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カテゴリー「書籍・雑誌」の16件の投稿

2020年11月19日 (木)

家族みんなで厳しい冬に備える時

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アメリカ、バーモント州の冬は長くきびしく、氷点下45度になる日もあり、こごえて手も足もなんにも感じなくなるほどです。そんな北国の、丘の上の農場に住む一家の暮らし―家族や隣どうしが助け合いながら、楽しく生活しています。子どもたちは、将来こんな厳しい生活をなつかしく思い出すかなーなどという。

そんな中でも、毎日曜日は、一家で必ず7マイル離れた教会へ出かけ、聖書の言葉に聞き、神への礼拝を捧げる。BL出版の絵本だが、この出版社の出す絵本はどれも素晴らしく、自分で手元に置いておきたい本ばかりだ。この絵本は安曇野図書館から借りて来て、日曜の教会学校で読み聞かせた。

印象に残った言葉がある。大木を切り倒し、伐根して畑を増やすのは大変な開拓作業である。そんな中、「木はみんなを三回温めてくれる」の言葉があった。さて、この三回とはどのような三回でしょうか。答えは木を切り倒すときに暑くて汗を流す時、そして次は薪割りをする時、そして最後はストーブで燃やし、家族みんなで暖を取る時の三回なんですね。 

家族がみんなで、冬に備えて、漬物を大きな樽に漬け込んだ、まだ五人の子が幼かった頃のことを、この絵本を読みながら、76歳になるぼくは懐かしく想い起しました。

 

 

 

 

2020年10月19日 (月)

藤沢周平作品にはいつも感動する

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安曇野図書館で目にしたDVD「たそがれ清兵衛」を借りて来て、一気に引き込まれた観た。この題名の本では過去に読んでいたが、数多く読んでいるので、新しく観るのと同じで、最後の、決闘を終えて家に帰った時の場面には涙が滲んでしまった。

「蝉しぐれ」もそうだが、小説と読むのもいいが、やはり映像として観る作品は、記憶にも残るし、いい。

 

藤沢周平について書いた一人娘の作品も、この前図書館から借りて来て読んだが、これもいい。少し考えて電子書籍で購入した。

 

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2020年9月 1日 (火)

全身が動かなくなる

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安曇野図書館の大活字本コーナーで、黒岩重吾の「我が炎 死なず」上下巻を借りて来て、一気に読んだ。時代的には一昔前の作家になるだろうか。

五木寛之さんも中国や朝鮮半島から、大変な思いをして日本へ引き上げたが、この黒岩重吾(1924年2月25日~ 2003年3月7日)もそうだ。またこの二人は同じ直木賞を受賞した作家でもある。 五木さんの作品は数多く読んでいるが、この黒岩さんの作品は、今回が初めてである。

彼のお母さんは牧師の娘であり、黒岩重吾自身も小学生の頃には教会学校に出席していたようである。

その彼が二十代の若さで全身まひの重病となる。その約三年間の入院生活が記された、絶望的苦難の記録である。彼は「苦難こそ、人生の意味」だと後に述べている。

健康なわたしたちが普段あたりまえだと思っている事の一つ一つが、実は当たり前な事ではない、奇跡ともいえる幸せな事だと気づかせてくれる書である。全ての人々に一読をお薦めしたい。

 

 

 

 

 

 

2020年7月15日 (水)

ENEOSグループの「童話の花束」知ってますか

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この前、ぼくはENEOSカードで、ENEOSであれば、どこのガソリンスタンドでもいれられるので、穂高のスタンドへ寄った。雨が降っていたので、事務所にはいって目についたのが、よく見慣れたオオカミさん絵本のオオカミの表紙の本だった。題名を見たら「童話の花束」とあった。開くとオールカラーの絵のある、何篇もの絵本集だった。

出版社はどこかと裏を見ると、ENEOSグループが、全国から「童話」を募集して、その入選作を表彰し、その入選作品を絵本にしたものだった。いやー、ぼくの車の燃料はENEOSにしておいてよかったなー。儲けだけでなく、大会社は社会貢献を積極的にするべきだ。この絵本をぼくは無料で一冊頂いて来た。

その中の一篇をこの前の日曜礼拝で紹介した。子どもたちが駄菓子屋さんの店でラムネ味のアイスを買う。そのアイスの棒に、「当たり」と印があると、もう一本もらえるのだ。ある少年が、年老いたおばあさんなので、当たっていないのに、何人もの少年たちといっしょの、どさくさまぎれに「おばあさん、当たり、もう一本もらうね」と、だましてもう一本手にした。

