聞いたカンパーランド長老教会牧師夫妻の「共に生きる」の言葉から受けていた私は、だいたい以下のように語った。

P1000303h_3 小学一年生の夏休みの宿題の「朝顔の観察日記」で、子どもたちが注意深く観察するのと、同じことを、今日の聖書の箇所は私たちに求めています。

家族が、喜びも悲しみも共にして生きているように、私は、安曇野で出会った四頭の大型犬たちとも、「共に生きる」ことを心がけて、共に生きて来ました。犬たちや幼稚園の幼子たちと一緒に行けないような場所や、拒否されるような処へは、私も行かなかった。そうした場所は、私にとっても行く必要のない所と考えた。

私より十二歳年上の、一番上の兄は、伊那高原で農業を父から受け継ぎ、農業高校を卒業すると、新たに梨やリンゴ園、そして畑をたくさん借りて、「酪農」も始めた。

P1000308ah その長兄は、友だちたちと一緒に、さらに信州大学の農学部あたりへ進学したかったかもしれない。それだけの学力もあった。しかし、経済的なゆとりは、我が家にはなかった。そして、長兄は頑張った。その長兄にとっての牛たちは、正に、「共に生きる」いのちたちだったに違いない。朝早くから夜遅くまで、牛たちと共に生きた。

その牛たちのおかげで、四人兄弟の末っ子だった私だけが、大学にまで進学させてもらえたと思っている。家族も、そして家で飼われた犬や猫も、牛やヤギや鶏なども、さらには、畑の農作物も、家の周りの草花たちも、正に、私たち家族六人の運命共同体の「共に生きる」いのちの仲間たちだったのだと、今になって振り返るとき、大きな感謝の心が湧きあがる。

P1000310ah長兄は歳を重ね、体に限界を感じたり、他の様々な事情で、酪農を止めることを決断する時が来た。そして、その最後の牛たちと別れる時。それは、きっと、私が犬たちと死別した時以上に、胸に迫ってくるものがあったに違いないと、この歳の今になって、私は強く感じる。

P1000314h 今日の聖書の箇所の「注意して」とは、この「共に生きる心と目を持って」、しっかりと野の花を見なさいと、イエスキリストは語っているのだと思う。商売だから、金を稼いで、良いものを着ようとか、そうした思いを、遥かにこえて、その最も背後にある、神様の愛に気づく心の宝を、私たちは、周囲のいのちに目を向ける中で、発見できる者でありたい。

共に生きるとは

P1000302h 今朝は四時前に目が覚めた。昨日のプールで日に焼けた顔や体がほてり、暑かったので、ブラインドはしていたが、窓は開け放って眠っていたので、今朝はそこからの小鳥たちの朝のさえずりのにぎやかさに驚かされた。まだ薄暗い四時過ぎです。この時間帯が、一番、野の小鳥たちの声が大きく響きます。

枕もとの小型ラジオのスイッチを入れ、NHKラジオ「心の時代」の最初だけを少し聞いた。「カンパーランド長老教会」という懐かしい言葉に、久しぶりに出会った。私が大学生の時に洗礼を受けたのが、このカンパーランド長老教会だった。東京の国立(くにたち)にある、カンバーランド長老国立教会でした。府中の刑務所近くで三億円が奪われる事件のあった頃です。

今朝の「心の時代」は、現在もブラジルで生活する、その同じカンバランド長老教会所属の、やや高齢らしい牧師夫妻の話だった。十年前と、十年後に訪れたブラジルの地で生活する人々の、苦しみや様々な困難を目にした夫妻。

P1000298h それらの現状を目にして、私たちに何が出来るか?。いや、何も出来ないだろう。これが率直な二人の思いだった。しかし、しばらくして、「この人々と共に生きることなら出来るかもしれない…」。こうした思いが二人の心に芽生えたという。そして、一人ではできないかもしれないが、夫婦で祈りを合わせて、スタートしよう、と決意したという。

私が身を置く、我が家族たちとの生活も、豊科シオン幼稚園の幼子たちとの日々の生活も、正に、この共に生きることが基本となる。しかし、「共に生きる」ということは、そうたやすいことではない気もする。何故なら、喜びも悲しみも共にすることであるからだ。もっと言えば、生きるも死ぬも共にする覚悟が求められるような気もする。

この牧師夫妻の言葉が真実なら、その人々と共に、その地に骨を埋めるくらいの覚悟がいるんだろうな~、偉いな~と思った。ここまで聞いたたけでしたが、後の話はだいたいわかるような気がして、スイッチを切り、鳥たちのにぎやかな声に誘われるように起き上がり、事務室に入った。

こうして日曜日の朝を、教会&幼稚園でむかえるのは久しぶりです。だいぶ明るくなった空を見上げると、青空が見えます。どうやら、昨日に続いて今日も、ここ安曇野地方は快晴になりそうです。天気が晴れで、プールが開いているとなると、ついつい、私はそわそわした気分になってしまう。しかし、今日は日曜礼拝です。少し、そのための準備に入ります。

P1000301h 窓から、庭に目をやると、紫色の紫陽花が鮮やかに目に入りました。今日の講壇に、この花を飾ろうと思う。こうやって、小鳥たちも草花も、さりげなく、気負いもなく、近くにいる私たちと共に、生きているんだな~との思いが湧いてきました。山口の下松愛隣教会では、日曜日の講壇に飾る花を、庭いっぱいに咲き誇る花の中から、「どれにしようかな~」と、迷うらしいが、凄いことだな~と思う。愛情を注ぎ、手入れをしているのは吉田向学牧師である。

花と共に生きるということも、そうたやすいことではない。種を蒔き、その成長に目をやり、喜びや悲しみも共にして、それぞれの季節を、日照りの暑い日も嵐の日も、共に生きるんだもんなー。今日の日曜礼拝の説教では、こうしたことにも触れて、語らせてもらおうかなー。

2008年7月12日 (土)

孫たちもさそって 2008 初泳ぎ

P1040095h 安曇野市の豊科プール開きの今日は、入場無料でした。長男家族と長女家族にも電話を入れて、誘いました。こうして孫三人も加わり、青空の下、2008年のプール開きの日を、みんなで水の中で楽しみました。

私は、流れるプールで遊ぶ孫たちを少し見た後、五十メートルプールへ行きました。こちらはほとんど人がいなかったので、コースロープを張ってある五十メートルコースを独占して、ゆっくりと、十ターンほどを泳ぎ、千メートル少しを泳ぎました。まだまだ体力的には、若い者たちに負けないだけの泳力があることにホッとしました。

今月末までに、何回か、プールへ通い、少し体を水に慣らすトレーニングを積んで、今月の二十九日には琵琶湖へ出発です。そして、琵琶湖西岸の和邇浜で、アクアミューズの高橋さんから、ヨットを受け取り、少し説明と手ほどきを受けて、二三日トレーニングしてから、琵琶湖周航にチャレンジの予定です。

P1040096h 私は、もう少し泳ぎたかったのですが、孫たちが、お腹がすいたと言うので、農道沿いの「大学ラーメン」へ、みんなで行きました。そして、生ビールとジュースで乾杯。八月に琵琶湖畔へ集結する打ち合わせもしました。帰りは、それぞれに女性陣が車の運転。

まあ、我が子たちは、私のこの夏のちょっとしたヨット冒険には、「ふ~ん」と言って、「幾つになっても夢があるっていいよね」。と理解を示してくれました。

P1000296h 今回の琵琶湖行きは、もう一つ、京都の八十八歳になる義母関連の集まりがあり、それへの参加もあります。牧師をしている関係で、日曜日と重なる親族の集まりには、今まで一度も顔を出したことのない私でした。しかし、義母が元気なうちに、やはり孝行をしておくことに、今回は決めました。後は、梅雨明けが今月末までには来て、良き天候の日を得たいな~と思っています。しかし、二時間ほどの水泳でしたが、顔や体が陽に焼けて、ポッポッとほてります。

2008 プール開き  快晴です

P1000295h 今朝は六時過ぎに目が覚めた。土曜日の朝を安曇野でむかえるのは、久しぶりのことです。昨夜も雨が降ったようです。地面が黒々としめっています。今日、豊科ブールがオープンになることもあり、朝のうちに急いで二三の業務を処理して十時頃には、次男とプールへ出かけようと思っています。

