「死に金」に賭けた男
今回の琵琶湖への旅の帰りに、私は止揚学園を訪ねた。そこで福井達雨先生とお会いした時に聞いた話の中で、特に心に残ったのは、まだ、福井先生が二十代の若者の時に、ある著名な実業家に面会を求めて十分間の約束で会ってもらえることになり、その時に、障害児たちの置かれている現状などについて熱い思いを語ったという。しかし、その返答は「死に金は使いたくない」だったそうである。
この話に、私は、「う~む」と、なって言葉が出なかった。それは、その当時、日本で一番の金持ちだったかもしれない、その実業家への批判的感情としての「う~む」というより、この私自身への「う~む」でもあった。
この私は、今までどのくらい「死に金」を使って、すなわち無駄金を使ってきただろうか。そして、「生き金」を、どのくらい気持ちよく使って来ただろうかという、自分への問いに、息が詰まるような感じでの、「う~む」となったのだった。まあ、どっちにしても私はお金持ちではないけど、自分なりに…。
だが、その若者の信じていた聖書の神さまは、彼同様に、困っている人、悲しんでいる人、助けを必要としている人、この世では何の役にもたたないと思われている人々のために、労力や金を使うことを、「死に金」とは考えておられなかった。
やがて、その若者と同様に考える多くの人々も与えられ、支えられて、その若者の願いは、聞き入れられ、「止揚学園」は創立された。今振り返ると、その時の若者を支えたのは、ほとんどが、貧しく小さな人々であり、地方の小さな教会の人々であったという。また、仏教関係者の支援も多かったと、現在七十六歳になる福井先生は振り返っておられた。
見学を終えて、止揚学園を後にする時、私の脳裏に浮かんだのは、あのキング牧師の説教集にあった、「助けを必要とする他者のために、何かをすること。これ以上に偉大なことは、この世には存在しない」の言葉だった。
福井達雨(ふくいたつう)1932年、滋賀県近江八幡市に生まれる。1956年、同志社大学を卒業。 学生時代より、障害児の教育と差別問題に取り組む。教育心理学を専攻。1962年、多くの人の協力により、知能に重い障害をもつ子どもの施設、止揚学園を設立する。止揚学園は共同体制を持つ施設であり、障害児者差別に対する抵抗運動、教育権運動を起こすなど、真摯な活動を続けている。その間、アジアの国々、西欧諸国および日本国内の講演に東奔西走。中日新聞社会福祉賞、京都新聞社会福祉賞、小原教育賞、毎日社会福祉顕彰など数々の栄誉をうけている。また、2つの大学で、障害児教育の講座をもち、教育者の養成にあたるとともに、NHKテレビ、民放テレビに多数出演している。著書に、「僕アホやない人間だ」「小さなことに大きな愛を」「一人は力です」など多数がある。( ゆっくりあるこうなあ 止揚学園のページより転載)。
| 固定リンク
「幼稚園」カテゴリの記事
- 本格的な ロッキーとの散歩スタート(2008.12.03)
- 雑草はえらい!。(2008.12.03)
- 司馬遼太郎は合理主義者?(2008.12.02)
- コラ! 育ての親を忘れるなよ!(2008.12.01)
- 妻がバソコンにチャレンジ(2008.11.30)
トラックバック
この記事のトラックバックURL:
http://app.f.cocolog-nifty.com/t/trackback/391206/23505951
この記事へのトラックバック一覧です: 「死に金」に賭けた男:

コメント