同時代青春同伴者たち
昨夕六時からの中学同級生による新年会には、九名の出席があった。向山、白鳥、久保田、伊藤(H)、倉田、善四郎、俺の男性七名、そしてあいさん、ゆきさんの女性二名だった。ほぼ定刻に始まり、人生の同時代青春同伴者たちとでも呼ぶべき仲間たちとの飲み会の三時間半は、あっというまに過ぎ去った。出席出来なかった級友からは、携帯での連絡もあったようで、みんな遠目で携帯の画面を見たり、操作している様がおもしろかった。大槻にも会いたかったが、体調が、どうやらよくないらしい。
この席で、久保田が、「ハイ!、お年玉」などと言いながら、昨年秋の同級会の時の写真を何枚かずつ封筒に入れて、各人に渡してくれた。飲み会でのスナップ。一夜明けて、帰りがけにみんなで寄った、ピンクの花が伊那高原一面に咲く蕎麦畑前での集合写真などだった。
この三年九組のクラス会の自慢は、まあ、私が自慢に思うだけのことかもしれないが、転校したクラスメイト二名も含めて五十名の、ほぼ全員の連絡先などが把握されていることである。三年になる時に転校していった戸田とは、まだ卒業して以来再会を果たしていないが、どうやら岡谷に住んでいることが、この夜分かった。
戦時中に生まれ、そしてみんな携帯電話なんか、予想もしなかった時代に青春を過ごした仲間達である。まあ、これも私が思うだけのことかもしれないが、自分の中にインプットされてきた年齢基準判定の物差しで、今の六十四という年齢を見ると、確かにジジババの年代となり、事実、この日のゆきさんには、もう七人もの孫がいたりする。
しかし、不思議である。同級会においては、また違った物差しでないと説明のつかない、時空間が、そこには確かにある。まあ、これが同時代青春共有者たちなのだろうなー。しかし、歳を重ねることは、決してわるくはない。
淡い恋心を抱いていた二年の夏休み前に転校してしまったEからも、また憧れを抱いていた奈良のKからも年賀状をもらい、「ごめんね」とあやまらなければならないSにも、今は年賀状などで、その心を伝えたりも出来るのだ。高校からは、入試による選別が行われ、運命的自然な流れが、一旦途絶えてしまった気がする。だからだろうか、小学校からの流れも持つ、この中学の同級会は、私にとって一番自然な、ありのままの心で出席出来る時空間となっている。
しかし、まてよ、なんでこの俺は、「同時代青春同伴者」だとか、「運命的自然な流れ」、「時空間」などの、奇妙な言葉を使ったのかなー。これはやっぱり、同級会において、心の中に一種のタイムマシン的現象を感じているからなんだろうな~。不思議である。今回の新年会は地元にいるメンバーだったが、今年の秋には遠方に住むみんなともぜひ会いたい。
さて、今、ロッキーを外へオシッコに出したら、庭一面にうっすらと雪が積もっている。昨夜は雪が舞ったようである。しかし、うっすらと明けて来た仙丈ケ岳の東の上空を今、飛行機が南西に向かってクッキリとした赤い線を引いていた。まだ陽は昇っていないが、雲はなく、今日も快晴になりそうな伊那高原である。みんな、それぞれに、第二の人生を、まだまだ頑張ろうなー!。
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