この教会二階に下宿している、大学一年になる次男は、休みの日でも、めったに外へ出ることがなくパソコンと向かい合って部屋の中で過ごす事が多く、父親としては少し心配なところがあるわけです。犬がいた時は、「散歩にいてっこい!」と、行かせたりしていたのですが、その四頭いた犬も、それぞれに加齢して、十二歳前後で、全て、いなくなってしまいました。

まあ、学んでいるのが経営情報であり、この秋にシスアド試験を、そして来年には情報処理の試験を突破するのが、当面の目標であり、パソコンと向かい合っているのも、勉強といえば勉強ですが、体力面でも、パワーをつけてほしいと思っています。背だけはひょろりと高くなり、日曜日の礼拝ごとに、長男に「俺よりでかくなったんじゃーねーか!」と言われたり、一番仲のよい三女からも、「でけー!」と言われ、見上げられたりしています。

105_0580a1 おそらく百八十センチ前後になった感じを受けます。こいつとは、2005年の夏に琵琶湖へ出かけ、次男にとっては初めてのヨットを二人で楽しんだことがあります。その時感じたのは、風を読み、ラダーと帆の位置関係を、ほぼ瞬時に理解して、タックやジャイブの時に、一瞬判断を迷う私に、「お父さん、右、右」とか、「もっとラダーを戻して!」とか、午後になり荒れてきた湖上では、どっちが教えているのかわからない感じでした。

そのくせ、「お前にまかせるから、やってみろ!」と言うと、尻込みするから、分からんやつです。まあ、タイプ的には、高校野球で甲子園を目指し、中学、高校と野球部で鍛えた長男が私に近く、この次男は妻のDNAを強く引き継いでいる感じを受けています。泳力は、五人の我が子全てに、小さい時から私が教えて来たので、学校の水泳大会では、いつも上位でした。長男と三女は、おそらく、スイミングスクールあたりへ入り、本格的にやっていれば、国体ぐらいに出られただろうな~と思っています。

まあ、次男は高校の情報処理で、全国大会に出て、優秀賞を手にしたりして、それなりに自分の得意分野で頑張ってはきました。そんな次男を、私はこの季節になると引っ張り出して、プールへ誘い、ニ三キロを目標に、連日泳がせて来ました。しかし、六十四歳になる私に、まだ負けています。そろそろ追い越してほしいな~。

事務室の窓から見上げる今朝の空は、青空です。どうやら、今日の安曇野は快晴の一日になりそうです。妻は、朝から青空を見上げてそわそわしている私を見て、「幾つになっても、まるでトムソーヤみたいね」と言いつつ、朝食のハムエッグを作っています。そりゃーそうだ。今年四歳になった長男のところの孫に、颯野(ソーヤ)という名をつけた私ですから。

2008年7月11日 (金)

「幼年期の終わり」   読み終えました

41ibv38p2bvl_sl500_aa240_1 午後四時過ぎに、来週に、三日間豊科シオン幼稚園に職場体験実習に入る中学生と、担当の教諭が、事前の挨拶に来たのと、近くで建て替え中の工事に入った建築現場から、水道管工事の件で、現場責任者の方が挨拶に来て、読むのを中断された時間を除いて、園児たちが帰った三時過ぎから、夢中で最後のところを読んでいた「幼年期の終わり」クラーク著池田真紀子訳(光文社文庫)を、五時半を回って読み終えた。

513w7k7t4vl_sl500_aa240_1 いやー、久しぶりに夢中になって読んだ本でした。以前、同じような感覚で夢中で読んだのは、けっこう前になりますが、現在施設職員をしている長男に、「お父さん、この本おもしろいよ!」と言われて読んだ「ダビンチコード」上中下以来だろうか。今回は、読み終えたこの本を、今度は長男にあげようと思う。

人類の未来、地球の未来を、大きな宇宙のスケールの中で描き、極めて高度な科学技術を手に入れた異星人と、地球人との遭遇を軸に、グイグイと、地球の終わり、人類の未来、その最後の姿へと引き込んで行く。いろいろと考えさせられるSF小説でした。おもしろかった。しかし、この宇宙は、本当に広くて、不思議だな~。

夏休みの宿題  「朝顔観察」

07132 ここ安曇野はまだ梅雨明けはしていません。しかし、季節は早くも夏本番に入ろうとしています。あと二週間で豊科シオン幼稚園は夏休みに入ります。七月二十四日が終業式で、八月十九日が二学期の始業式となります。

その間の三週間と少しが夏休みとなります。しかし、私たちの幼稚園は、夏休み中も日曜幼稚園があり、教会員と一緒の日曜礼拝もあります。家族で、どこか遠くへ行く旅行日と重なったりしない限り、出席します。私も同様です。

この私自身は、京都でのどうしても出席しなければならない親族の集まりが八月三日(日)にあるため、教会役員の方たちに、その日の礼拝をお願いして、七月二十七日の礼拝を終えて、約二週間の夏休みをもらうことになっています。こうした事は、この教会に赴任しての二十数年間に、二三回あったでしょうか。一度はイスラエルのガリラヤ湖へ出かけた時、他に二回は、東京の国立にある教会と町田にある教会の日曜礼拝に招かれた時でしょうか。そうかー、そうすると、正確には今回で四回目になります。

しかし、こうして、夏休みの計画をたてて、この夏休みを楽しみにしている時が、一番よい時なのかもしれません。いざ夏休みに入ると、あっというまに、過ぎ去って、次の季節がやって来ることを、何度も経験しているからです。

さて、来週の後半三日間、職場体験実習で、四名の女子中学生が実習に来ます。その三日間には、福祉施設での「光の子」讃美グループ活動日が一日あります。また、天候にもよりますが、豊科プールでの水泳教室が入るかもしれません。中学生たちが、将来の職業を選択する時の貴重な体験になるだけに、受け入れにも、やはり、それなりの気をつかいます。

さて、小学一年生の夏休みの宿題に、「朝顔の観察」というのが、今でもあるようです。私自身の小学生の時に、あったのかどうかは記憶がありません。しかし、自由研究のテーマに選んで、家の周りに数々の花を季節ごとに咲かせ、小さな温室も持っていた花好きな父に手伝ってもらい、一度やったような記憶があります。

先週の日曜礼拝で、聖書の「野の花が、どのように育つのか、注意して見なさい」とのイエスキリストの言葉の箇所を、読んでいて、私は「ハッ」とさせられました。

これは正に、小学校の教室で、初めての夏休みをむかえる一年生に、学校の授業で、種から蒔いて育つのを観察してきた、その一人ひとりの朝顔の鉢を、家に持ち帰らせて、「さー、夏休み中もしっかり、朝顔の観察をして下さい。そして観察日記を毎日こまめに、つけてみましょうね!」と、教壇の上から語る先生の言葉と同じです。

さあ、この私自身も、夏休み中に、「自然観察」「野鳥観察」などが、しっかりと、注意して出来る夏休みにしなければいけないなーと思う。

2008年7月10日 (木)

私のブログで写真バグ発生

P1000290h 今朝、私のプログ(グーグル)に異変(写真バグ)が起きていて、挿入していた写真の何枚かが、消えていた。そこて、編集画面をのぞくと、「Blogger チームからの最新のお知らせ」が来ていた。英文で三ページほどの、グーグル社のブログの多彩な機能の説明と、写真にバグが出ているから、修正しましょうとの通知内容だった。たぶん。

そう言えば、六月五日に最終書き込みをして、そのまま放置していたので、まあ、そんな私を励まして、ブログを続けましょうとの文面らしかったが、何かのバグで写真が消えていたのを、いち早く見つけた、Bloggerチームが、消えている写真と日付についても触れて、個人的レターをくれたのだった。英語でなくて日本語でくれると、もっとありがたいのだが…。

P1000289hしかし、 さすがだなー、グーグル社は偉い!。しかし、写真バグは、やっぱりグーグル社のブログ機能にも問題があったんだろうなー。たぶん。そこで、バグで消えている写真を二三枚入れ替えたら、他の全部が復旧していた。やれ、やれ。

