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2008年7月13日 (日)

野の花を 「注意して」 見なさい

P1000305ah 今朝の日曜礼拝&日曜幼稚園で私が語ったのは、先週に引き続いて、「野の花がどのように育つのか、注意して見なさい」の聖書の箇所だった。

注意して」をどのように分かりやすく深めて語るかのヒントを、今朝の「心の時代」で、聞いたカンパーランド長老教会牧師夫妻の「共に生きる」の言葉から受けていた私は、だいたい以下のように語った。

P1000303h_3 小学一年生の夏休みの宿題の「朝顔の観察日記」で、子どもたちが注意深く観察するのと、同じことを、今日の聖書の箇所は私たちに求めています。

家族が、喜びも悲しみも共にして生きているように、私は、安曇野で出会った四頭の大型犬たちとも、「共に生きる」ことを心がけて、共に生きて来ました。犬たちや幼稚園の幼子たちと一緒に行けないような場所や、拒否されるような処へは、私も行かなかった。そうした場所は、私にとっても行く必要のない所と考えた。

私より十二歳年上の、一番上の兄は、伊那高原で農業を父から受け継ぎ、農業高校を卒業すると、新たに梨やリンゴ園、そして畑をたくさん借りて、「酪農」も始めた。

P1000308ah その長兄は、友だちたちと一緒に、さらに信州大学の農学部あたりへ進学したかったかもしれない。それだけの学力もあった。しかし、経済的なゆとりは、我が家にはなかった。そして、長兄は頑張った。その長兄にとっての牛たちは、正に、「共に生きる」いのちたちだったに違いない。朝早くから夜遅くまで、牛たちと共に生きた。

その牛たちのおかげで、四人兄弟の末っ子だった私だけが、大学にまで進学させてもらえたと思っている。家族も、そして家で飼われた犬や猫も、牛やヤギや鶏なども、さらには、畑の農作物も、家の周りの草花たちも、正に、私たち家族六人の運命共同体の「共に生きる」いのちの仲間たちだったのだと、今になって振り返るとき、大きな感謝の心が湧きあがる。

P1000310ah長兄は歳を重ね、体に限界を感じたり、他の様々な事情で、酪農を止めることを決断する時が来た。そして、その最後の牛たちと別れる時。それは、きっと、私が犬たちと死別した時以上に、胸に迫ってくるものがあったに違いないと、この歳の今になって、私は強く感じる。

P1000314h 今日の聖書の箇所の「注意して」とは、この「共に生きる心と目を持って」、しっかりと野の花を見なさいと、イエスキリストは語っているのだと思う。商売だから、金を稼いで、良いものを着ようとか、そうした思いを、遥かにこえて、その最も背後にある、神様の愛に気づく心の宝を、私たちは、周囲のいのちに目を向ける中で、発見できる者でありたい。

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