ところが、その二本目のアイスは口の中で、ちっともおいしくなかった。そして翌日、意を決して、その少年は、おばあさんに当たりをごまかしていたことを告げ謝った。

そして、それからは、正直に手にするアイスは、いつも美味しかった。と、こんな童話と美しい夏の景色と少年たちの姿の素敵な絵本となっています。

ぼくは水泳では笹川良一さんが創設したB&Gのプール施設を利用している。もう何年も前から、入場料200円と奉仕価格で、社会慈善活動の一環として運営しているグループである。ENEOもB&Gも偉い。

 

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おしまい。

 

 

 

2020年5月 4日 (月)

五月です。

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  安曇野も伊那高原も、ここに来て30度を超す夏日があり、安曇野では中房川の上流へロッキーと出かけて、水泳着に着替えて、早くも流れに乗り気持ちよさそうに泳いでいるゴールデン犬のロッキーに続き、片足を入れると、なんと、やっぱり流れはまだ冬の冷たさだった。

しかし、せっかく来たし、一応は向こう岸の白砂の小さな浜に行きたいので、腰の深さにまでなる北アルプスの雪解けの流れに踏み込んだ。いやー、心臓が止まったら、これも運命と、何とか渡り切り、大石の上でひとまず日光浴。

一時間ほどロッキーは泳ぎ、ぼくは日光浴と小石探し。この小石は旧約聖書に出て来るダビデとゴリアテの物語の中で、三メートルほどの大男、ゴリアテに少年ダビデが、遠心力を利用して小石を投げる、ひもで出来た投石道具を使って見事に、ゴリアテのおでこに小石を命中させて勝利する。

その聖書個所を語る時のための、視聴覚教材の適した小石を探したのだ。そんなわけで、この日は、岸から岸への往復で、冷たい流れを横切っただけで、けっして泳ぎといえるものではなかった。しかし大石の上で全身に暑い太陽光を浴び、青空と白い雲を見上げ、松林からは、ウグイスの声を聞き、川の流れの音を聞き、初夏を感じるひと時でした。

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この五月の連休は、伊那高原に来た。我が家の庭では、ぼくの大好きな色のツツジが、そしてチューリップが出迎えてくれた。やー、いい季節です。

 

                           

 

 

 

2020年4月 7日 (火)

奇跡のリンゴ リンゴの木は愛を感知する

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石川/拓治(1961年茨城県水戸市生)ノンフィクションライターが、丹念な取材に基づいて書きあげた感動の書である。自殺を考え夜の岩木山へ登った月明かりに一本の自然のリンゴの木(実際はドングリの木)を木村さんは発見する。

その樹の下は自分のリンゴ畑とは全く違う土壌だった。今までリンゴの木の上ばかりを考えていて、土壌の中の根については考えていたなかったことに気づく。普通のリンゴの木の根の深さは数メートル。しかし、努力の自然農法で、彼のリンゴ園の木は20メートルにも地中深く伸び、奇跡のリンゴ作りへと登り詰める。

この奇跡のリンゴ園の主人、木村さんはもちろん凄い人だ。しかし、この本を記した石川さんも、よくここまでノンフィクションとしてまとめたと感動した。

自然農法の哲学的深みへと読者をひきつける。そして津軽地方を襲った猛烈な大型台風はほとんどのリンゴ農家のリンゴ園に壊滅的被害をもたらしたが、木村さんのリンゴ園は二割程度の被害で済んだ。自然に寄り添った農法の凄さを証明したのだ。

素粒子物理学の分野では、DNAや粒子が思考する能力を持つと考えると説明のつく不思議な現象が科学者たちによって報告されている。この「奇跡のリンゴ」では、木村さんが、必死で「たのむから頑張ってほしい」と声をかけ、たのんで回った列のリンゴの木は、枯れた状態から起死回生して、声をかけているのを他者に聞かれたり見られると恥ずかしいので、声をかけなかった外側の列の木は全部枯れきって死んでしまったとの証言は、実際にありうるとぼくは思った。何かの偶然と考える方が非科学的である。花も可愛がれば美しく咲くのをぼくも知っている。