これからは、グーグル社のブログにも、ちょこちょこ書き込みをすることにしよう。まあ、英文では書けないから、英語聖書の語句を少し入れて、それに日本語で、解説を入れるようなブログにして行こう。動画やユーチューブも、挿入可能らしいから、それもやってみよう。

今日の豊科シオン幼稚園は「光の子」讃美グループ活動で、福祉施設の「豊岳荘」を訪問して、一時間の交流の時を持ちました。朝の曇り空は、いつしか晴れて、蒸し暑い一日となりました。しかし、豊岳荘の二階ホールでは、開け放たれた窓から、清風が入り、何十人かの車椅子の高齢者の方々と、爽やかな一時を持つことが出来て感謝でした。

今日も、午後六時前には、ほりで~湯へ行き、汗を流して来たいと思う。安曇野に来ての楽しみの一つは、一日の業を終えた後の、西山の山中にあるサウナと露天風呂です。不思議なものです。朝のぞいたブログにバグが見つかり、う~むと、なり、それが復旧して、やれ、やれと、明るい気分になる。そして、雲の多い空を見上げて、う~むとなり、施設訪問で、爽やか気分で外へ出ると、青空の広がっていて、心も晴れやかになる。

人間の心にも、曇りの時があれば、晴れの時もある。そして、人間の心とは、外部の環境や、出来事によって、結構大きく左右されるものなんだなーと、改めて感じた一日でした。さあ、園児たちも帰った、これからの時間は、「幼年期の終わり」の続きを読むことにしよう。妻は次男の衣類の洗濯と、今日の夕食の買い物のようです。

来週から 水泳教室スタート

Inu1014h 今年の梅雨は、連日雨が降り続いて、「今日もまた雨か…」と、うんざりするような、長雨を思わせる梅雨ではない。ここ伊那高原に限って言うなら、夕方から夜にかけては雨の降り続く日が多いが、日中は曇りや晴れの日が多い気がする。

今日の伊那高原の朝は、空の高い曇り空である。昨夜は「幼年期の終わり」アーサー・C・クラーク(1917~2008)著(光文社文庫)を読んだ。著者の略歴には、イギリス生まれで、子供のころから熱烈なSFマニア、公務員、空軍士官を経て作家となり、あの「2001年宇宙の旅」で、名声を世界的にし、今年の三月に九十歳で死去、とあった。

宇宙人が、背中に羽があり、尻尾が矢印形をした、あのサタンの姿で現れたところ、三分の一ほど読んだ時点での感想だが、まあ、おもしろい。しかし、彼が日本の手塚治虫作品やドラえもんを知っていたかどうかは知らないが、ドラえもんの四次元ポケットの世界の方がランク的には上だろうなー。まあ、後半に期待して、今日明日ぐらいには読み終えたいと思っています。

今日は、これから安曇野にある教会&幼稚園へ向かいます。午前中に「光の子」賛美グループ活動で、福祉施設「豊岳荘」へ、園児たち、そしてボランティアスタッフと、アニマルセラピー犬たちと向かいます。

今度の土曜日から、豊科プールがオープンです。そのプールを使用して、来週から、晴天ならば、豊科シオン幼稚園の水泳教室も本格スタートです。後二週間ほどで夏休みになるんだもんなー。そろそろ梅雨明けが待ち遠しいなー。(写真は、もう十年以上前の、中房川での一コマです)。

2008年7月 9日 (水)

WEB時代の落とし穴

Hohsh 今朝の伊那高原はやや冷え込む曇り空の天候です。最近インターネットで注文した三冊の本の内の一冊「幼年期の終わり」が伊那市TUTAYA書店に配送されたとのメールが届きました。

今日、受け取りに行く予定です。今までは、送料と代引き手数料を本の定価以外に支払うことが多く、何だか同じ本なのに、高く購入することが多かったのですが、この方式だと、定価で買えるし、既存の書店の存続も助け、なおかつインターネット注文も出来るので、良いシステムであると感じています。

他の二冊は、一括注文で、1,500円以上になり、送料は無料で、代引き手数料が248円かかり、ここから、サービスポイント7円が差し引かれ、結局241円の代引き手数料が本の定価に加算されますが、書店に行き来する車のカゾリン代なども考慮すると、まあいいかなー、と注文してしまった。

しかし、インターネットによる購入システムは、私がどの本を、立ち読みと言うか、のぞいて眺めているかを、自動チェックしているらしく、本を持ってインターネット上でレジに進むと、「○ ○」の本と、「□ □」の本もどうですか?。といった感じで、前に、どうしようかなーと、私が迷っていた犬関連の本や赤毛のアン英語版なんかを、下の画面に並べたりする。

ある意味、ありがたい気もするが、恐ろしい気もする。だって、こういうことが、私の行っているTUTAYA書店で、一冊の本を購入しようとレジへ行くと、「えーと、お客さん、この本以外に、ここ一週間ほど、あちらの本棚で、何回も手にしながら迷っていた、「愛犬チロ」と「赤毛のアン」英語版の二冊も、この際購入しませんか、サービスポイントも付けますよ、どうでしょう?。この二冊も、なかなかいいですよー」なんて、声をかけられたら、ビックリしちゃうもんなー。

おそらく、私の最近の、インターネット通販による買い物の合計金額なども、何処かで、誰かの手で記録されているかもしれないなー、結構買ったもんなー。ヨットだってインターネットで買っちゃったもんなー。

こう考えると、パソコンは実に奥が深いし、インターネット世界では、私の読む本や、私の書くブログ内容や言葉の解析なども、必要に応じて行い、思想分類もして、こいつは、まあ、反国家権力者、テロリストとしての危険度ランクは、3 レベルだ。今度、安曇野と伊那高原で、サミットがあるが、まあ、この程度のやつなら大丈夫と、FBI には報告しとこう。何てことも可能なんだろうなー。

今度、グーグルとヤフーが提携して、さらに巨大化するらしいが、そうした国家権力の手先になるようなことだけは、絶対すんなよなー。しかし、実際には、世界各国で、こうしたインターネットのブログや、掲示板への書き込み、そうした中での違法な行為や国家批判などをチェックするプロの技術者たちが、国家レベルで組織されているところもあるらしい。その国家組織の名前も聞いたことがある。確か「黄金の盾」だったかなー。こうなってくるとパソコン、そしてインターネットの世界は、何とも恐ろしいよなー。

もう一つ、私がインターネット通販で、買い物をするようになってから、通販関連のメールのやり取りの時に、スパイウイルスが仕掛けられることが、だいぶ多くなったような気がする。まあ、私の場合は、クレジットカードは絶対使用せず、玄関先での代引きにしているが、クレジットカードの暗証番号などを、インターネット上で盗み取るなど、技術的には簡単な時代に入っているのかもしれないなー。善良な小市民のみなさん、こうした点にも注意しましょう。

2008年7月 8日 (火)

雨あがり 午後の高原散歩

Renzokuh 午後から青空の広がる天候になった。標高八百メートルを越える高原でもあり、また雨の後でもあり、陽射しの中に出ると夏の暑さではあるが、空気は爽やかで日陰では涼しかった。

カメラを首から下げての一人散歩だった。軽く汗をかく程度の、家の近所へ散歩に出て、カラスとモズ、そして蝶、最後に燕の姿を撮ることが出来た。

犬との散歩の時代と異なり、散歩の回数がすっかり少なくなった私だが、やっぱり自然の中を歩くのは気持ちいい。

読書やパソコンで近くばかりを見ていた目には、目の芯がグッグーっと痛くなるような感じで、遠くの夏景色に目のピントが合い、目の疲れがとれて、とても気持ちよい。空を飛ぶ鳥たちにとって、この季節は、比較的食べ物が豊富なのだろうか、どの鳥たちの姿や飛翔する姿には、ゆったりとしたよゆうのようなものを感じる。

Yuahそうした、様々な野鳥たちの姿を目にするのだが、その行動は素早くて、なかなかカメラでとらえることは難しい。

りんごや桃の実などが、果樹園の中で、大きく成長していた。途中の草原の木蔭で、しばら寝転び、空を見上げた。

今週の土曜日から、安曇野の豊科プールがオープンになる。ここ伊那高原の大芝公園プールも、確認はしていないが、おそらく来週にはオープンになるだろう。

そうしたら、こんな青空の日には、この私も泳ぐことになる。あー、早く飛び込んで、潜ったり、回転したり、泳いだり、水の中を自由に遊びまわりたい。夏になると私は、こうして、泳ぎの好きな少年のようになる。泳ぎの後の、トウモロコシやトマトが最高にうまい。

七夕の祈り

07003_2 今日の伊那高原は、冷たい雨です。 七夕の昨夜も曇り時々雨だったから、夜空に天の川を見ることは出来ませんでした。この七夕制作の教材を、私が箱に入れたままにして忘れていて、それに気付いたのが、六日の日曜日の礼拝の後でした。

しかし、ここ長野県の七夕祭りは、一ヶ月遅れの、夏休みの八月七日にやることが多い。だから、豊科シオン幼稚園の子どもたちは、今日、窓の外に雨の音を聞きながら、きっと、先生方と一緒に、その七夕制作をたのしんでいることと思う。その短冊に、どんな願い事や祈りのことばを書くんだろうなー。今度行った時に、見せてもらうのが楽しみです。

ユダヤ教神学者ヘシェル(1907~1972年)の本をインターネットで調べていて、彼の著書「The Insecurity of Freedom」からの翻訳の以下の言葉に出会った。

「私たちの住む世界は、これを見守るお方がおられなければ地獄のように悲惨です。
 この世には人間の呻きや叫び声にこだまするものは何もありません。それに応えてくださるのは神だけです。
 たとえ世界の都市や星がどんなに輝いていても、私にとっては、世界は真っ暗です。
 もし、神が私たちの叫びを必ず聴いてくださるに違いないという確信をもてないなら、これほどみじめで冷酷な状況にどうして耐えることができるでしょうか」。

その通りだなーと、私も思う。聖書を読むと、旧約聖書の詩篇94編に、「耳を植えた者は聞くことをしないだろうか、目を造った者は見ることをしないだろうか」との、神から人間への呼びかけが記されている。

天からの目は、この地上のあらゆるものに注がれているのだ。ここに、私たちの救いの根拠があるんだなー。豊科シオン幼稚園の幼子たちの祈りにも、そして私たち、全ての人々の祈りにも、確かな耳を持って、聴いて下さる方がいる。何と心強いことだろうか。

2008年7月 7日 (月)

「空の鳥を見よ…」 庭に来る野鳥たち

安曇野にある教会&幼稚園の庭で、ここ最近に、目にした野鳥の種類は、九種類です。今まで、特に数えてみたことはなかったのですが、昨日の礼拝で、聖書のマタイ福音書六章にある「空の鳥を見よ…」、「野の花がどうして育っているか…」の個所を語る準備の時に、初めて野鳥図鑑も見ながら、数えてみました。

、これは毎朝目に入ります。西陽の当たる斜面になった砂場横の桜の木の根元あたりで、砂浴びをする姿も、最近良く目にします。可愛い姿です。

カラスの兄弟二羽。こいつらは、近所の大きな杉の木が切り倒された時に、まだ幼鳥だった二羽のカラスが巣ごと落ちてきて、幼稚園児たちと私が預かり、ヨドの物置の上に巣ごと置いて、様子を見たことのあるカラスたちです。今も、自分の育ったこの辺りが気になるらしく、必ず二羽で遊びに来て、園児たちが蟹形のプラスチックのプールで、水浴をしているのを、三本の大きな桜の木のどこかで見ていて、園児たちがいなくなると、そこへ飛び込んで、カラスの行水をする姿が見られました。鉄棒の上を横歩きする姿が、おもしろく、まるで遊んでいるかのようです。近所のトタン屋根の光る部分を激しく突く、いたずらもして、近所のおばさんが困っています。

カッコウ、これはつい一ヶ月ほど前だったろうか、庭で鳴くカッコウの声を聞いた私と妻が外へ出た時、二羽が桜の木のあまり高くない枝から、私の姿に驚いたのが、鶏のように羽ばたいて、「カッコー、カッコー」と鳴きながら、低空で遠くへ飛び去る姿を見ました。その姿や形、大きさなどは、おぼろげな印象しかもっていませんが、鳴き声からして、明らかにカッコウでした。尻尾が琴のバチのような形だったのが印象に残っています。

ツバメ、これは天井の高い教会堂の中へ二羽が入って来たことがあります。最近は、雀と同様に毎日見ます。

ハクセキレイ、これは比較的警戒心は、あまりなく、園児たちが、三メートルほどの所まで近づいて、座り込んで覗いていても逃げません。人懐っこい小鳥のように感じます。ほぼ毎日見ます。しかし、地面を移動する走りが、とても素早い。

カワラヒワ、これは、風のない穏やかな日の朝に何回か見ました。ズームカメラで撮影して、初めて雀ではなく、きれいな羽模様のカワラヒワという小鳥であることが、図鑑で確認してわかりました。今までも頻繁に来ていたのかもしれません。

鳶(トンビ)、これは、正確には、教会&幼稚園の庭のエリヤ内とは言えませんが、近くのひときわ高い電柱の天辺に、時々とまり、長時間、園児たちの遊ぶ園庭を見下ろしたりしています。夏場より、冬場には、毎日見られる野鳥です。

野鳩、これもほぼ毎日、一羽だけで桜の木の枝の上や、地面を歩いている姿を見かけます。だいぶ以前に、桜の木に巣を作り、嵐で、幼鳥が一羽落ちて来て、野鳥の会の人に電話して、巣に戻してもらったこともあります。今、時々見かける鳩は、とても小柄です。

ヒヨドリ、これも二羽で、ほぼ毎朝、その姿を見せます。いたずら坊主頭をした、ギャーギャー鳴く、にぎやかなやつです。しかし、何故かこいつらは落ち着きのない鳥で、まだ撮影に成功していません。そのうち、バッチリ撮りたいと思っています。

私たちの教会&幼稚園は、JR大糸線の豊科駅前にありますが、まあ、この駅前周辺は、静かと言えば、静かで、田舎と言えば田舎です。大きな木々は少なくなって来ましたが、庭木などが、結構たくさんある街並みです。しかし、もっと、もっと野鳥たちのためにも、自然環境のためにも、樹木を大切に育てる街並みになったらいいなー、と思っています。野鳥たちと、もっと深く共生出来る街並みになる時、聖書の言葉が、もっと深く私たちの心に沁み込んで来るような、そんな気がします。

2008年7月 6日 (日)

手塚治虫  「ブラックルックス」 の記憶

四十名少しの出席者の日曜礼拝とSSを終えて、日曜幼稚園の九名と小学科の二名に、妻からの京都土産…京の味三色生八ッ橋 鉄腕アトム…を、一つずつ分けて、みんなでいただきました。数から言って、残念ながら大人の分はありませんでした。

やわらかな舌ざわりで、「おいしいーねー!」と、みんなが喜んでくれました。鉄腕アトムを知っている世代は、今の幼児や子どもたち世代より、私の世代ぐらいの方が強烈ではないだろうか。今の人間型ロボット科学の最先端で、指導的立場で活躍している人々の多くもそうらしい。

みんなが帰った教会で、妻が外水道横の洗濯機で、二階に下宿している次男の洗濯物を洗い始めている間に、私はインターネットで、鉄腕アトムの「ブラックルックス」の巻を調べてみた。

私の記憶にあるのは、確か夏休みに、北側の風鈴の鳴る縁側で、その頃の子ども向け雑誌「少年」の別冊付録として付いていた、「ブラックルックスの巻」を、夢中で読み、普通の他の漫画とは違うな~との感動を覚えたのだった。嵐の日に、バラバラ死体(ロボットの壊された部品)の入った大きな荷物が届けられる場面から始まる物語だった。

ネットで調べてみると、私の記憶がほぼ正確だったことが判明した。この、やや長編の「ブラックルックス」の巻は、1957年「少年」(光文社)の九月号の付録として、鉄腕アトム第23話として、一気に発表された作品だった。1944年6月生まれの私が、13歳だったことになる。中学一年の夏である。その「少年」九月号は、一カ月早い八月発行だから、夏休みという私の記憶とも一致する。