猛烈な大型台風災害を生きのびたリンゴ園を、創世記の大洪水を生きのびた時のノアの箱舟で例えている個所が牧師としてのぼくには特に印象に残った。長い年月、さんざんみんなにばかにされ気が狂った変人とバカにされながら、見事に大災害を乗り越えた木村さんは「私の舟に乗りなさい」とみんなに呼びかけたという。自然の凄さ奥深さ、動植物、そしてその自然の一員である人間が、宇宙の中で、地球の上で、何者かの手によるバランスの中で生かされている(木村さんの言葉)ことを教えられる素晴らしい一冊となっている。

あちこちにいい話がいっはいあるが、おもしろいと思ったのは、リンゴの木の葉を食べる害虫の顔をルーペで拡大して見ると、どれもみんなクリクリ目で可愛い顔なのだが、こうした害虫を食べる益虫と呼ばれる肉食虫の顔は、目が引きつり、口も裂けた恐ろしい顔ばかり…の個所だった。

kindle版で購入し、昨夜と今夜で読み終えた。もう一冊「国境の長いトンネルをぬけると雪国であった。夜の底が白くなった。信号所に汽車が止まった」の書き出しを暗記している本なのに、まだ読んだことがなかったので、これもkindle版で読み始めたが、まだ半分ほどで、「奇跡のリンゴ」を先に読んでしまった。後のものが先になり、先のものが後になった。

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end

 

 

 

 

 

 

2020年3月25日 (水)

春の陽光の中で昼寝した今日 ふつうじゃないけど普通の日

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安曇野図書館はガラガラだった。コロナウイルス感染のため、返却と借りる以外使用できない状態にしたからだ。そして、子どもたちコーナーで、目にしたのが一冊の絵本。まさに今の世界中の子どもたちから奪われている「ふつう」について、また普通でないことについて考えさせられる絵本である。もちろん借りて来た。

子どもの内面を子ども自身で探らせ、表現させる試み。
一切の前置きなしに始まった授業は、音楽を聴くことから。
大音響の音楽を聞き、そこからこころに広がるイメージを自由に描いてごらんという内容だ。
“ふつうの男の子”は、ギー先生のことばに触発されて、溢れ出すイメージは、男の子の心の中でまさに自由に溢れ、躍動し始める。

もう一冊は、中学生か高校生向け「自分の答えのつくりかた」。これはよくまとめられ、読みやすい工夫もあり、コロナ休みや春休みの中にある学生たちにお薦めの一冊です。

今日は、青空広がり朝から日本晴れ、寝具をみんな庭に干し、犬の寝具のシュラフも鉄棒に干した。幼稚園児のいた頃の庭は広い。犬たちとの散歩から帰り、庭の南側にある小さな畑の方を頭にして草地にシュラフを敷いて、寝転んで青空を見ている内に、三十分程も陽光を全身に浴びて眠ってしまった。頭の近くには黄色い菜の花が咲き、近くの木々からは小鳥のさえずり、まさに天国のようなひと時だった。

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2020年3月 4日 (水)

絵本 「てんしっているの」

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安曇野図書館の郷土コーナーに、チョコンとこの絵本があった。題名を見た時、牧師のぼくは、「天使のことなら、聖書にはハッキリいると書いてあるけど、その天使のことかな……」と思い、手に取って読んでみた。

絵には安曇野から見上げる有明山や、ワサビを育てる清流で遊ぶ二人の少女の絵もあった。九歳とあるから、小学校三年の夏休み明け頃、下校途中に乱暴な車による交通事故で命を落とした少女のことが、仲良しだった女の子の思いが、簡潔な自然体の短文で書かれていた。

聖書には、子どもたちすべてに、守護神である天使がついてるとイエスキリストの言葉として書かれています。信仰のあるなしにかかわらず、子どもは死んだら、その天使の案内で天国へ行けるのです。そしてこの「しの」ちゃんという少女も天使のように天国に、今も存在するのです。

もし、この本の著者や、しのちゃんと仲良しだった「あや」ちゃんにも会うことがあったらぼくは、75歳の牧師として、聖書の言葉を語りたいなーと、強く思います。素敵な絵本をのこしてくれてありがとう。

他に、「聖書を読んだ30人」の本も借りて来ました。その中の一人に太宰治もいます。彼は入院の時にも旅の時にも、必ずバイブル(聖書)を読んでいたと日記に記されています。この本もとてもよい本です。

                30h

 

以上

 

2020年3月 2日 (月)

量子力学

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この本は立命館大学の授業テキストとしても使用しているようだ。まだわたしは読んでいないが、この本の概要を、書籍紹介のページから、ここに記しておきたい。