「この世の中に…、たった一つ、心のやすらぐ場所があるとするならば…」と、言ったような、ナレーションで始まり、この同じナレーションで終わる物語だった。現在刊行されている手塚治虫漫画全集では、鉄腕アトム第四巻の中におさめられているようだ。

今、日赤で看護師をしている長女は、「ブラックジャック」が好きで、医療の道へ進んだとも言える。そして、そのうち救急医療のオペの現場で働く夢も持っている。今日も、京都土産の中から、ブラックジャックの図柄の入った缶を、「これが、いい!」と、言って持って行ってしまった。妻もやはり、手塚作品の「リボンの騎士」の絵のうまさに驚き、引きつけられた少女時代の記憶を持っているようだ。

やはり、同様に、多くの人々が手塚作品には、大きな影響を受けて来たに違いない。彼の作品には、日本人の持つ、独特な人情が描かれ、家族愛が描かれていることが多いように感じている。現代日本の人々が、そして家族が失いかけている、それである

古都 京都の土産に変化

Kurihana11 京都の実家で、八十八歳になりまだまだ元気な母の親孝行をして来た妻のお土産に、変化が現れている。今までは、古都、京都の歴史を偲ばせる、老舗の品々に、「ふ~ん、なるほどね~」と、言った味わい深いお土産品が多かった。

しかし、五人の我が子たち、そして三人の孫たちへの京都土産となると、最近人気の高いのが、あの漫画の巨匠、手塚治虫のキャラクターの入った物である。

私自身は、京都からの土産と言えば、老舗の味である、あの千枚漬けや紫色に染まった茄子の漬物。そして、「おたべ」とか「聖(ひじり)」に代表される生八ッ橋などである。

I_1natu_071 また色や形も日本の伝統の造形を奥ゆかしく持っている、多彩なお菓子類。しかも、そのお菓子の入っている入れ物自体の造形も素晴らしいものが多い。

我が子たち五人の子育ても、ほぼ終わりになった妻は、ここ一二年は、頻繁に京都の母の所へ行き、まあ、一週間程度の短い期間ではあるが、親子水入らずの時を持っているが、その都度、私への土産の定番は、「鰊(ニシン)棒煮)」である。

P1000260h 私が、児童養護施設「大阪水上隣保館」で、働いていたころから、京都へ行けば必ず食べていたのが、このニシン蕎麦である。蕎麦の入った丼の汁の上に、この味の濃いニシンが乗っているだけの、極めてシンプルなスタイルなのだが、たまらなく美味かった。

二回ほどお代わりをして、店の人に笑われたこともある。あー、よだれが出て来てしまった。今朝は、妻にこのニシン蕎麦を作ってもらってから、安曇野にある教会&幼稚園の礼拝へ出かけることにしよう。

ついつい、「鰊(ニシン)棒煮)」に熱が入ってしまったが、ここで言いたいのは、京都に手塚ワールドが出来てから、こうした京都の土産品に少し変化が出始めた、ということである。まあ、その入れ物とか、包装の変化であり、伝統の味そのままという物もあるし、若者や子どもたち用に、手塚ワールド商品が新しく参入しただけのことではある。

P1000261h 私も手塚作品は好きである。あの鉄腕アトムでは、「ブラックルックスの巻」を、少年の日の夏休みに読んだ、あの時の感動は、今も忘れない。「ブラックジャック」や「火の鳥」なども、やっぱり凄いの一言である。京都土産に、手塚ワールドのキャラクターが加わり、今後、どんな推移をたどるのか。う~む。

2008年7月 5日 (土)

この夏は 読書をしよう! 本を読め!

Hohnh この前、安曇野の西山にある、ほりで~湯からの帰り、本を読まなくなった中学生たちに、おせっかいを承知で、本屋の店主でもある親父たちが、「この本を読め!」と命令形で、500冊の本を提示しているとの話題を、車のNHKラジオで聞いた。これを呼びかける団塊世代の店主代表の親父が、インタビュアーに答える形で、語っていた。

団塊世代の親父たちの少年時代は、「本を読めば賢くなる。本を読め!」と、学校の先生や大人たちに言われて大きくなって来た。しかし、今の中学生たちは、読書をしなくなった。もちろん、中学生の年代に限らず、他の人々も同じなのだが、特に、中学生に的を絞って声を大きくすることで、全体の人々にも、読書への関心を持ってもらおうとの狙いらしかった。

私も、店主ではないが、そんな親父たちと、一緒に声をあげて応援したいと思う。幼稚園児たちを見ていると、絵本が大好きである。豊科シオン幼稚園でも、小さないながら、図書コーナーを持っている。そして、「いいかー、ここには宝物がある。本を開くと、素晴らしい感動の旅が始まるんだぞー」と、私はいつも話し、昼食後は、必ず絵本の時間にしている。

毎年二十名ほどの学生が実習に入る。また地元の十名ほどの中学生たちも、毎年三日ほどだが、職場体験実習で、私の幼稚園に来る。そんな時も、私は、「本を読め!」と、おせっかい親父になって、読書の素晴らしさを語って来た。

6a00c225270eaaf21900fae8c093dd000b5 そのラジオのおせっかい親父は、全国25大学の文芸30サークルに所属している学生たちが選えんだ「大学読書人大賞」にも触れて、アーサー・C・クラークの『幼年期の終わり』(光文社、池田真紀子訳)が、大賞に選ばれたと言っていた。

サウナと露天風呂で汗を流しての、帰りの車で聞いた時は、「幼年期」という言葉だけが記憶に残っていたので、今日インターネットで調べた。そして、正確には、「幼年期の終わり」という本であることが分かったのだ。今回、SFの古典的名作の新訳文庫ということで、昨年の秋ごろに出版された本らしい。私が「幼年期」という言葉からイメージした本の内容とは、少し違うSFものらしいが、さっそく伊那市のTUTAYA書店で受け取る方法で、インターネット注文した。書店受け取りだと、定価だけで買えるからだ。

私からも、このブログ上で言っておこう。「中学生たちよ、そして全ての学生たちよ、若き日に本を読め!。そして、定年退職して、インドの人生の区分けで言うところの「林住期」に入った団塊世代の人々も、本を読もう!」。「図書館にも、世界の宝が、いっぱい埋まっている!」。

医療の原点 カヤワヤ に感動

Bsh 昨夜のBS朝日, 素敵な宇宙船地球号 「天空の赤いポンチョ」~インカの秘薬が地球を救う~, を観た。

鮮やかな模様の入った、帽子と赤いボンチョと呼ぶ、真新しい衣装を身につけて、アンデス山脈のあちこちに点在する、貧しい家々を回るカヤワヤ(医者)と呼ばれる父親と、その父親の職業を継ぐかどうかまだ迷っているらしい、まだ少年の息子の姿が、山脈の険しい道を行く。

六日間で九十キロを歩き回り、右手に火傷を負った少女の家族から助けを求められる。しか、その日は、火傷の薬を持ち合わせていなかった。そこで、カヤワヤ親子は、近くの山林へ入り、ミミズをつかまえ、そして何かの木の根も掘り起し、それらを、熱湯処理して、何種類かの薬草などと調合し、液状の塗り薬を作っていた。

そして、その痛々しい少女の手の甲に丹念に、塗り、白い包帯を巻き、三日ほどして、もう一度訪れ、包帯を外すと、見事に大きな瘡蓋が取れて、ピンクの肌が再生され始めていた。最初に火傷の手を見せられた時、メモ用のノートを取り出し、カヤワヤは、火傷の時の様子を、少女や家族から、詳しく聞き取り、どのような火傷だったのかに耳を傾けていた。先進国の現代医学から見れば、「遅れてるなー、原始的だなー」と思われる治療かもしれないが、そのカヤワヤと呼ばれる医者の姿に、千年と言われる歴史の、大切な重みを、私は感じた。

手首も動くようになり、ニッコリ笑った少女の顔が印象的だった。そして、手首を動かすリハビリが大切だと、少女はカヤワヤ(医者)に言われるのだった。貧しい家からは金はとらない。まさに、アンデスの民にとっては、あの黒澤明監督の「赤ひげ」に見た医者そのものだった。

自然の大地には、このような薬草などが多数あり、草だけでなく、木や葉や、根っこなど、さらには、ミミズなどの生き物も、医薬品となるのだ。中国の漢方薬と同じである。このアンデスでも、千年と言われる、長い歴史の中で得た、貴重な経験から、自然薬が発見され、そして人々に、無料で生かされる。そして、ごく自然に人々の、怪我や病気の苦しみを救ってきたんだなーと、感動した。困っている人を助けるのは、人間として当然の事であり、損得を計算しての商売ではないのだ。このことは、現代の福祉政策の根幹となるべき精神の一つと思う。

現代の病院や医師も、そして製薬会社なども、こうした医療の原点を、その心を忘れてはならないと思う。「このような薬を生み出す大地が、地球温暖化などで死滅するとき、人類も死滅する時なのだと」語るカヤワヤの言葉は重い。こうした薬や、食べ物を生み出す大地に、感謝し、大切にして、祈る信仰は、極めて自然であり、とても尊いものに感じた。

今朝、インターネットで、この番組紹介を見ると「インカ時代、このあたりは「医者の国」と呼ばれ、19世紀末のパナマ運河建設の際には、マラリアに苦しむ労働者の多くの命を救いました。」との解説があった。

そして、今回テレビで見たのは、チャラサニの町で一番と評判の高い、カヤワヤのアウレリオ・オルティスという名前の方であることも分かった。旅をしながらの医療活動で、夜になると、貧しい民家で、そこの家族と同じ夕食のトウモロコシなどを受け取り食べ、そして粗末な部屋の隅で眠る。そんな一夜の宿をとる姿を見ていて、私は、いいなー、と思って、感動した。聖書に出てくる、イエスキリストの伝道旅行の姿と重なったのだ。

立派になり、近代化した病院も医師も、立派な教会堂の神父や牧師も、この私も、いつの世になっても、このような原点を、その心を、決して忘れてはならないのだと強く感じた。やー、三十分番組でしたが、よい番組でした。民放もなかなかやるなー。

2008年7月 4日 (金)

汗だくの一日でした 今夜もビールだ!

07072 いやー、今日は慌しい一日でした。本当は三人の実習生が最後の日だったし、曇りか雨ならば、屋根つきの広い舞台もある近くの神社辺りへ、のんびり散歩にでも出ようかと思っていたが、暑い快晴となった。

昨夜の安曇野地方、ミニ菜園の大きく成長した太いトウモロコシが、茎ごと大きく傾くような激しい雨があった。だから庭の地面もやわらかい。雑草が目立ち、園庭周囲の手入れをしてなかった緑が不揃いなのも気になった。こんな日の午前中は、草取りには最適で、幼子たちにとって、草の根っこの学習にもなる。

そこで、今日の保育は、昨日の予定とはガラッと変更。朝から、登園して来た順に庭へ出てもらい、みんなで雑草取りなどに汗を流した。園児たちは小さなバケツを持ち、男子実習生一人には、草取り農具を持たせ、他の実習生二人には、小さな草取り具を持たせ、本格的におこなった。

07230 もちろん私も、大きな草取り農具と、大きな枝切りバサミも持ち、一番多く汗を流した。朝の八時半過ぎから、十時少し過ぎまで、九名の幼子たちも、実習生三名も、実によくやってくれた。だいたいきれいになったところで、十時のおやつ。

飲み物とポテトチップスを買って来て、みんなで、コップに、ジュースやコーラを入れて、乾杯!。そして自由遊びと、庭での平均台を使った保育の合い間に、私は事務室の窓から、実習生と園庭の園児たちの様子をチラチラ見ながら、実習生たちが毎日書いて、提出した「実習の記録」ノートに目を通し、あちこちに印を押し、助言から始まり、各項目評価、総合個人評価の全てを書き込み、時計を見ると十二時少し前。いかん、いかん。

そこで私も外へ出て、一時間ほど前に、赤い蟹さん形の小プールに水を入れておいたので、そこに順番に入ってもらい、パンツ一枚になった幼子たちに、雷雨のようなシャワーを浴びせた。そして着替えて昼食。私は弁当がないので、ヨーグルトとトマトで我慢。「みんな、お弁当を作ってくれるママがいていいな~。俺のママ、とっくに死んじゃったもんなー…」と、私。

「ふーん、ボクシせんせいのママ死んじゃったの…」と、みんなが同情してくれた。京都へ行ってるのは、妻であって、私のママではないから、私の言っている事にうそはないのだ。

そして、日曜礼拝の椅子を、みんなで並べてから、実習生たちとのお別れ会、そしてこの日五歳の誕生日を迎えたTくんの誕生会も…。実習生たちへの口頭での諸指導も終えて、あー、忙しい一日だったなー。さらに教会関連の職務二件もやり終えて、ようやく暑かった一日の職務終了。「む、む」、腰にやや違和感があり、少し痛むぞ。

伊那高原の自宅への帰りに、スーパーで、早い日でも、帰りが夜の八時を回る、美容師をしている次女、そして午後六時前には帰ってくる伊那市の保育所勤務の三女の夕食にと、牛肉の大きなパック二つと、トマトなどを買い、先程、ようやく帰宅した。するとどうだ、家の中は閉め切ったままなので暑いこと。家の窓や戸を全て開け放ち、やれ、やれ、と一息。

P1000256h ふっと、私のパソコンの上に、目をやると何かのメモ、「ドキッ」。ついに、妻にあいそうつかされて、妻は京都から、もう帰ってはこないのか…。次女の字だった。やれ、やれ。まあ、日曜日の礼拝出席の大切さは、感じているようだから、「よし」としよう。

昨夜は次男と二人の夕食だったが、どうやら今夜は一人かー。まあ、今夜は飲みすぎに注意して、ビールも冷えてるし、テレビの野球でも見ながら、のんびりやろう。しかし、このメモの「スーパーカップ」って何だ?、あのおちょっこちょいめ。このメモ書きながら、ダイエットコーラ飲んでたな、底に三分の一ほど残ってる飲みかけのコップを俺の机の上に置きっぱなしにしとくなよなー。このブログ、三女の友だちも時々のぞいてるらしいから、公開しちゃおー。携帯からも見られるもんなー。

P1000257h (追記)そうかー、冷凍庫を今のぞいたら、「スーパーカップ」がありました。アイスのことでした。すまん、すまん。私はついつい、日本酒あたりかと思っちゃったんだなー。まあ、一度公開したブログだから、このままにさせてもらうよ。

雨の水たまり  恵みの泉

P1000248h昨夜は、サウナ風呂で汗を流し過ぎて、ビールも飲みすぎで、十時前には眠りに落ちていた。そして、今朝は六時近くまでグッスリ眠ってしまった。目が覚めると、もう窓の外には朝の光が溢れていた。どやら今日は快晴になりそうである。まず会堂に敷いた布団をたたみ、パジャマから着替えて、窓々のブラインドを上げ、最後に園児たちが出入りする玄関の戸をいっぱいに開けた。

その時、最近よくみかけるお腹が明らかに大きな、妊娠中とみられる、やや小柄な黒猫が目に入った。私はいそいで事務室に入り、南側のブラインドを、注意しながら上げ、窓を静かに開けた。まだ窓の下にある、外水道の近くにいた。

そして冷蔵庫近くにあった、やや大きな丸いパン一つが目に入った。それを、出来るだけ自然に、黒猫の近くへ落した。一瞬身構えたが、そのパンに目をやるものの近づいてこない。そこで今度は、出汁用のジャコを一つかみ、なげた。今度は驚いて二メートルほど飛びのいた。やっぱりだめだ。

P1000251ah そうかー、駅前のこの辺りには、水を飲める川が全くない。のどが渇いているのかもしれない。えーと、牛乳はなかったな。買っとけばよかったなー。などと考えながら、とりあえず赤のボウルに水を入れ、教会の玄関から出て、黒猫の見える位置に置こうとした。

その時、目に入ったのは、ジャコを近くの雑草の茂みに咥えて運び、食べている姿だった。そして、私は無駄なことをしている自分に気づいた。子どもたちが掘った園庭の中央部に一つ、そして、広い駐車場のあちこちに、大小様々な水たまりがあるではないか…。