この本は山田廣成の15年に渡る量子力学講義の結晶です。量子力学は、Bohr先生のいう「観測すると波動が直ちに収束して粒子になる」という奇妙な理論ですから、これをどうしたら学生に分かりやすく説明できるだろうかという思索から出発した本です。

「電子には意志がある」という概念を導入したところ、学生は実にすっきりと量子力学を理解し、量子力学が分かったと言って卒業して行きました。そこで、私はもっと沢山の学生を救いたいと思いこの本を執筆しました。ところが、「電子には意志が有ると」という概念は、単なる方便ではなく、量子力学の真理であることが明らかになったのです。この本は解説ではなく山田廣成のオリジナルな理論です。本来専門誌に投稿してからこの本を書くべきで有ったかもしれませんが、このほど専門誌にアクセプトされました。

タイトルは、「Some comments on the real meaning of the Schrodinger's equation revealed by the fact that electron is always a particle」というものです。

タイトルが示すように、電子は波動ではなくいつでも粒子だという事を示した論文です。いつでも粒子だとすると、何故波動性が発生するのかという疑問が起こります。電子は干渉する粒子だったのです。干渉する粒子が示す現象が波動性だったのです。

投稿論文のレフェリーのコメントは次の様なものでした:In this paper, the author proposed a new theory which claimed that electron is always a particle and that the wave nature appears only when electron is captured in a potential. In general, the author presented quite an abnormal theory which contradicts the usual concept. But the analysis is sufficient and persuasive. This work will bring some new impact to the current scientific community。論文は、Journal of Quantum Information Science、2012年12月号に掲載されます。

さらに重要な事は、量子力学の意味が明らかにされたことで、存在や意志の意味が科学的に明らかになったことです。結果として唯物論と観念論が統合されます。弁証法に重大な修正がもたらされます。進化が意志により起こることの必然を述べています。闘争することは自然界の本質ではなく、共生こそが本質であることが帰結されます。何故なら電子にも人間にも意志が有ったからです。量子力学の思想は21世紀の基盤を形成するでしょう。

コロナウイルスに揺れる今年の早春だが、ここ安曇野の田園には、福寿草の花が咲き、水仙の芽が大きく顔を出し始めている。夜はじっくり読書に浸り、世の喧騒を離れて、ウイルスよりも微小な量子の世界にも入ってみたい。

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2020年1月21日 (火)

教誨師

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安曇野図書館で目にしたDVD 「教誨師」を借りて来た。内容は、ネット上にあるものを以下に載せておきます。

プロテスタントの牧師、佐伯保。彼は教誨師として月に2 回拘置所を訪れ、死刑囚と面会する。無言を貫き、佐伯の問いにも一切応えようとしない鈴木。気のよいヤクザの組長、吉田。年老いたホームレス、進藤。よくしゃベる関西出身の中年女性、野口。面会にも来ない我が子を思い続ける気弱な小川。そして自己中心的な若者、高宮。佐伯は、彼らが自らの罪をしっかりと見つめ、悔い改めることで残り少ない “生” を充実したものにできるよう、そして心安らかに “死” を迎えられるよう、親身になって彼らの話を聞き、聖書の言葉を伝える。しかし、意図せずして相手を怒らせてしまったり、いつまで経っても心を開いてもらえなかったり、苦難の日々が繰り返される。それでも少しずつ死刑囚の心にも変化が見られるものの、高宮だけは常に社会に対する不満をぶちまけ、佐伯に対しても一貫して攻撃的な態度をとり続ける。死刑囚たちと真剣に向き合うことで、長い間封印してきた過去に思いを馳せ、自分の人生とも向き合うようになる佐伯。そんな中、ついにある受刑者に死刑執行の命が下される……。

ラストシーンは、自宅に帰る途中で、車からおり、背広の内ポケットから、携帯を出すときに一緒に出て来た一枚のグラビアの裏に書かれていたひらがなの文字。これは聖書を読むことをすすめた年老いたホームレスは文字を習ったことがなく、読めなかった。

そこで教誨師がひらがなを教えた。その老人からのものだった。そこには聖書からの言葉が、ひらがなで書かれていた。ぼくも牧師である。いろいろ考えさせられ、感動した。

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人は全て、罪びとである。そして、もし罪を許すことの出来る存在者がいるとすれば、神以外にない。人となられた神の子イエス・キリスト以外にない。これは聖書が告げる真実である。そして、このイエス・キリストを救い主として、受け入れるなら、罪が許されると語るのが聖書なのだ。

 

 

 

 

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