二回目に、やや多量に投げたジャコの音で、猫は逃げてしまった。そして、のぞくと、最初に落としたパンも消えていた。そうかー、あれは次男の今朝の朝食用らしかったが、野良猫の朝食になってしまったな。まあ、いいかー。

そこでようやく、私はパソコン横に置いているカメラに気づいた。しかし、猫の姿はどこにもなかった。窓から目に入るのは、声も動きも慌ただしい、元気なヒヨドリの夫婦だった。ふっと目を桜の樹の梢に移した時、二三羽の小鳥が、梢を揺らして、とまった。遠目でハッキリしないが、雀ではなさそうだ。

P1000254h カメラでズームすると、この前に庭で撮影した、何とかヒワというやつだった。ここ二日ほど姿を見なかったが、やっぱり朝の散歩コースに、なってるんだなー。さーて、顔を洗って、今日のスタートである。そう言えば、昨夜の何時ぐらいだったか知らないが、激しい雨音を聞いて、少しウトウトした時間があったなー。野良猫や小鳥たちには、水飲み場を作る、恵みの雨だったんだな~。今朝は、花壇やミニ菜園への放水もしなくていいなー。

こんなことをパソコンで打ち込んでいたら、砂場の向こうに、先ほどの黒猫の姿が見えた。お産はいつだろうか。この教会&幼稚園は、新築してしまったから、前の旧建物のように、天井裏はないしなー…。

2008年7月 3日 (木)

もうすぐ 水泳教室 そして夏休み

P1000233h 今朝、この春に植樹した木々や花壇、それにミニ菜園に放水しておいたのは正解でした。風は強いままでしたが、雨は降らず、青空が広がり、気温が上がり暑い一日となっています。

自由遊びの後、みんなで犀川へ野外教室に出ました。犀川の水量は多く、ゆったりと流れていました。白鷺や鳶が、強い南風に負けることなく、その流れの上空を羽ばたいて飛行していました。

P1000234h 園児たちにとって、こうした強風の日の体験は貴重です。みんなで、風下に走り、今度は風に逆らって走ってみました。みんな、風に飛ばされそうになりながらも、キャー、キャーと声をあげて、風になって、ふらふらと走っていました。

広い中州では、鬼ごっこをしたり、かくれんぼをして遊びました。木々に囲まれた青草の上で休息をとり、みんなで仰向けに寝転んで、青空や、そこに浮かぶ白い雲をながめ、その場所で、ビスケットのおやつをいただきました。

P1000246h 園に帰った時には、もう十二時半を回っていました。私は弁当がないので、ラーメンを作りましたが、「いいな~」という何人かの子どもたちに、半分以上とられてしまいました。まいった、まいった。こうした野外活動の後は、子どもたちも汁物がほしいようです。しかし、今日はラーメンが一個しかなかったのです。

室内に入っても、日中の暑さは、やはり七月です。豊科プールのオープンは十二日の土曜日からです。もうすぐ、晴天の日には、いよいよ水泳教室になります。そして、三週間もすると、もう夏休みだもんなー。まいった、と言うか、幾つになっても、この「夏休み」という言葉を言ったり、聞いたりすると、やっぱり、胸がワクワクしちゃうなー。

風が強い  今朝の安曇野

P1000220h 昨日の午後六時前、安曇野にある「ほりで~湯」へ行き、サウナと露天風呂で汗を流した。その帰り、大型スーパーベイシヤに寄り、夕食の素材を少し買い、教会&幼稚園へ戻ると、二階の部屋に明かりが灯っていた。

次男は、菊の湯へ行ってから、夕食にするというので、七時を回っていたので、私は先に食べさせてもらうことにした。

ここのところの原油の値上がりは大変なものらしく、その影響は大きい。この前、東京で八十年を越す歴史を持つ銭湯が、ついに廃業することになったとのTVニュースを観たが、全国の銭湯が、相次いで廃業に追い込まれているらしい。

P1000223h ここ安曇野の豊科にたった一軒の「菊の湯」さんも、今まで月曜が休みだったのに、次男の話によると金曜日も休みになったらしい。原因は灯油の値上がりである。やっぱりなー、と思う。

私はこの歳まで、家でアルコールを飲むなんてことは、まったくなかった。このことは、妻も子どもたちも知っていることだが、最後の犬のリーが、死んでから、夕食には缶ビールを一本程度飲むようになった。今年の六月からである。

まあ、少しの時間、ふわ~っとした気分になるだけのことだが、痛風が、三月に発症したこともあり、麒麟の淡麗アルファの500mm缶ビールで、プリン体99パーセントカット、糖質60パーセントカットのやつである。

P1000231h 次男の入浴は、カラスの行水という、あれで、自転車で行っていた銭湯から、あっという間に帰って来た。「オッ、今日はすげーいい刺身だ。これ全部いいの?」と、目を丸くして、炊飯器の蓋を開け、「アーッ」と言って、炊飯器の中へ顔を突っ込むようにして、「これだめだー!」と言った。

聞いてみると二日前に炊いたご飯らしい。「これ、お父さん食べたの!、ヤバクない?」。「あー、一杯だけど、ほら、食べちゃったよ。どーってことないよ。もっとグチャグチャしたやつだって平気だよ」と私。

次男は、パック入りの、買ってあったご飯を出して、レンジでチンしていた。「炊飯器で炊いたご飯の方が、うまいけど、今日はしかたない…」。「お前、レタスとトマトも買ってあるだろう、それも食え」。「あー、分かった」。「ところで、シスアドの受付聞いてきたか?」。「うん、七月十四日から受付で、十月に試験らしい。それで、ここの大学の場合、午前の部は免除されるかもしれないって」。

「しかし、お前まだシスアドの授業一度も受けてないんだろー」。「うん、そうだね」。「午前の部は基本知識のテストで、午後は、トラブルがあった場合の対処方法を具体的に解答する問題形式だから、いずれにしても、自分でやってるよ」。「受かりそうか」。「あー、書いてあることは、ほぼわかるよ」。「毎日やってるか」。「うん、電車の行き帰りにも、目を通してるよ」。「分からんとこあったら、学校で、先生つかまえて聞けよ!、高い授業料払わされてんだからな」。「うん、そうするよ」。そして、私は礼拝堂で、十時前には、眠りに入っていた。

今朝は五時前に目が覚めた。外は風が強く、どうやら天気は下り坂に入った曇り空である。今朝も小鳥たちがせわしなく、早朝の庭を走り回っていた。その前に桜の木に来ていた野鳩の方は、のんびりと見えた。さて、今日の幼稚園の方は、何をして遊ぼうかなー。

2008年7月 2日 (水)

いつでも夢を

Prog_080702_itudemo1 庭に天日干しのために並べていた、キャンピング道具一式を片付けて、一汗かいた顔を洗って居間に入り、NHKBSで偶然に、吉永小百合主演の、日活映画「いつでも夢を」(1963年日活)を、途中からだったが、引き込まれて、とうとう終わりまで観てしまった。東京の下町に働きながら学ぶ、若者たちの青春像を描いた作品だった。

自分の青春時代と重なる映画であり、あの頃から日本は、高度経済成長に向かう、そんな時代だった気がする。それぞれの家族が、様々な問題を抱え、ぶつかり合い、泣き、笑い、家族一人ひとりの心の思いを、大人も子どもも共有出来た良き時代だった気がする。

いやー、こうして観る当時の日活の青春路線映画は、「キューポラのある街」もよかったが、今回初めて観た「いつでも夢を」にも、感動してしまった。この映画の主題歌「いつでも夢を」だったかなー、いや、吉永小百合の「北風ふきぬく、寒い朝も…」の歌が流行っていたのは、確か、私が高校三年で、卒業を間近にしていた頃だったなー。

どうも、戦後日本というか、ここ何十年かの日本は、確かに物は豊かになり、便利な世の中になったとは思う。しかし、この映画全体にあふれていた、あの頃の家族愛とか、友情とかいった、とても大切なものが、いつしか消えてしまったような…、そして何よりも若者たちが「夢」を失った世の中になってしまったような気がするなー。まあ、確かに、昔を懐かしむ、歳になったんだろーと言われれば、それもそうなんだけどなー。

ふっと、このようなこと、私は感じてしまった。いやー、なかなか良い映画が、あの当時、日活で作られていたんだなー。そして、時代は進み、全国にあった映画館は廃れ、日活はポルノ路線に走り、結局は破滅してしまった。こうして振り返ると、俺の青春時代は、けっこうよかったよなー。

さて、私はこれから、安曇野にある教会&幼稚園に向かいます。明日は、明日の日本を、そして世界を担う幼子たちが、そして、幼児教育を担おうと志している実習生三名が、この私を待っているのだ。たぶん。そして、教会の二階に下宿している大学一年の次男が、そろそろ「金がねー」とか言って、待ってるな、きっと。

変わらないもの 凄い存在

P1000217h 今朝、玄関先へ出て、ポストから新聞を取り出す時に、プランターのパンジーに目がいった。「そうかー、まだ頑張って花を咲かせていたんだなー」。そうつぶやいて私は朝刊を読む前に、カメラを持ち出して、「カシャ」。

今の初夏の季節は、どこを向いても緑が茂り、様々な色の草花が周囲にはある。しかし、伊那高原や安曇野の冬は厳しく、周囲の自然は冬になると、一気に色を失う。そして、歌壇でも、枯れた草花の姿しか見られなくなる。

そんな時に登場するのが、このパンジーである。どんな厳しい冬にも耐えて、雪の下で凍るようなことがあっても、春の訪れとともに見事に復活して、安曇野にある歌壇や、伊那高原の我が家の玄関先を飾ってくれる。

P1000209h あの赤毛のアンにも登場するこのパンジーに、私が心引かれるようになったのは、この耐寒性である。このパンジーの持つ強さは、良く分からないが、パンジーの根っこの部分に持つ再生能力の凄さだろうと思う。たぶん。人間で言えば、「根性」とか「気力」だろうか。たぶん。しかし、パンジーたちには、そうした気負いはないとは思うが。たぶん。

そして、このパンジーは、野外が好きだということである。「もうだめかなー」と、玄関前の哀れな姿になったパンジーを眺め、「それでも…」と、雨風に当たる庭へ移して放っておくと、いつの間にか、同じ、やや大きめのプランターの中で、「まだ、まだ…」と、見事に花を咲かせるのだ。パンジーは偉い!。

Manas1261 さて、ベランダで新聞を読んでいると、近くの電線の上に来て、羽の手入れをしている、一羽の燕の姿が目に入った。この私も、気力を出して、まず顔を洗って、パジャマを脱いで、根性を発揮して、今日は、この夏に使うキャンピング道具を、もう一度点検して、この前、夕方の雨に濡れたテントなどを、もう一度天日に干したいと思った。

この夏に、長男家族も、長女家族も、我がファミリーみんなが琵琶湖畔に集結するからだ。その先発隊として、私は七月下旬に、豊科シオン幼稚園が夏休みに入り、日曜日の礼拝を終えたら直ぐに、出発である。もう、七月だもんなー。

P1000218h マナスルの灯油使用のストーブ兼コンロは、もう三十数年も前に、そう、私が、児童福祉施設の大阪水上隣保館で、そこの子どもたちと生活していた時だった、琵琶湖畔でキャンプする時に、確か、大阪にあったスポーツ専門店で購入したものだ。しかし、今も、当時のままの性能で使える。灯油をガス化してしまう、こいつも凄いやつである。

今、「マナスル、メーカー、登山用品」の三語を検索に入れて、調べたら、何と私の持っている、昔のそのままの写真があった。やっぱり一流品は、何十年たっても、変わらないんだなー。もう一つ、ミズノの水筒も、同じ時に購入したもので、ケースを外せば、マナスルのコンロに、乗せて、湯を沸かせるヤカンにもなる優れものなのだ。

後は、衰えを隠せない、我が身を、この夏に向かって、少し鍛えておく必要がありそうである。まあ、軽く汗を流す程度に、有酸素運動と呼ばれる、早足の散歩をすることだなー。しかし、犬がいなくなって、どうも、さぼる日が多くなっているもんなー。

そんな今日の私は、夕方から安曇野にある教会&幼稚園へ、二泊三日の職務に向かう。今日は夏日の晴天になりそうである。しかし、考えてみれば、もう何十億年も変わらずに、太陽は輝き、地球も回転してるんだなー…。やっぱり一番凄いのは、この天地を創造され、今もなお変わらずに、管理されている方なんだなー。まいった、まいった。

2008年7月 1日 (火)

運転免許証の更新 & カメラと散歩

P1000181aa_2 自動車運転免許証の更新で、午前九時過ぎに伊那警察署へ出かけた。塩尻市にある運転免許センターへ出向けば、写真は必要ないのだが、遠いので、地元の伊那市でおこなうことにした。バンダナは何処だ?、靴下はどこだ?、ブレザーは何処だ?、妻はどこだ?。そうかー、妻は今週いっぱい京都でした。

P1000183h そこで、保育所へ出勤前の三女に、壁を背景に、免許用の写真を撮ってもらった。ファインダーをのぞいた三女が、「お父さん右肩が下がりすぎているよ」と、言った。「あー、そうだった。高校時代に、西天竜を上流に向かって、一時間とか二時間クロールで泳いだ時に姿勢が変化してしまったのだ。毎年、夏場の一ヶ月間だけだったが、体が変形したのだ。

P1000186h まあ、それだけのトレーニングをしたから、高三の夏休みに諏訪湖六キロの横断遠泳も軽く出来たし、二十七歳の夏には、大阪水上隣保館の子どもたちや朝日と読売のTVカメラマンたちが乗った小型漁船と共に、琵琶湖西岸の安曇川から米原までの、直線距離で二十キロほどを、私は泳いで渡ることが出来た。そして、四十八歳の夏には、イスラエルのガリラヤ湖遠泳にも成功した。今でも夏には、ほぼ毎日二キロは泳ぐ。

P1000207h まあ、私の体に刻まれた、水泳の勲章なのだが、自分では真直ぐ姿勢を正しているつもりなのだが、十センチ近く右肩が下がってしまう。

今朝は、その右肩を意識してグイと上げて、何とか撮影完了。それをパソコンに取り込み、サイズを調整して、プリンターにかけた。三回目にようやく、サイズが一致。しかし、縦3.0cm、横2.4cmの枠内に、上三分身の顔写真をプリントするのは難しかった。最終調整は、ハサミで切って何とかOK。

P1000208h その写真一枚と、更新連絡書のハガキ、そして免許証を持って、警察署の窓口へ出した。警察と聞くと、ちょっと身を引いてしまう感じを持つが、伊那警察署の担当の女性も、視力検査のおばちゃんも、とても感じが良かった。

P1000193h 交通安全協会々費は辞退したので、更新手数料2,100円と、講習手数料1,050円の合計3,150円を支払い、手続き終了。後は、新しい免許証を受け取る日に、もう一度足を運び、その日に11時から一時間の講習を受けなければならない。

P1000196h 豊科の高速道の入り口で、後ろの座席に孫を二人乗せていて、その座席の上で、二人がジャンプしているところを、白バイの警察官に見つかってしまい、マイナス一点の切符をきられていたので、今回は、ハガキに、「隼優良運転者講習(一時間)」と記載されていた。まいった、まいった。

P1000195h その帰り、伊那中央病院の広い駐車場に車を置き、南側の田園地帯を、首からカメラを下げて、散歩した。三十分ほどの、軽く汗の出る健康散歩である。病院南側の木々のところで、ハクセキレイの小鳥らしいのを数羽見たが、素早く移動を繰り返して、ツバメ同様に、撮影は不可能だった。しかし、犬がいなくなって、何となく虚しい散歩だが、ファインダーから覗く、伊那高原の自然が、そんな私を慰めてくれる。

P1000187h 次の免許証更新の年は、五年後の2013年だろうか…。その年に、私はどんな人生を刻んだ顔をしているのだろうか…。まあ、古代インドの思想家が区分けしたという、学生期〔がくしょうき〕、家住期〔かじゅうき〕林住期〔りんじゅうき〕遊行期〔ゆぎょうき〕の「林住期」の終盤に差し掛かる年代に突入しているんだろうなー。

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